2022年8月 4日 08:00
悩む人は嫌いではありません、ただし条件があります。
悩む状況とはいくつかあると思います、場合によっては微笑ましくも思う悩める人もいます。
一つは、目標などをクリアできずにどうしたらよいかと悩んでいる人。
または、大きなミスをおかして起死回生に向けて何かをしなくてはと真剣に悩んでいる人、こういう人は悩んでいるにも関わらず強力なプラスのオーラを放っている場合が多いものです。
このように、前向きな気持ちからくる悩みを持つ状況もこのような人も好感を持てます。
対して、大きな目標もなく何をしたら生活できるのだろうかとただ何となく日々悶々と悩んでいる人。
表情も暗くマイナスオーラが出ています、同じ悩んでいる状態でも前者と後者では雲泥の差があります。
こういう人でも悩むということは、やはり現実と自分の期待との乖離があるのですから悩む基準があるだけまだ救われます。
最も良くないのは抑揚が無いしゃべり、食べて寝るだけの生活で自分からは何もせず他者依存に始終するだけの人です、悩みとは無縁という感じの生き方です。
こういう人からはプラスもマイナスもオーラを感じることができません、存在感すら無いのですから周囲の人の記憶も徐々に薄れていきます。
悩むという行為は生きている最大の証拠であり人間である最大の特権なのです、つまりは生きていたいとか今より良くなりたいという願望からくるものだからです。
悩み、それは次のステップアップの為の充電期間なのです、どうせ悩むならトコトンでっかい悩みを抱えるが好ましいと思います。