2022年8月29日 08:00
海外からの外国人観光客数が年々増えていますが、それに伴い受け入れ側の問題も徐々に浮上しつつあります。
特に宗教に関していえば、タイやベトナムのような仏教国にインドネシアやマレーシアなどのイスラム教国といったように各国多種多様な宗教の下に文化が形成されているため、受け入れ側はそれぞれの宗教上の習慣やしきたりを理解し対応する必要が生じます。
最近よく耳にするのが「ハラール」という言葉です、これはイスラム教の戒律でイスラム法に基づいた食材の処理方法を行っているという認可制度のことを指します。
イスラム教徒にとってハラールであることは戒律に沿って生活していることであり、神に対する信仰心の体現となる重要な行為なのです。
ハラールを守れないことは彼らにとって「罪を犯す」行為となり死活問題ともなります、ところが「ハラール」が日本では普及していないという現実があります。
来日の伸び率が上がっているマレーシアやインドネシアなどの来日者にとって、ハラール料理のお店が少ないということは「食事ができない」ということにもなります。
せっかく日本を訪れたいと考えているアジアのイスラム教徒がいたとしても、制約がありすぎて旅行ができないことになります。
実はこの事態を避けるために近年では「ハラール食材」が量産されています、ハラール食材が増えれば受け入れ問題が解決するという単純な発想からなのでしょう、しかしここでよく考えていただきたいことがあります。
「ハラール」はただの認可とは違うのです、その根底に流れる宗教的背景や生活様式をよく理解したうえで導入しなければ真にハラールであるとは言えないものになります。
イスラム教の経典「コーラン」の中では、「あなたがたに禁じられたものは、死肉・流れる血・豚肉・アッラー以外の名を唱え殺されたもの・絞め殺されたもの・打ち殺されたもの・墜死したもの・角で突き殺されたもの・野獣が食い残したもの・石壇に犠牲とされたもの・籤で分配されたもの、これらは忌まわしいものである」 とあります。
コーランが「不浄なものとして食べてはいけない」ものの一部ですが、イスラム圏以外の国民はこれを形骸的にとらえてしまいがちです、つまりマニュアル化しそれに従うだけです。
ここで本当に考えるべきことは、真の「おもてなし」を打ち出している国であればハラールという認可以前にイスラム教では何が大切にされているのか、何が禁じられているのかと相手のことをもっと深く理解したうえで自分たちはどうするべきかを考えることが必要ではないかと思うのです。
それであれば飲食店としてハラールの認可を受けていなくともハラール食の対応は可能であるし、海外からくる来訪者が日本人に最も求めているのはこのような本当の意味での思いやりの心ではないでしょうか。
昨今では何でもマニュアル化することがもてはやされていますが、そもそも「おもてなし」の本質とは何かを正しく理解しようとする姿勢が一番重要なのではないかと思うのです。