褒めたり優しくすることは誰にもできる。
厳しく接するのはどうでもよい人ではないから。
嫌われてもよいという覚悟と、
思いやりがあるから厳しくできる。
人は不要な波風を立てたくはないと思っているし、
不必要に嫌われたくもない。
真の愛情を知らずに育った者には真の愛情が解らない。
だから建前の優しさやチヤホヤされることを欲してしまう。
真の愛情は時に厳しく時に非情、
場合によっては理不尽極まりないこともある。
だから相応に愛情を受け入れる側にも覚悟が要る。
覚悟を持っての指導を意識して覚悟を持って受け入れる。
それで始めてフェアな関係と言える。
やって当たり前。
出来て当たり前。
努力して当たり前。
辛くて当たり前。
やりたいことができなくて当たり前。
寝る時間も休みも無くて当たり前。
だってそれが経営者だから。
経営者という道を選んだ者の責任でありライフワークだから。
サラリーマン時代のライフワークと価値観は捨てることだ。
それが嫌なら振り出しに戻ればよいだけの話しである。
苦労が多い経営者には、
経営者でしか味わえない大きな喜びは星の数ほどある。
身が震えるほどの宇宙規模の喜び、
それを感じたら長期休暇を取って大いに愉しめば良い。
それができるのも経営者だからこそなのだから。
言葉の連鎖は確実にこの世に存在する。
レストランや居酒屋で、
こちらの話題をいつの間にか近くの人もしている。
すごいことに言葉と共に方言や言い回しまで伝播する。
何気に聞こえてくる言葉を、
無意識に人は思考して行動に移すようだ。
そしてそれは言動だけではなく文章でも同じ。
自分が考え抜いた末のキャッチコピーを作り、
使い始めた途端に他者も使い始めることがある。
大人の対応をしても気分はよろしいものではない。
そんな時は自身の中で、
そのキャッチコピーを「死語」として扱えば済むことだ。
そして次々に斬新なキャッチコピーを繰り出せばよい。
常に斬新なキャッチコピーを考え出す人だと、
逆利用して定着させればよいだけだ。
オリジナルは真似されて始めてオリジナルとして確立される。
「オリジナルホルダーの余裕」で世間を静観しているだけでよい。
時間が有るがお金が無い。
お金が有るが時間が無い。
どちらもアンバランスで不幸な状況である。
時間とお金には陰陽が逆転する利害関係が存在する。
つまりバランスを取るならどちらも有るか無いかが幸せだ。
時間が無くてお金も無いなら工夫して必死に頑張れる。
時間が有ってお金も有るなら悠々自適に暮らすが善い。
「静」の中に「動」が在り、「動」の中に「静」が在る。
物事の表面の動きを見ているだけでは、
真実もその本質も永遠に解らない。
表面に見えていないところを、
どこまで見極められるのかが大局観の眼。
将棋は盤上だけを見ていては勝てない。
双方の持ち駒と相手の心理を読むことが重要である。
同様に、ビジネスは人間関係で成り立つもの。
大局観の差が勝敗を決めると言って過言ではない。