2022年8月27日 08:00
思考や行動に関して咎めると、「余裕が無くて」という言い訳が返ってくる人がいます。
人は余裕が無いという理由からその思考や行動を行うのではないと思います、「余裕が無い」というのは事実かもしれません、しかしその思考や行動はその人が本来持っている独自の個性なのです。
人は誰しも良い人でいたいという欲求があります、経済的にも精神的にも余裕が有ると意識して隠し持った本能を表面意識でカバーすることができます。
それが経済的にも精神的にも余裕が無くなると、それを意識した脳は突然生きるための本能を優先して思考するようになります。
そこで先の隠し持った本能が表面意識でカバーできなくなり表像化するのです、これが「豹変する」という現象です。
本当に経済的に苦しくて食べるにも苦労している人が、他者に無心するでもなく何とかかき集めては僅かなお金でも返そうと努力する人もいます。
人を言葉でごまかそうとすれば遺恨を残します、人は損得を考えるという例外を除くと基本は言葉では動きません、言葉ではなく姿勢に心が動かされるのです。
自身の苦労話や辛い事実をSNSなどで訴え続ける人、読んだ人は建前でコメントを返すだけでそれに心を動かされる人は誰一人としていません。
言葉を発するだけまだ元気なのです、本当に困窮していれば言葉の一つも出ません、だから言葉が出ている人に対して重く考える必要もないのです。
「いざというとき、その人の本質が表像化する」、困窮したピンチ状況こそ本当の自分と向き合える絶好のチャンスなのです。
自分と真摯に向き合える時など長い人生のなかでそう多くはありません、「ピンチはチャンス」とは本来こういうことを指しているのではないでしょうか。