会食の席でときどき話題に出る話に「レギュラーか代打者か」という話があります、題材はプロ野球の選手起用の話に例えて社員の登用に関しての話です。
プロ野球のレギュラー選手とは毎回試合にコンスタントに出る最も戦力の中心選手のことです、同じように企業においてのレギュラーとは第一線でコンスタントに成績を収める頼もしい社員です。
対して代打者はここぞの時のホームランバッターで、勝負所のみに起用され一回の試合で1打席しか活躍の場はありませんが、この代打者のたった一発のホームランで優勝が決まってしまうこともあるほどの期待の選手です。
また、レギュラーは毎試合に出ても報酬はそれほど高くはありませんが、代打者は1打席数百万円という高給取りです。
さて多くの経営者は、コンスタントに成績を上げそれほど報酬も高くない優秀な社員を次期幹部に考えることは当然のことと思えます。
でも、ときどき代打者のような社員を幹部を飛び越えさせ取締役に登用することも珍しいことではありません。
代打者のような社員は社内でもマイペースで場合によっては会社に来ない日もあります、でもここぞの時のクロージングでは超一流の話とムードで相手を席巻しものにしてしまうのです。
「代打者って1打席で高給を取り羨ましい!」などという話が聞かれます、しかし代打者はたった1度のチャンスを確実にものにしなくてはいけないのです、多くの代打者は見えないところでレギュラーの何倍ものトレーニングを行っているのです。
もしも、代打者のたった1発のホームランでここぞの試合に勝ち優勝できたとするならば最大の立役者であり、高額の報酬をもらったところで至極当然のことだと思います。
企業においても代打者のような社員がたった1回のクロージングでその企業の年間売上分にも相当する大型案件が決まったなら、それ相応の報酬を受け取るのも至極当然なのです。
プロは全てが結果次第です、レギュラーだけを可愛がり異端児のような代打者社員を大事にしない経営者は企業を大きく成長させることは難しいかもしれません。
私はよく他者からみると感覚的な表現をするようで、「ビジネス嗅覚」とか「ビジネスセンス」また「肌感覚」などという言葉を多用するようです。
そのせいか周囲もこういった言葉を話しの中で使うようになってきました、ただこれらの言葉は私的には感覚的にではなくきちっとした意味を持たせて具体的に使い分けています。
最近は特に意味をあまり考えないで使用されることが多々あるので、ここでどんな意味を持たせているのかを明確にしておこうと思います。
まず、「ビジネス嗅覚」というのは「お金の匂いを嗅ぎつける本能」であり、生まれ持ってDNAに仕組まれている能力と私的には推測しています、したがって鍛えれば身につくものではないということです。
また、「ビジネス嗅覚」には感度と精度という2つの大きなエレメントがあります、感度は薄い匂いでも嗅ぎつけることができるかどうかの能力であり、精度は甘い匂いなのか苦い匂いなのかその匂いの性質を嗅ぎ分けることができるかどうかの能力です。
精度は、例えば「儲かりそうだけどリスクが高い」、「上手くいくけど相当時間がかかる」、「社会貢献を表示しているが実態は投資詐欺」などの匂いの質の嗅ぎ分けです。
この「ビジネス嗅覚」に加えて、社会通念・ビジネスマナー・経営テクニックなどの鍛えれば身につく能力を加えた総合指数的に用いているのが「ビジネスセンス」としています。
したがって「ビジネス嗅覚」が鈍い人でも、他の能力の鍛え方によっては補填する能力が高くなればビジネス嗅覚を補うことができます、しかし根底にある絶対的能力である「ビジネス嗅覚」を上回ることはありません。
「肌感覚」は、ビジネスに限っての話ではなくビジネスや人間関係で得られた経験によって表面意識が思考しなくても潜在意識で自然に判断できる超感覚を指しています。
自転車に乗れるようになると何年乗っていなくても何時でも乗ることができます、この感覚と同じ感覚として使っています。
違和感や動物的感覚などもこの類です、氷を見て冷たいと判断できるのは氷が冷たいものだという経験をしているからです、つまりこれとまったく同類の感覚だといえます。
特にビジネスでの「肌感覚」というのはビジネススキームを聞いただけで、「これは儲からない」とか「これなら儲かる」というように詳しいデータや計画を聞かなくても感覚的に判断できるのです。
それは、多くのビジネスや事業を自身で興してその中で経験し多くの良し悪しの結果を見て多くの経営者と会ってきているからできる術なのです。
人生やビジネス経験が浅く、経営者としても社員を抱えるでもなくプロダクツを興すでもなく身一つで一つの事しかやってきていない人に「肌感覚」を使われるととっさにそれこそ大きな違和感を感じ拒絶してしまいます。
言葉は正確にその本質を理解して、他者の前で使用しても違和感を持たれないような状況にしてから正しく使用してほしいと思います。
特に感覚的な言葉は安直な気持ちで使わない方が身の為です、不要な軋轢の多くは意味を解らず安易な状況において重要な言葉を使用したことに起因している事実が多々あります。
本当に人の心は解らない、たった一つの不用意な単語でその人を大嫌いになることも珍しいことではありません、まさに「逆鱗に触れる」というように言葉は慎重に選んで使うようにしたいものです。
株主もいろいろです、何時も電話やメールでうるさく状況を聞いてきたり突然地方へ呼び出されて1泊しての状況説明やらで大変です。
最近になりこのような厳しい人の気持がようやく解ってきました、こういう一見厳しい人とは本当はすごく思いやりがあるのです。
厳しいのは家族のように親身になって考えてもらっているからなのです、また私も決して逃げませんでした、何か質問に答えれば「言い訳言うな!」で終わり、これを何回もやられました、それでもできる限りの誠意を示してきました。
そういう厳しい株主さんが時期を合わせたかのように当社製品を売ってくれたときがありました、本当に涙が出るくらいに嬉しかったです。
そして、みなさん「報酬は要らない、そんな気持ちでやったんじゃないから」と言ってくれました。
逆に「何でも相談してください」と何時もニコニコで文句の一つも言わない株主さんもいます、でも本当に相談やお願いごとで会うとニコニコしながら話しを聞いてくれますが、結果それ以上の何もないのです。
厳しい人とは結局その人を無視できないからなのです、つまりは親身になって考えてくれているということです、ここをしっかり理解できていないと良い方向に行くことも行かなくなってしまいます。
長く付き合いのある知人に脳外科の専門医がいます、脳外科の他にアレルギーや精神疾患などにも精通しているので会えば何かと面白い話しを聞かせていただいています。
その中でも「なるほど!」と思った話しは近年の精神疾患に関する話しでした、現在ではあらゆる精神疾患に関しての記事がネット上に投稿されています、中でもADHD(注意欠如多動性障害)や新型うつに関しては異常なくらいにネットや雑誌で紹介されています。
さて先述の脳外科の専門医の知人は、「これらが病気だとしたら、世の中のほとんどの人が病気だよ!」と言うのです。
これらの症例は珍しいものではなく最近になって分類されてきただけのようです、そして以前はすべて個性や性格の一つとされ問題視されてこなかったのだと言います。
ここで、「では何故最近になって、これらが病気だと認定されるようになったのか?」という疑問が出てきます。
推測するに病院や製薬会社の思惑というのが第一に考えられます、事実友人のベテラン経営者はだるさが抜けず感情表現が極端になり病院で相談したところ「新型うつ」と診断され山ほどの薬が出されたといいます。
そしてもう一つはそれを病気だと診断されることを期待して、それを盾に自分の都合に合わせて活用したいという人が増えてきたのではないでしょうか。
深刻なケースを除きこれらは入院の必要はなく生活に大きな障害もありません、つまり「私は病気です」ということで都合悪い事実から救われるケースが多々有るのではないでしょうか。
何れにしても、流行とは過去から供給と需要のバランスによって引き起こされる事象であり需要が有るから薬や治療という供給が成り立つのです。
ところで新型うつに関して私もネットで自己診断を行ってみました、結果は疑陽性で「病院で検査をしてもらいましょう」と出ました。
今の世の中、正常な人もちょっとストレスを感じて病院に行けばほとんどが病気だと診断されるのかもしれません。
私は事有るごとに「待つ姿勢」の話しをします、この「待つ姿勢」というのは「絶好の時期を待つ」という意味で事業の始動や温めている事業を表面化させる時期を指しており、それまでに充分な各種の準備をしておけということです。
例えば事業開始する際にパンフレットやサイトができあがっていない場合は、事業推進を行いながらこれらの側面事項を考え同時並行で実行していかなくてはなりません、また商材であればその販売方法を考えなければなりません。
これらは事業推進に最も重要な事項となります、代理店方式なのかネット通販なのかその方針と少なくても代理店なら数社は決めておく必要があります。
こういった準備なしで始動すると事業推進に100%尽力することができなくなり追われるような焦りが生じます、そして全てが中途半端に終わる可能性があります。
商品開発が完了しサービススキームの構築などは準備の一つに過ぎません、全ての準備が揃うまでは商品であればサンプルや最終テスト品、サービススキームであればモデルケース位の気持ちでいることが肝要です。
そして全ての準備が揃って事業を始動させたら、余計な事は何も考えずにひた走れるようにする必要があります。
したがって準備が終わっていないのなら、先ずはやるべき事をやってから始動や表面化させる時期をじっと「待つ姿勢」で待機することが肝要です。
対して「待ちの姿勢」という人が存在します、この「待ちの姿勢」の人というのは時期を「待つ姿勢」ではなくて、自分が何をするのかの指示を待つ人を指しています。
この世には他者から指示されないと自らは何もできない人が確実に存在するのです、つまり何をすべきか自ら考え判断することができない人なのです。
ただ指示した事が完璧に実行されるならよいのですが、指示されたことに今度は自らの考えを入れて想定しない別の方向へ勝手に行ってしまうので厄介極まりありません。
事業は時期を「待つ姿勢」、その間の準備期間は他者からの指示は「待たない姿勢」であることが肝要です。