2024年11月 4日 07:00
日本語で他国の言語に比べて独特なことがまだまだあります。
その中で、とりわけ凄いと感じるのが「一人称」と「二人称」の多さです。
英語を初め他国では一人称は1つか多くても数種類です、判りやすいのは英語の「I」の一つだけです、韓国語も複数あるのですが3つほどです。
では日本語の場合はどうでしょうか?
広辞苑で調べた人がいます、なんと145種の一人称が載っていたそうです。
「私(わたし)」・「私(わたくし)」・「わし」・「俺」・「自分」・「小生」・「我」・「我輩」・「拙者」・・・、切がありません。
更に、方言などを入れるとこの数倍は在るのではないかと想像できます。
何故、こんなにも日本語は一人称が多いのでしょうか?
これは、辞書を読んでいて確信できましたが日本人というのは相手によって自分を対等関係にしたり、目下や目上などにしたり、自分を相手に合わせて変化させる国民性だったのです。
例えばアメリカでは一人称は「I」の一つだけです、そういう意味では家族も会社でも皆友達と同じように名前でしかも呼び捨てで呼びます。
流石にビジネスでは最初は「Mr.」を付けていますが、慣れてくるともう互いに呼び捨てです、日本人には慣れるまでに流石に違和感があります。
日本人の相手を敬ったり身近に感じさせたりと、相手や距離によって微妙に自分を合わせていく奥ゆかしさ。
それが日本人であり、日本語とはそこから生まれた言語文化なのです。
相手を思いやることが美学と考えてきた日本人のワビサビ、失ってはいけないと思うのは私だけでしょうか?
日本語を無意識に使っているとその特異性を改めて考えることもありません、しかし日本語を海外からみると実に特異な言語であると思えるのです。
その生まれた背景や文化、本当に再度心に留めて人と接していきたいと思うのです。