2022年10月20日 08:00
聖書に「汝(なんじ)の敵を愛せよ」という教えがあります、その多くの解釈の中には正しく訳されていないものもあります。
例えば、「迫害されたとしても慈愛の心で接しよ」、「例え敵であっても慈悲の心を持て」などです。
本来意味するのは、「相手の行為を許すことによって恨みによる束縛された心が解放される」ということだそうです。
話は変わりますが「悔しさをバネに頑張る」と言う人がいます、或いは「馬鹿にした人を見返してやる」という人もいます。
自分を奮起させることは悪いことではないと思います、ただこういった感情からくる行動は判断ミスを誘い無駄に空回りして結果何も生まないということになります。
これは感情的になるときはドーパミン、もしくはノルアドレナリンが異常分泌して強い興奮状態を誘います、これも一種の自己防衛反応と言えます。
しかし正常な人は深呼吸などを行うことですぐセロトニンが分泌され、ドーパミンやノルアドレナリンを回収し平常心を取り戻せます。
最新医学では精神疾患の多くはホルモンの分泌異常から起こり、これらは食生活や生活習慣から起因していると解明されつつあります。
つまり言いかえれば、興奮しやすい人や思い込みが強い人は規則正しい食生活と生活習慣が損なわれている可能性が高いと指摘されています。
一時的な感情による言動や行動は「百害あって一利なし」です、もし感情が抑えられなければそういう状態の時は何も判断しないことを習慣化するように心がけることが肝要です。
感情は誰にでも起こる極普通の状態です、しかしこれを抑えることができる強い精神力が肝要です、そしてこれができて初めて「大人の人」と言えるのではないでしょうか?
興奮しやすい、切れやすい、感情行動を取りやすい、このような人が近年増えてきたと感じます。
私も若い頃は多々ありましたし今でも時々あります、ただ結果において考えると自身にとって得にならないことが多いのも確かです、そしてマイナス感情は自身が辛いだけです。
共存共栄や社会通念上など、あらゆる意味で自己利益優先の腹立たしい人には理解してもらおうと考えるのではなく「そういう人も世の中にいるんだ」と認めることです。
それによって自身の怒りや何とも言えない虚しい気持ちが消え、その相手は自身にとって「どうでもよい」対象となり、今後は気にしなくて済む相手となるのです、それによって自身のマイナス心理から解放され穏やかに暮らせるのです。
理解してもらおうとか無理に離れようとか考えること自体が、その認めたくない相手に感情を委譲してしまっていることに早期に気付くべきです。