備蓄米を放出するも米の価格が一向に下がらず高止まりしています、新農水相に期待する声も高まりますが果たして価格は下がるのでしょうか、米価格は置いておいて主食がパスタやクラッカーの私には共に1年前の2.5倍になっている方が深刻です。
そもそも何故昨年から一気に米価格が上がったのでしょうか、私が思うに世間で言われている業者の買い占めやどこかの組織の価格調整だけではないと考えています、価格が上がりだしてからの群集心理により消費が進んだためだと考えています、つまりみんなが買って消費したから市場から米が消えたのです。
その根拠ですが、普段はいつでも買える米を買い置きする人はいないと思います、ところがニュースで米価格が上昇しているというのを聞いて買えるときに買っておこうと普段1袋なのに2袋買っているのではないでしょうか、これは家庭だけではなく飲食店や加工業者も含めて一斉に行われたら市場から一気に米が消えてなくなってもおかしくはありません。
そういえば私が高校生の頃にオイルショックが起こり日本から石鹸と紙が一斉に消えてなくなり価格が急上昇しました、その後流通業者の倉庫に大量保管されていることが報道されるや一気に価格が下がりました、今回もどこかのタイミングで同じことが起こるのではないかと思うのです。
最初の価格の上昇は確かにどこかの業者が買い占めしたのでしょう、日本米は日本食ブームも相まってどこの国でも高級米で富裕層を中心に爆買いされていますから、その後はオイルショックと同様にみんながこぞって買いに走った結果小売店の在庫がなくなり価格があっという間に上昇したということです、まあ政策なのか買い占め業者が高いうちに売ろうと放出するのかは解りませんが一旦価格が下がり始めたら一気に元に戻ると考えています。
ただいつの時代も群集心理は侮れないです、みんなで同じ行動を起こすエネルギーは破壊的でもあります、米が無いなら主食を他のもので代用するなど冷静に状況や近未来を見守れる人は高い米を買わされることもなくマイペースに食事を楽しめるのかもしれません。
「成功者の定義とは何?」と聞かれて自分は何て答えるだろう、そんなことを還暦辺りから考えるようになりました、私的に出てきた答えは「好きなことを好きなようにやれること」でした、そのためには最低でも3つのカテゴリにおいて自由でなければなりません。
その3つの自由とは「経済的要素(お金)」・「時間」・「空間」です、お金を経済的要素としているのは「お金はやりたいことや欲しいものを手に入れるための媒体」として考えているからです、有り余るほどのお金を持っていてもやりたいことや欲しいものを得ることができなければ意味のない媒体であり経済的要素にはなり得ません、逆に生活するに充分且つ余裕ある経済基盤がなければ好きなようにやりたいことができません。
時間は拘束されることがない立場ということにも繋がります、業務や例え家族であっても他者に拘束されている間は自由に活動することは極めて困難です、少なくても余命幾許もない老後は自分のためだけに時間を使えることが一つの人生における成功だと考えています。
空間も時間と同じことで自由にできる空間を持つことが成功と呼ぶに必須事項です、その意味でいうと私が庭と畑付きの家を購入したのは何でも思ったように自由にできるからに他なりません、賃貸住宅では壁一つ自由に変えることはできません、壊すのも自由、作り変えるのも自分の自由にしたいのです、何故ならそれが自分の好きなようにできる空間ということですから、その意味で言うと一人暮らしでないと持ち家でも自由にはできないと思います。
さてそう考えると隠居して完全に自由な時間が手に入れば人生成功者の仲間入りができるかなと思います、そのために辛いときも必至で突っ走ってきました、目も前にスローライフへの扉が見えてきた今、天からのご褒美をやっと貰える時がきたのかと思え感慨もひとしおです。
最後にもう一つおまけの項目があります、それは孤独ではないという生活スタイルです、人生成功者になったとしても孤独を味わっていては本末転倒です、特に老後の人生において孤独を感じていては成功者と呼べないでしょう、その意味では心から信頼できる仲間の存在は必須だと思います、家族がいても孤独感を抱えている人も多いですから物理的な要素以上に心理的要素が強い項目です。
「自分は人生成功者なのか?」、そんな疑問が浮かんできたら是非ともこの3つのカテゴリにおいて自由かどうかと信頼できる仲間の存在の有無を思考してみては如何でしょう、意外なことに3つのカテゴリ全てにおいて自由ではないという人がほとんどではないでしょうか、そして最後の信頼できる仲間の存在は3つのカテゴリ以上に難関だと思います。
これらは全て正しく生きてきたか否かの結果です、正しく生きてきた人であれば3つのカテゴリにおいて全てが自由であり仲間に囲まれ孤独ではない人生を歩めるのだと思います。