2022年9月15日 08:00
皆さんは人と話しをするときや文章を読むときに注目しているポイントは何でしょう、せっかくその人の話しを聞き記事を読むのであれば発信者であるその人の本質を理解できるようになればより有意義な時を過ごせます。
人の奥底にある無意識の領域こそ人の見えない本質が隠れています、これは言い方を変えようが誰かの真似をして文章を書こうが本質が必ず現れるのです、つまり人は情報発信する以上は心を隠し通すことは不可能だと言っても過言ではありません。
さて私は何処に注目して話しを聞きそして文章を読んでいるかというと、その人の視点の置き場所とその視点から伸びる視線の先にあるもの、つまり誰を中心に誰を見て話しをしているのかなのです。
視点は大きく分けて自分か第三者(特定もしくは不特定の誰か)かで、視線はその視点から外へ向かう視線と外から視点へ向かう視線とがあります、これが人によってくっきり区分され一貫としているのが正常な状況です。
つまり、その人が正常な精神状態で更には事実であれば、一貫として視点と視線がぶれずに話しをし同じようにぶれない文章を書きます。
逆に視点と視線がぶれている場合は精神状態が正常ではない、もしくはその話や記事には真実と異なる事項や他者から得た情報が隠されているということになります。
自分の体験や体験から得た知識ではなく他者から持ってきた情報である場合、空想や曖昧な知識など事実が確定していない場合、意図的に誰かを陥れるなど情報操作を企てている場合など幾つかのパターンが見て取れます。
また、コラムなどの記事で同じ名前で出しているが記事によって視点や視線が変わる、この場合はゴーストライターや複数の人によるペンネームである可能性もあるので本質を見ることは難しいです、ただ一つの記事が一貫とした視点と視線で書かれているかは注目すべきです。
視点と視線が自分から外向きの人は年齢が高く経験豊富な人に多く、また指導する立場の人はほぼ視点が自分で外向きの視線で話しをし文章を書くのが普通です。
もしも年齢が若くて経験も浅いのに視点が自分で視線が外向きである場合はかなり厄介な性格の人かもしれません、世界は自分中心に回っているくらいの傲慢な人である可能性を否定できません。
視点が自分で視線が内向きの人は他者動向や他者の考えが気になる人、だからどうしてもインダイレクトな話し方や文章になりがちです、ある意味では慎重な人なのかもしれません。
また、視点が第三者で視線が内向きであればその第三者をかなり意識している可能性が高いです、ライバル視しているか好きなのか嫌いなのか感情的な表現を抑え込むのに必死な言葉や文章にハッとすることもあるほどです。
更に、視点が第三者で視線が外向きの場合はそのような人や状況に憧れを持っていると読みとることができます。
何れにしても視点と視線が一貫としている場合は違和感はまったくありません、これが途中でぶれているとやはりそこには何か潜んでいると考えた方がよいでしょう。