2024年3月27日 01:00
昔から成功している人や名を後世に残している人の生き方・思考・行動などを可能な限り情報を集めては分析しています、これが実に面白い共通点があったりしてビジネスにも大いに生かされています。
「温故知新」、つまり先人の知恵を借りて現状そして自身に置き換えてアレンジする、それが意外や短時間に成果を出せたりするので更に成功者の調査研究はやめられなくなっています、さてそんな中で調べるほどに大きな疑問が起きるのが画家の生涯なのです。
現世に名を残している多くの天才画家達、彼らは生きている間は特に大きな成果を上げるわけでもなく勲章をもらうわけでもなく、どちらかというと酷評こそもらっても評価されることもなく生涯をいろいろな人の援助によって生活苦の中であの世に逝ってしまいます。
死後数十年以上も経ち時代が変わり何かをきっかけにその才能や作品が突然のように認められ評価されるようになります、そして作品はオークションで数億円以上もの高値で落札され世界に名前をとどろかせることになります。
でもこのように死後であっても評価され名を残せられた画家はほんの僅かな人たちだけです、パリのモンマルトルに行けばわかります、世界中から画家として成功したい人が狭い道路の両端で絵を描いては安値で売っています、彼らは何を夢見ているのでしょうか?
経営者としての私はそこに大きな疑問を持つのです、生きている間に評価を受ける人は死後に評価され名を残す人よりもさらに少ないのです、経営者として上場を果たすよりもその数百倍も難しく険しい道のりなのです。
「絵を描くことが好きだから」、でも実際問題として生活するという現実をどう考えているのでしょうか、名もなき多くの画家は家族も持たない孤独な人生を歩みます、そして多くの人は生活を他者に頼っています、それでも自身が好きなことだからという理由だけで続けられるものなのでしょうか。
私は事業を開始して推進を考えるときには一つの「使命感」みたいなものを感じることがあります、コーチングの人がよく使う「した方が良い」ではなく「しなくてはならない」という苦痛も感じることさえあります。
ただ結果論で申し訳ないのですが意外と「使命感」を感じた事業って上手くいかないのです、理由はわかりませんが自らが楽しめないというか極めることへの怖さを感じることもあります、経営者として生きている間に成功を収めたいと本気で願うのであれば「使命」を感じるような事業を興すべきではないと思うのです。
また成功したいという強い思いを持つのも余裕がなくなり思ったような展開にはなりません、成功している人の調査研究で一つ言えることは成功者の多くが何も考えずに浸食忘れて没頭できることをひたすらやっているということ、そこには「使命感」も「義務感」もありません。
「使命感」や「義務感」は目標が達成(成功)して結果が出たときに、これまでの年月を振り返って「これが私の使命だったのかな?」と気付くものなのではないでしょうか、そして後世に他者がそれを評価して「努力の結果」として称えるのです。