若い世代の農家に徐々に定着しようとしている日本発の自然農法とはいったい何なのでしょう、実はその定義もスタイルも未だ完全には確立されていない発展途上の段階です、また似た農法である自然栽培と混同されますが同時多発的なスタイルで別物として認知されているようです。
自然農法は1935年に岡田茂吉によって提唱された農法で、「土壌に不純物を入れず清潔に保てば土本来の性能を100%発揮でき作物が栽培できる」というもので、自論を証明するために翌年に東京世田谷にある自宅の庭で実験を開始しました。
自流放置栽培第一弾の実践で収穫できたサツマイモ

この提唱の不純物とは肥料や農薬のことで、これらは土本来の力を発揮できない元凶だといいます、その後各種の研究機関や企業においても研究され土壌微生物の重要性が解明されてきました、実は土壌には多くの菌類が存在しており人間の健康法である大腸環境を整えるというものとまったく同じ原理であることで理解できます。
菌類の中には醗酵によって有機物を分解し植物のエネルギー源となる栄養素を作り出す種や、逆に腐敗によって分解する種も存在しています、腐敗菌類が多くなると生きた野菜の根まで腐敗させ植物を死滅させてしまいます。
しかし逆に有益な醗酵菌類だけでも野菜には有毒な酸やアルコールなどを精製してしまい植物が育つ土壌にはなりません、つまりこれらの菌類の微妙なバランスを保てるかが重要であり、バランスが保たれていれば雑草や野菜の枯葉がそのまま肥料成分に変わり肥料を入れる必要も無く野菜も元気に育ち、元気な野菜は虫害やカビなどにやられないので農薬も不要となります。
この土壌の微生物バランスを如何に保つかが自流放置栽培の基本ということになるかと思います、各種の自然農法の具体的に説明している書籍を読み込んでいくといろいろな方法が示されていますが行き着くゴールは全て土壌の菌類バランスを如何に作り上げて保つかに集約されます、そしてこれは科学的にも説明できる原理だと思います。
つまりこれからの農業は一つの科学分野なのです、見えない菌類の世界、7年前に始めた食と健康道楽ビジネスでも菌類の持つ脅威を実験によって得ています、こんなところに応用できるなんてその時点では私でさえ知る由もありませんでした。
7年前に行った麹の培養実験
菌を身近に感じることができた生きた経験をしました

自然の中で植物と触れ合う空間が欲しくて日本庭園と畑付きの家を購入してしまってからというもの、ベランダ菜園しか経験のない私は連日のように書店に行き農業関係の書籍を買い漁りました。
最新農法の各書籍を読み進めるうちに解ったのですが農業関連の技術はハイテク産業並みのスピードで進化していたのです、これまでほとんど触れることのない世界だったので農業の進歩に驚くと同時に極めてITと同様の進化&展開ロジックが存在していることが解り俄然新たな自然農法を極めたくなった次第です。
ここ数年農家を継いだ若い世代の人でこれらの自然の力を利用した新農法を実践している人も数多くいるようです、彼らなりに近隣の農家さんに伝えるために実践教室やセミナーを開催しています、しかし受講する昔ながらの農家さんの中には伝統農法に対して180度違う内容が多く怒って帰ってしまう人が絶えないのだといいます。

歳を積むたびに体力が低下していきます、その為に時間も労力も使わなくてもよい新たな自然農法を進めようとしても日本人特有のニューカルチャー拒絶の壁によってなかなか浸透しないのが現状です。
アメリカでは昔から農地が広いので全て機械化によって農業が成り立っておりヨーロッパ各国では冬でも栽培可能な水耕栽培を国や地方自治体をあげて推進しています、これらの国ではほぼ無人の工場で同じ形と重量の野菜が絶え間なく生産出荷されています。
そして最も野菜の自動化が進んだオランダでは水耕栽培の工場化ということもあって面積比で日本の年間収穫の20倍以上の野菜を生産しているのです、個人事業の日本の農家では大きな設備投資ができません、日本でもようやく農業法人の推進や支援を行おうとする動きが出てきていますが期待できる内容ではありません、そもそも農作物の流通制度に大きな問題があるように思います。
「日本で売られている野菜は綺麗で大きさや色が揃っている、でも高すぎて買えないし美味しくない」と言うのは日本で生活している多くの外国人の言葉です。
そして日本の農家で年収1,000万円以上の所得世帯はほとんどありません、対して某国の農家は法人化し人を多数雇って農耕し、その収益で豪邸を建て高級外車を乗り回わしているのです、国民の食料を支えている仕事をしているというのに日本の農業は何かが間違っていると思うのは私だけでしょうか。
日本という国のルールに則り楽しく儲けられる農法は本当に無いのでしょうか、何年かかるか解りませんが自分なりの研究と実験を通して結論を導きたいと思っています、そして本ブログは長い理想の自然の摂理そのものを活用した農法確立への道のりの記録を残すことを目的として立てました。