毎年のように5月の連休とか夏休みは何処に行っても人が溢れ電車に乗れば子供の泣き声でイライラモードになってしまいます、永住の地に月に何度か車で行くのですが決まってこの季節は行き帰りに渋滞に嵌まります、サービスステーションで休もうと思ってもテーブルは人で埋め尽くされていてゆっくり食事もできません。
5月連休や夏休みは大手企業は一斉に休暇に入り1週間ほどビジネスが止まることになります、毎度のことなのでそんな時にはマイペースに進めるので問題なしです、ただ一斉に休みを取る5月連休と夏冬の連休はどうにかならないかと思うのです、何故みんなが一斉に取るのでしょう。
私は外資系企業に勤めていたルールをずっと起業後も適用し5月連休も夏冬の連休も自由に取れるようにしています、5月連休が終わってから1週間休んでもOKなのです。
私は「赤信号みんなで渡れば怖くない」的な集団心理がすごく苦手です、みんなが休んでいるときに仕事をしてみんなが仕事しているときに休む、こんな自由な世界が好きなのです、さてそんな鬱陶しい夏休みもそろそろ終わりです、ゆっくり長期休暇でも取りましょうかね。
第二次世界大戦後の世界はアメリカと旧ソビエト連邦による冷戦状態により西側諸国と東側諸国に別れてパワーバランスを取ってきました、それが1991年旧ソビエト連邦の解体によりカオスの状況に陥り変わって中国が台頭してきて現在に至ります。
この10年間ほどは偏りはありながらも一応のバランスが取れているように思えます、ところがアメリカファーストを打ち出した現リーダーの出現により悪いながらもバランスの取れた世界秩序が突然壊れるのではないかと推測する有識者が増えてきたのも確かです。
それを物語るようにアメリカから富裕層や有名人がどんどん出国しています、彼らはヨーロッパ各国にいる親戚などを頼りに世界に散らばっています、そして今後世界はどのように変化していくのでしょうか、その中で日本はどのように振る舞えばいいのでしょうか。
インドはクワッドの枠組みで日米豪と経済と安全で連携してきましたが、ロシアから原油を買っていることを理由にアメリカから突如制裁的な高い関税をかけられロシアや中国と連携する動きを見せています、日本も自動車などの輸出先として新たに環インド洋諸国(アフリカ諸国&インド・中東諸国)と協議を始めています。
いつの時代も悪いながらも安定していたパワーバランスが崩れる時は必ず争いが起きます、現在では火力による戦争ではなく経済戦争の方が深刻です、負けた方の国民は生活苦という悲惨な状況を迎えます、誤った政策を行うリーダーを止められるのは選んだ国民の義務です、義務を果たせなければ自分たちが犠牲になるだけですから、しばらく世界情勢から目が離せません、何故ならパワーバランスの変動により少なからず日本も大きな影響を受けるのですから。
多くの人が8月の季節は夏だと思っているようで驚きます、夏休みは8月が主なので子供の頃からそういうイメージを持ってしまうのかもしれません、しかし暦のうえでは8月初旬(2025年は8月7日)に立秋となり秋になります、でも実際には立秋の前後10日ほどが暑さのピークとなります、つまり暦と実際の季節感は1ヶ月ほどずれているのです。
例えば最も太陽が高くなり一日の太陽が出ている時間が長い夏至は6月下旬(2025年は6月21日)ですが本格的な暑さは一か月後の7月下旬からとなります、この季節と実際の気温のずれは何処からきているのでしょうか、諸説ありますが単純な話が海水の温度がじっくりと上がり、じっくりと下がるから季節感が暦よりも遅れているだけのことです。
ただ風は素直で8月に入ると急に夜風が気持ち良くなります、湿度も8月に入ると低くなりはじめますので日陰に入ると風が気持ちよく感じるようになります、この傾向は都会よりも田舎の方が正確に表れます、その理由は都会はどこもかしこもコンクリートで固められているので太陽の熱が吸収保持され、それが夜でも反射されるので太陽が沈んでも暑く感じるのです。
そこへ行くと田舎は山に川に緑や水辺がいっぱいです、したがって昼間の太陽光線の温度が保持されるものが無いので太陽が隠れれば本来の季節の風を素直に感じることができるのです、そういえば私の故郷である信州の夏は昼は太陽がじりじり照らして暑いのですが夜はほぼエアコンなしでも過ごせます。
昨今の日本の夏の地獄の暑さは世間的には地球温暖化のせいにしています、しかし私はコンクリートで固められた地面とエアコンに車や電車がもたらす熱によるヒートアイランド現象での温度上昇の方が深刻だと思います、車が通るたびホームで電車が止まるたびに暑い空気が沸き上がります、この熱を何とかすれば日本の都会の気温は少しはましになると思うのです。
過去別のブログで時事経済か何かのカテゴリで投稿した記憶があるのですが、ここ数年の世界情勢が極めて第一次世界大戦後から第二次世界大戦開戦直前の情勢と酷似していると思うのです。
例えば愛国心豊かな排外的なリーダーの誕生です、これが自由民主国家の幾つかの国で同時多発的に誕生している現在において偶然では片づけられないと考えています、また日本でも極右勢力が躍進しています、場合によっては極右派のリーダーが日本でも誕生するかもしれません。
ところで右翼とか左翼とは何でしょう、これはフランス革命時のフランス国会で議長席から見て右側に保守派が陣取り左側に革新派が陣取っていたことから「右翼VS左翼」という言葉が誕生し、以後世界中で使われるようになったのです、簡単に言えば右翼は愛国心が強く排外的な思想であり左翼はその古く排他的な考え方を改めグローバルな改革を推し進めようとする思想です。
さて自国を愛するのは決して悪いことではなく正常な考えだと思います、ただこれが極まった方向に行くと確実に戦争になります、何故ならそれぞれの国が最優先であり脅かされれば排除しようとする考えがそれぞれの国が持つようになるからです、つまり世界同時多発的にこれが起こった現象が第二次世界大戦なのです。
私の大学時代はちょうど学生運動が沈静化し始めた頃で大学時代はよく友人らと安保や戦争と平和というテーマで飲み明かしたものです、そんなローカルな場でさえ意見は合わないしまとまらないのです、人それぞれに正義があって守るべきものがあります、つまり歴史も文化も異なる人種が同じ価値観を共有するのは簡単ではありません。
平和な状況は互いに自己優先ではなく他者優先の考えから生まれるのです、この時代に果たしてそんな呑気なことを言ってられるのでしょうか、少なくても少数の際立った思考も持ち主によって犠牲になるのはいつの時代も国民です、真の愛国者であるなら国民を最優先にした愛民者であってほしいと願うばかりです。
28歳で起業して以来数々のビジネス上の別れを経験してきました、社員にパートナーに取引先と相手との関係性は別にして当初は自分の何が悪かったのかと落ち込んだ時もありました、ただそんなことを繰り返し経験してくるとその後に起きることも共通していることに気付くのです。
それは新たな出会いということです、まるで必然の別れだったかのように新たに入社してくる人に新たな取引先が現れるのです、だから私はそれ以来別れに対して不安も恐怖心も何もありません、そもそも最初から同じ未来を見てビジネスを楽しむことができない人たちだったということに落ちつきます。
何故なら同じ目標を見て同じ苦労を共にできる人であればどんなに意見が食い違おうがミス連発で堪り兼ねて当たり散らそうが別れは一様に来ないからです、それよりも別れの不安や恐怖心から媚びたり妥協したりする方が互いにストレスとなり距離を置くようになるのだと思います。
出会いに理由が無いように別れにも理由付けなど一切不要です、互いに別れるべくして別れた、その事実だけでいいのです、逆にその事実を受け入れられない人はいつまでも過去を引きずり大事な目標を見失うのではないかと思います、出会いも別れも自然の摂理そのものです、そう割り切って生きれればストレスとは無縁のものとなるのでしょう。
面白いことに何でも出来て一人でも生きていけるというような人ほど多数の人に囲まれ、他者を頼らなければ生きていけないような人ほど孤独を味わっている事実、世間とは上手くできているようでいて実はいろいろな意味で陰陽二極分化するように仕組まれているように感じます。