2024年5月 8日 01:00
人の行動とは摩訶不思議なことが実に多いものです、その人の行動を自身の価値観と照らし合わせて幾ら考えても正解が出ることはありません、何故ならそれぞれにオリジナルの価値観を持っておりその人の価値観はその人でしか正確なところは解らないからです。
そこでその人の思考や行動を理解しようとするのではなく、その人の周辺で起きている事実だけを視るようにしたらどうでしょうか、その人はどうしてあの人とビジネスで組んでいるのか、その人はどうしてあの人を常に近くに置いているのか、「事実は小説より奇なり」です、そこにはその人にとって重要な意味と価値を見出してのことでありその人にとって各種の事項に有益に機能しているからに他なりません。
表面に見えている事項だけが事実ではありません、特に私のようなマルチ人間の場合は表面化している事実は氷山の一角であり天の時を待つ準備段階として水面下で動いている事項の方が多いのですから、こういった人それぞれの思考や価値観に加えて目に見えない事実も含めて自身の思考と価値観ではとうてい測ることはできないのです。
故に人の思考や価値観は周辺に居る人と起きている事実をよく観察すれば見えなかったものが少しずつ見えてくるようになります、何がその人にとって有益なことで気持ちが良いことなのか、そこを理解せずしてその人と良好な関係を構築することは不可能です。
私はといえば他者に対してある種の期待感が徐々に強まってきたようです、他者を思いやる心を持つ人、他者に与える事ができる人、理不尽な事実でも真摯に受け入れることができる人、一度でも信じた人を裏切らない人、他者を故意に陥れない人、そんな人は真の身内として各種事項で積極的に組みたいと思うのです。
そして例え欠点は有るとしても常に一緒にいて大きなストレスや不安を感じることはありません、そんな人とこれから各種事業を淡々とやっていきたいと思うのです、人間なんだから欠点の一つや二つは有って当たり前です、それが人として致命的な欠点でなければ個性の一つとして受け入れるべき事項なのです。
対して過去の栄光や無意味なスキルなどは興味の対象外です、一緒に各種の事業に取り組んでストレスも大きなミスも無く粛々と事が進めることができる人、それが真の身内であり人生パートナーとして大切にしたい人なのです。
子供を他者の前で褒める親はいません、もしいるとしたら「親バカ」もよいところです、私も真の身内を他者の前で褒めることはしません、むしろ欠点などを公言してしまうこともあります、それが私の真の身内への信頼感の示し方であり愛情表現でもあります、どうでもよい人の欠点をさらしたところで当人の気持ちを考えれば「百害有って一利無し」です、欠点を公言するのは私流の特別な信頼感の表れでもあるのです。
事実を観て広い視野で考えることもせず戯言だけを真に受けて私の真の身内と呼べる人たちを認めない人、それは私にとっては受け入れがたい人でもあるのです、「身内を認めない者は身内ではない」、つまり私は逆に真の身内を通して真の身内となれる人かどうかを広く測っているのかもしれません。
何故なら自己利益優先ではなく本当に私を信頼して多くを学び何事も一緒にやっていきたい人であれば当然私の身内と極自然に良好な関係を築こうと努力するはずなのです、そうでなくては一緒にやっていくうえで私との間に大きな心の障壁を作ることになるからです、これは最も基本的な人間関係構築の原理原則ではないかと思います。
そして真の身内には家族同然に生活を保障し何か大きな問題が起これば何を置いても駆けつけ解消しようとします、人は「尊敬」や「信頼」、そして「覚悟」を簡単に口にします、でもそれが本物であるかどうかは言葉ではなくちょっとした瞬間に「表情」そして「振る舞い」にしっかりと表現されるのです。
「心は素直に表面化させている」、酔うと記憶が飛ぶことが多々あります、どんなに状況や会話の記憶が飛んでも真の身内とそうでない人との表情や振る舞いの差、何故かこういう事だけはどんなに酔っていても記憶に残るのです。