会う度に「この人は何故いつもニコニコしているのだろう?」と妙にその笑顔に違和感を感じる人がいました、ある日のこと駅構内で私のちょっと前を歩いているのを見かけました、駆け寄って声をかけようとしたまさにそのとき対向から来た若い女性の持っていた荷物がその人にすれ違いざまにぶつかりました。
その瞬間です、その若い女性を「キッ」と睨みつけて何かを言っているのが口の動きで解りました、何を言ったのかは聞こえませんでしたがその時の表情がこの世の物とは思えない形相だったのです。
この記憶が私の脳裏に張り付いて忘れることができません、そのすぐ後に私との会談がありましたが私の前に笑顔で座っている人があの時の同じ人だとはどうしても信じることができません。
その人の本性が正確に解った瞬間でした、そして私が今まで時々違和感を感じていたことが全て理解できたのです、その場もその後もその人と会う度にあの時の形相が蘇ります、結局は徐々に縁遠くなりました、たった一瞬の形相を見てしまったのがきっかけで、でもこれが真実なのです。
何時も他者に無愛想な人ならそうは思いません、本性を隠してビジネスをしていると何時かはバレるものです、そしてバレた瞬間に全てが水の泡となるということです、ビジネスでもプライベートでも正直に自分の素のままの姿を通すことが肝要ではないでしょうか。
覚悟を決めた人は他者の目も言葉も気にしないでありのままの自分を出して身の丈を知った行動を自然に取れています、外面を気にしている人は自身もまた他者の外面しか見ていない人なのかもしれません。
突然ですが面白い実験があります、「1年間で2回以上会った人で、顔と名前が一致して更にこれまでの会話を記憶している人は何人居ますか?」という質問を年間300人以上の人と会う営業職の人を対象に行った結果、殆どの人が100人前後で回答がピタッと止まってしまうのです。
これは人間の持つ対人記憶と付き合える人数の総合された「臨界点」と言われており、どのような職業の人であろうがこの数字を上回ることはないのだそうです、つまり年間100人以上と出会い何度も話をしたとしても記憶に残らない人達が出てきてしまうということを意味しています。
つまり記憶に残らないということは別の言い方をすれば「意味の無い時間とお金を無駄に費やしている」ということにもなります、他方で「10人の行動と状況を継続的に把握できたらリーダーとして一人前」という事項が昔から経営雑誌や書籍などで言われています。
これもまた根拠は不明ですが行動を掌握できるのは20人が限界だという説があります、社員数千人を誇る会社の経営者でさえ例外ではなく10人~20人程度の社員のことしか行動や状況を正確に把握はできないのです、これもまた一つの「臨界点」でもあります。
このように人間には対人的な各種の「対人臨界点」が存在しています、つまり対人思考のキャパシティの限界と考えられます、多くの人と出会い多くの人と付き合えば必ず優先順位が生まれて縁が薄くなっていく人が次々と生まれてきます、つまり多くの人との出会いを積極的に求めている人とは現在深い縁で結ばれ信頼関係を構築できている人が極めて少ないことを意味しています。
ビジネスが順調な時はクライアントは次々と変わってもパートナーや取引業者は本来一定なのです、あなたが信頼を寄せている人のうち社員やクライアントを除いて5年以上継続して付き合いのあるビジネスパートナーは何人いますか、長期間に渡りビジネスが正常で更に信頼関係を重んじている人であれば常に最低10人はいるはずですが如何でしょう?
近年、首都圏から地方自治体の移住支援策を利用して地方に移り住んだ人が急上昇しています、この5年間では3倍ほどに増えているそうです、その理由の一つとして若い世代の地方への移住意識の高まりや自治体の支援策拡充が背景にあると考えられています。
この情報を得た人の多くは「首都圏から徐々に人が少なくなっていく」と考えるのではないでしょうか、ところが実際はこの逆で東京都の人口は1年間に約10万人増えおり毎年人口増が記録更新中の状況なのです。
これが片方だけの情報による「情報の偏り」から齎される「思い込み」という確かな根拠が無い認識の刷り込み現象というものです、このような状況はこういったニュースに留まらず日常的に存在しています。
ある人からある企業や人の話を聞いたとしましょう、しかしその話はその人からの情報でありあくまでも一方向の話しにすぎません、更にはその話がマスメディアと異なり情報そのものも正確かどうかも解りません、しかし「思い込み」によって聞く人の都合で解釈されてしまいます。
これが自身のビジネスに関連する事項だったらどうなるでしょうか、常に人から齎された情報に翻弄されビジネスチャンスも本当に有効な手段も得ることなく終わってしまう可能性があるのです。
他者からの情報は鵜呑みにしないことです、ましては自己の都合の良い方向に解釈するなどはもっての他です、もっとも情報の真意は別としてそれを信じることで自分が救われるからという人も少なくはありません。
ビジネスは趣味でも遊びでもなく真剣勝負の世界です、自己都合で曖昧な情報を扱う人は経営者の器ではないしビジネスを行う資格もありません、片側だけの曖昧な情報に翻弄されて踊らされているうちは何時まで経っても他者を頼ることでしか何もできない「自立できない経営者」に留まるのが関の山でしょう。
「ビジネスフェロモン」の存在は否定しようがない存在として過去様々な人と出会い感じ取っている感覚の一つです、ビジネスで相手の方から寄ってくる場合は当たり前のことですが多くは何らかのフェロモンに惹き寄せられていることは確かです。
その一つに「人脈開拓」があげられます、つまり自身のビジネスに有益な人を紹介してもらえるのではないかという期待です、もう一つは「お金」があげられます、事業投資としての資金提供や共同経営等での資金支援での期待です。
最後に「知識・ノウハウ」があげられます、士業の人やベテラン経営者等が持っている経営やビジネス施策に関して何かしらのヒントが得られる期待です、ただ自身がどのように近づいたとしても相手には全てが見極められていると思う方が無難です。
状況やニーズをオブラートに包み本音を言わずに建前だけの話ではどんな相手でも本気で考えてくれはしないでしょう、正直に自身の状況とニーズを話して理解してもらうことが肝要です、それよりもビジネスで成功したいと思うのであれば自分自身が人を惹きつけるビジネスフェロモンを出せる人になることを考えてみては如何でしょうか?
ビジネスフェロモンが自然に出ている人には多くの人が何もしなくても寄ってくるものです、異業種交流会に出かける必要もありません、嫌なSNSで自身を曝け出す事も不要です、強烈なビジネスフェロモンさえ出せるようになれば多くの人の支援を得てビジネスは勝手に回り出すものです。
経営者へのコンサルティングで「もっと褒めて下さい、褒められて育つタイプなんです」と言う人がいます、確かに褒められることで自信がついたりやる気が出たりと多くの教育現場では褒めることも有効だと思います。
でも起業家教育に対しては如何なものでしょうか、褒め教育は子供や社員教育なら実に有効な手段だと思います、しかし起業家を育てるにあたり褒めるということは極めて危険であると明言します。
少なくても経営者であれば不休不眠は当たり前のようにありますし一人で何人分もの業務をこなして当たり前です、つまり経営者として当たり前な事をやって何故褒められたいのでしょうか。
ズバリこのような人は経営者としての自覚も覚悟も無いと言えます、更にこのような人を褒めてしまったら他者だけでなく自身にも甘えが生じて正常な経営感覚を失ってしまいます。
経営者は自分だけの生活ではなくパートナーや社員の生活に対しても責任を持たなくてはなりません、本来人を褒めるべき人が褒められて喜んでいるようでは先が思いやられます。
あなたは褒められることで喜んでは現実問題の厳しさを顧みない経営者についていけますか、褒められて育った経営者ではいざという時には何もできません、それは厳しさをクリアする方法を体験していないからです。
起業家に褒めるという行為は「褒め殺し」と一緒です、真の厳しさを肌で感じ取れるようにしてあげることが真の起業家教育だと思います、優しさと思いやりは異なります、起業家を育てるのに優しさは不要です、必要なのは真の思いやりと厳しい中にも相手を思う愛情です。