2022年9月 5日 08:00
孔子論語に、「その木が枯れているかどうかは春になれば解る」という教えががあります。
特に若い人に多いのですが気になることや興味を持ったことなどに対してすぐに答えを欲しがります、「まず自分で考えろ」と言うと「拒否された」などと周囲に不満を言う人まで過去にいました。
気になることや疑問は自分を成長させる機会なのです、そこで他者から答えをすぐに貰ったとしたらその場では納得するも明日には多分忘れているでしょう。
それが自分自身で答えを見つけたときには一生忘れることなく自分の中での知識から知恵に変わります、そして将来それを活かすこともできます。
孔子は「何も教えないのも教え」と教えています、その真意は「自分で考えて答えを出すこと」が教えだということを意味しているのです。
そしてもう一つこの名言の裏にある教えは「旬を待つ」ということです、つまり今解らないのは旬ではなく旬の時が来れば必ず解るということです。
一時として人間は成長しない時はありません、自分が成長していけばどこかで今解らないことも解るようになります、それがその人にとっての旬ということです、旬に得たことは将来にわたり忘れることなく活かされるものになります。
解らないことは一旦忘れてみるのも一つの手です、本当に自分にとって必要なことであれば何れまたその問題に直面するからです、その時に再度考えてみればよいのです。
知りたいことをその場で考えも無しに他者に委ねるのは褒められたものではありません、委ねられた人がその話題をその時には触れたくないかもしれません、自分の欲求をそのまま出して「ずいぶん自分勝手な人だ」と知らずに嫌われることも考えなくてはいけません。
精神的に成熟した大人とは知りたいことや聞きたいことをじっと待てる人、解った時の楽しみをじっと待てる人を指していうのです。