2024年8月24日 11:00
日本古来のタンポポ種と西洋タンポポ。
「日本古来のタンポポが西洋タンポポに駆逐される」などという記事が多く見受けられますが、各種の研究論文を読むと住み分けによって日本古来のタンポポ種と西洋タンポポは共存しています。
確かに、気候の影響をあまり受けない西洋タンポポが日本全土に自生しているのは確かではあります。
さて、では西洋タンポポはいつ日本に来たのでしょう?
この疑問を調べているうちに意外な事実が解りました。
じつは西洋タンポポはしっかり食用野菜として日本に持ち込まれていたのです。
1870年ごろ、アメリカのウイリアム・ペン・ブルックスという牧師がサラダ用に西洋タンポポの種を持ち込み、
札幌農学校で試験栽培していたものから種が飛び散り日本各地に広がったようです。
その30年程後に植物学雑誌に紹介された際に「セイヨウタンポポ」と名付けられ、
人々の知ることとなったようです。
なんと、明治時代に日本で食用タンポポを栽培しようとしていた人が居たのですね!
しかし何故、西洋タンポポが野菜として定着しなかったのか、
日本では西洋と違い雑草扱いとされるのか、大きな疑問が残ります。
その理由も、先のウイリアム・ペン・ブルックス氏にありました。
じつは彼は西洋タンポポ以外にも、多くの野菜の種を持ち込み、
北海道のあちこちの農家にその栽培方法などを教えたということです。
その時の野菜はキャベツやトマト、ジャガイモ、ニンジンなど数十種に及びました。
結果、タンポポよりも日本人の舌に合った野菜が多く栽培されるようになり、
悲しきかな薬効成分豊富なタンポポはいつしか人々に忘れられた存在となり野菜から雑草と化してしまったのです。
こんな歴史や事実を調べると、
尚のことタンポポを雑草から食用野菜として復活させたいという気持ちが湧いてきます。
また、西洋タンポポは非常に稀な生態を持っていました。
この生態のメカニズムが研究で解ると、西洋タンポポの繁殖力の強さと驚異的且つ強靭な生命力により、冒頭の「日本古来のタンポポが駆逐される」という事に繋がるのです。
しかし、その生態などを勘案するに、
日本古来のタンポポ種と西洋タンポポは「住み分け」によってしっかり共存していることが解ってきます。
西洋タンポポとは
決して日本古来のタンポポ種を駆逐するような品種ではありません。
その理由は、西洋タンポポ強靭さの秘密を解き明かすことにもなりました。
こちらについては西洋タンポポ強靭さの秘密でご紹介しています。
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