オーディオ製品はオーディオ専門店で買うのが基本です、それは後々何かと有益なことに繋がるからです。
例えば掘り出し物の情報提供や各種のアドバイスを受けられ、更には新規購入時には下取りも高額でしてくれるからに他なりません。
通常ですと家電量販店よりも10%程度高額なのですが、安心感と各種のサービスを比較するとオーディオ専門店の方が長期的視点で考えればメリットは大きいと思います。
これまでの私の経験ですと、オーディオ専門店で自分の担当者を決めておくと更にサービスが倍増する可能性が高いです。
既に生産終了して数年経った商品を探し出してもらったことがあります、またメーカー展示品(展示だけなので新品同様)を新品価格の20%オフで紹介してくれたり、どうしても手に入れたい昔の製品をワンオーナー中古美品を探してもらったこともあります。
また、新規購入時に専用の別売ケーブルや変換アダプターなどをまとめてサービスしてもらったこともあります。
そんなオーディオ専門店の担当者は当たり前ですが人の子です、そこにはビジネスを離れたところでの人間関係が極めて重要になります。
常にこちらが有益なサービスを受けるだけでは信頼関係が構築できません、時にはその担当者のためにこちらもできる範囲の協力をしてあげるのが肝要です。
相手もビジネスですから時には厳しいノルマがあります、店を上げて特定のメーカーの在庫一掃を協力することもあります、そんなときに無理のない範囲で協力してあげることが重要です。
そういった互いに与え合うことで大きな信頼関係が築け、いざというときに大きなメリットが生まれるのです。
どんな関係性であっても互いに与え合うことの是非を問われるのは何もビジネスの世界だけではありません、全ての事象において得をしたいのであれば重要な事項です。
本格的なオーディオ製品を使って音楽を愉しむ、これはオーディオ道楽ではなくレコード鑑賞とかCD鑑賞という趣味になります。
オーディオ道楽とは音楽を愉しむと同時に音質向上や音の変化を楽しむ道楽です、したがって常にオーディオシステムが変更され固定されることはほとんどありません。
音質の変化や響き方を楽しむためには、常にアンプやスピーカーを取り替えては試聴を繰り返すからです。
私の場合は1年間同じシステムという事はほぼありません、酷い場合は毎月のように入れ替えを行っては音質の変化を愉しんでいます。
ここで重要になってくるのが体力です、ハイエンドのセパレートアンプともなるとパワーアンプが約30Kgでプリアンプでも10Kg以上はあります、これを重ねたまま移動したり設置しなければならない場合もあります。
またスピーカーもサブウーハーなどでは40Kgを越えるものもあるし、大型のトールボーイは50Kgを越えるものも少なくありません。
大型フロントタイプともなると更に重くなり、取っ手が有るわけではないので一人で移動するのは無理で大人3人がかりで行ったこともありました。
低い姿勢での設置にも相当の体力が必要となります、メンテナンスや補修でも同じでひっくり返したり宙に浮かせて底を確認したりと設置以上の体力が必要になります。
オーディオ道楽はソフトなイメージがありますが、実は筋力にものを言わせるほどに極めてハードな道楽なのです。
最近は特に道楽を行うにも健康は大事だなとつくづく考えさせられるのです、若い頃は健康とか体力とか何も意識せずに行えていたことが、歳を重ねると意識せざるを得ないことも多々あるのです。
バブル経済が崩壊して日本に経済氷河期が訪れます、そして2000年初頭に「失われた10年」という言葉が各所で使われ始めました。
この氷河期は継続し2010年には「失われた20年」という言葉と共に世界中に日本の経済氷河期が伝えられました、更に10年後の2020年には経済大国日本の失墜とまで言われた「失われた30年」という言葉が世界中で使われました。
アジア各国では、日本の失われた30年を経済失策モデルとしたリスクヘッジや危機管理の書籍が多数出版されました。
この経済氷河期といえる日本の経済状況は事実多くの企業が倒産していきました、そして新たな企業が誕生してきたわけです。
オーディオ業界もこの経済氷河期とシンクロし、業界のパワーバランス大きく塗り替えられることになりました。
この間にオーディオや映像メディアのデジタル大変革も勃発し、昨日まで繁栄したメーカーが消え昨日までくすぶっていたメーカーが台頭してきたのです。
さて、この失われた30年とシンクロしたオーディオ氷河期は多くのオーディオマニアがオーディオから手を引くようになります。
オーディオのイベントも開催されなくなり、また開催されてもガランとしていました、経済氷河期とは本当に凍り付くような寒さなのです。
オーディオマニアが狂喜乱舞した80年代後半、魅力的な製品で世は溢れかえっていました、それが90年代に入るとエントリークラスの製品ばかりとなり、更にはミニコンポが主流になってきたのです。
これではオーディオマニアが意気消沈するのも当たり前です、私は辛うじてホームシアターに趣向を大きく変えていたのでAVアンプを中心にマイペースに楽しめたのが救いでした。
また、ミニコンポの中でもそのメーカーらしい製品を見つけてはCDによるオーディオ道楽も細々と継続していました。
ただ多くのオーディオ仲間が消えていったことは、オーディオの話しをする機会を失い寂しい思いをした記憶があります。
そんな長期間の経済氷河期の中で2015年辺りからオーディオブームが徐々に回復し、オーディオ業界もようやく息を吹き返しつつあります。
生きていくには不要な道楽事こそが消費が消費を生み経済を活性化させていくのです、生活主体の消費だけでは循環こそ継続してもバブル要素が一切発生せず経済が活性化することはありません。
世に多数ある道楽、ある意味では道楽は生活消費ではなく生活に無関係のバブル消費なのです。
近未来の書店に道楽本が縦積みされ出したら、いよいよ本格的な経済復活の狼煙(のろし)が上がったと喜びましょう。
ただ私は果たして日本に再度バブル景気が誕生するかどうかということに関しては大変疑問視しています、何故なら昭和男のように給与の全てを注ぎ込み寝食を忘れて道楽事に没頭する人が昨今の日本には見られなくなっていますから。
この数年来は週一程度でスタッフとオーディオラボで家飲みしています、この家飲みですが皆さんじっと落ち着いて飲まないのです。
その理由は、今まで聴いたことのない音質に驚いてスピーカーの近くに寄って聴いたり離れてみたりと何やら興味津々で落ち着かない様子です。
そしてサックスやドラムのソロパートになると、その場で演奏してるかのようなリアルな音に反応して「はっ」とした顔をします、その表情を見ては私も愉しく飲んでいます。
先日ボーカルのリファレンスソースで使っている尾崎豊のアルバムを聴かせてあげたら、「尾崎の声ってこんなにも高かくて澄んでいたんですね」と聴き入っていました。
ボーカルの余韻やエコー領域は14Khz以上の高音域が綺麗に出ていないと澄んだボイスになりません、またウッドベースの余韻は逆に60Hz以下の低音域が綺麗に出ていないと響きません。
まあ、こういった反応をする人は確実に将来オーディオマニアになって行きます、イタリアンレストランのスタッフは昨年私の秘贓品をお店にセットアップしてから完全にオーディオの虜になってしまって、店をオープンする前と閉めた後で一人でジャズを聴いては愉しんでいるといいます。
そんなスタッフ全員にマイオーディオを選定してあげてそれぞれがマイオーディオで愉しんでいます、それぞれの趣向や生活環境を考えて組み合わせを選定する、これもまたオーディオ道楽の愉しみです。
エントリークラスとはいえ、将来スピーカーをグレードアップするだけで音質が何段階も上がるような組み合わせをそれぞれに考えました、少なくても5年は愉しんでもらえるでしょう。
オーディオ製品の原点は何処に在るのだろうか、いったい何から進化して今のオーディオの仕組みが作られてきたのだろうか、そんなことを徒然なるままに考えていました。
スピーカーの原点はやはり楽器だと思うのです、太鼓や琴に似た楽器は古くから世界中に存在しています。
この原理は、弦や皮など振動する物とその振動を共鳴させて音を大きくする構造をしています。
現在のスピーカーの原理は太鼓の音を出す原理そのものです、太鼓を電気信号によって鳴らしていると考えてもよいほど似ています、またホーン型ツイーターやスコーカーの原理はサックスやトランペットそのものです。
電気信号を増幅させるアンプの原点は間違いなくラジオでしょう、ラジオは搬送波という高周波に音声信号を乗せて空中に電磁波として飛ばし、その電磁波を受信して音声信号だけを取り出して増幅させスピーカーから音を出す仕組みからなっています。
このうち音声信号を増幅させる部分をアンプとして進化させてきたのです、そして高音質に再生させる増幅回路が多くの技術者によって考えられ世に出ては評価されてハイファイオーディオというカテゴリがうまれるようになりました。
どんなものにも原点があります、世に存在する家電製品もその原点を探ると見えなかった価値が見えてきます。
その電気製品にどんな価値を見いだせるか、それはその生まれてきた原点を訪ねてみることです。
自身が解らないという人がいます、ではその人に尋ねます、何故自分がこの世に生れて来たのかを考えたことがありますか?
自身が解らないという人ほど、何気なく日々を過ごしているだけのつまらない人生を送っている人だと思うのです。
真剣に自分が生まれてきた使命を考えることです、使命が見つかれば自身が解らないなどという愚問など一切出てこないと思います、なぜなら使命を全うすることに日々忙しいからです。
使命に気付いた人は、他者の目やどうでもよい情報に翻弄されることもなく日々自分の使命に従ってひた走るだけなのですから。
この世に存在する全てのものには意味と理由があるのです、勿論どんな人にもです、ただそれに気付いてもらえるかどうかの問題です。
それに気付き価値を最大限に引き出してくれる人と出会えるか否か、出会ったら頑なな自尊心を捨て最後まで信じて付いていけるか否か、成功する人としない人の差がこれなのです。