2022年9月 2日 01:00
「太田道灌(おおたどうかん)」、江戸城を築城した武将の道灌はあるとき鷹狩りに出かけました。
その帰り道で大雨に見舞われ、近くにあった民家に立ち寄り蓑(みの:ワラで作られた当時の雨具)を借りたいと申し入れました。
そのとき娘が近くに咲いていた「山吹」の枝を折って差し出したのです、それを見た道灌は「我は蓑を借りに来たのであって、山吹などは要らぬ」と大変怒ったといいます。
その話を城に戻り家臣の中村重頼に話すと、「殿、その娘は"七重八重花は咲けども山吹の、実の(蓑)一つだに無きぞ悲しき"という歌になぞらえ、この家は貧しく蓑をお貸しいたしたくも蓑の一つもありません、と言いたかったのでしょう」と説明したのです。
これを聞いた道灌は、自分の学の無さにより娘の心意気を理解することができなかったばかりか大声をあげて怒ってしまったと嘆き、その後学問を必死で勉強するようになったと記録に残されています。
人は恥ずかしくて言えないことを行動や例えで示すことがあります、自分のことを自慢するようで失礼だと回りくどく例えで話すこともあります。
このとき、その例えの意味が判らなかったらどうでしょうか?
相手の思いやりや心意気を理解してあげることができません、知らぬということは恥ずかしいばかりでなく多くのチャンスをも逃すことにも繋がるのです。
「できるだけ多くのファンダメンタルズ(物事の原理原則)を得たほうが良い」、というのはこういうことです、立たないウンチクもいざという時に役に立つものなのです、この世に不要な知識など何一つ存在していません。