2022年12月 9日 08:00
ときどき「人の心って本当に怖い」という話しを聞くことがあります、従順だった社員が一夜にして反抗的になってしまった、スムースにいっていたビジネスパートナーがとんでもない裏切り行為をしたなど、その原因がどう考えても不可解なのだと言います。
こういう場合など自分では理解できない現象によく使われるのが「見えない力」という言葉です、冒頭の話しの他に何を考えているのか解らずに行動判断ができないときなどにも使われます。
ただ、私が思うに「見えない力」が実際に存在するのかはどうでもよいことであり、そういうところに責任を転嫁するような考え方がそもそも間違っているのではないかと思うのです。
人は意味も理由も無ければ行動しないのです、変わったのであれば変わる理由が必ずあります、それを自身が把握できずにいるだけです。
何かの結果は必ず何かの原因があるのです、経営者はまずはその原因を明確に見極めなければならないのです。
「見えない力」という言葉自体が、自分の把握・理解能力の無さを見えない何かに転嫁し言い逃れをしているにすぎないのです。
もう一つは「見えない力」を口にする人は他者が自分をどう捉えているのかを気にしている人であり、それを怖いと考えている人なのです。
「他者の心が解る」などと周囲に言いふらす人も同じことで、自身がそういうことが気になっているからに他なりません、もしくは目の前の人を信頼していないかです。
「心が解る」という一言で「私を甘く見ないで!」と言っているようなものです、多くは経験不足で誇るものを何も持ってない人に見られるのも面白いです。
人が何気に口にする言葉を拾うと何を意識しているのかを知ることができます、そして自分に後ろめたいことがなく人生を謳歌している人にとっては「見えない力」は興味の対象であっても恐怖の対象とはなりません。
だから、経営者なら「見えない力」とか「心が読める」とか、そういうことをあまり口にしない方が無難だと思うのです。