2023年5月25日 08:00
「自分は自分、他者は他者」、多くの哲学者や偉人は同様の言葉を数多く残しています。
これは決して「自分勝手にする」という意味ではなく、この真の意味は「自分が志を持ち覚悟を決めてやろうとすることを、例え人から何を言われようが何と思われようが自分が納得してやっているのだから気になることはない」ということなのです。
他者に対してもまた同様に、「自分の道が正しいと思えるのであれば、私のことは構わずに自分の道を究めればよろしい」ということです。
誰しも自分の進むべき道が正しいと思うのであれば覚悟と自信が有るはずです、そこには不安も不満も何も有りません、当然幸せを感じるのが普通です。
幸せを感じていれば例え他者がどんなことをやってようが気にはならないし、自分の進むべき道に対して夢はどんどん膨らんでいきます。
ただここで、他者のやっていることが気になるというのはいったいどういう状態なのでしょうか?
「我を何とでも言え、我が成すことは我のみが知る」とは坂本竜馬の言葉です、覚悟と自信があれば他者に何を言われようが余裕で流すことができるのです。
それが正しいか正しくないかは誰にも解りません、覚悟と自信に対して「正解か?」なんていう問いは意味はないのです、その行動の結果が「正解か否か」を問われるだけですから。
だったら、思った事を他者を気にせずにひたすらやるしかないのではないでしょうか?
他者や周囲の目を意識して自分の本当にやりたい事が出来ずに振り回されている人がいます、これが経営者だったらその企業は忙しいだけで利益に結び付かなくなってしまいます。
経営者が他者の行動や周囲の目を気にした時点で、一貫性のない何をやろうとしているのか解らない企業になってしまいます。
根幹のビジョンがそこには見えず、その日暮らしの業務に振り回されていくだけでしょう。