
「お金が無いから」、「時間が無いから」、「経験が無いから」という所謂「無いから」言い訳で妥協する人は、ビジネスでも例え道楽事であっても利益を生むことは決してないと思います。
私は妥協することは何に対しても最大の上手くいかない原因だと考えています、ことオーディオ道楽に関しても同様です、もし予算が無くて欲しいと思ったものが買えない時には買えるまで我慢して待つことです。
ここで我慢しきれずに別の安価なものを買ってしまうと、後悔だけが残って本当の喜びの中で音楽を愉しむことはできないでしょう。
欲しかったものが手に入った喜びは大きいです、更にそれを使い続けて大切にするから壊れることもなく長年使え、その結果余計な出費が無くなり結果お金も貯まるというものです。
どんなことに関しても自分の思ったような結果が出ない人というのはどこかで妥協してしまっているのです、一事が万事で道楽事に手を抜いたり妥協する人はビジネスでも人間関係でも上手くいかない人なのです、道楽の姿勢を見れば人生に対する覚悟と姿勢が解るということです。
何故こんな話になったのかということなのですが、オーディオ道楽復活後に新規に組むシステムや購入において妥協しなかった結果、後悔も無く無駄なお金が出て行かずに済んだのです。
書斎のデスクトップオーディオではイマイマのD級アンプで妥協しなかった結果、手持ちの機種で全て事が足りてしまい、しかも音質は大満足のシステムが組めました。
デスクトップオーディオもコンパクトに取りあえず愉しめればいいやと妥協せずに本格的な音質を追求した結果、試験的に音質を確認する為の費用は出ましたがシステムの多くは封印前の状態が最適だと再確認でき結果的に少ない費用で構築できました。
妥協は後悔が残るだけです、何事も妥協せずに追求するに限ります。

オーディオ道楽復活でオーディオショップに出向くことも多くなりました、そんなオーディオ専門ショップの奥の方には必ずと言っていいほど中古販売のコーナーが設けられています。
そういった中古販売コーナーで、ふと見つけた自分が昔愛用していた愛機を見つけると懐かしさが込み上げてきます。
そして改めてうすら覚えの記憶が修正されます、使っている時には細かな機能のことまで記憶に在りません、でも改めて再会すると冷静にその機種を再評価できます。
あと中古なのに当時の販売価格以上の機種もあり、とても複雑な気持ちになります。
再度手元に置きたいと思う機種もあります、本当に縁が在るものならどこかで何れは手元に来るでしょう。
こういった40年以上も前に愛用していたものに再会できるのはオーディオ製品くらいだと思います、他の家電ではほぼ不可能ですから。
昨今は愛機が再度手元に来る日を待ちながら今はオーディオ道楽の復活を愉しむ毎日です、機種そのものも懐かしいのですが当時の状況などを思い出すのもまた感慨深いです。
私の人生、絶好調の時も挫折した時も常にオーディオがそこに在りました。

おそらく家電の中で骨董価値が出るのはオーディオ機器くらいではないでしょうか、とは言え骨董価値が認められるのは一部の製品だけですが機種によっては40年以上も経って当時の発売価格の5倍以上の値が付いているものも存在しています。
いったいオーディオ製品の骨董価値とはどんな価値なのでしょうか、骨董価値を認められる多くの製品はアンプです、それもハイエンドのセパレートアンプに多く存在しています。
セパレートアンプの多くは当時の最新技術を駆使し、更には独自に部品を開発したものも多く存在しています。
その音質はその回路と独自部品によって最終的に得られるものであり、代替えできるものは現在では存在していません。
つまり、その製品の音を求めるならばその製品を使うしかないのです、これがオーディオ機器の骨董価値だと思うのです。
オーディオコレクターの中には100台を超えるアンプをコレクションしている人もいます、まるで壺や茶碗のような感覚なのでしょうか?
ただ壺や茶碗と異なるのはオーディオは音を愉しめる骨董品であるという点です、見えない音を見える形にして残しているアンプ、音のコレクターが存在してもおかしくはありません。
現在オーディオ界はデジタル時代にあっての空前のアナログブームが到来しています、アナログ全盛時代の真空管アンプやレコードプレーヤーを求める人が増え40年以上も前のオーディオ骨董品が高値で取引されているのです。

私が現在所有しているオーディオ製品はセットものも1点としてカウントすると約150点ほどですが、意識して「コレクション」として差別化しているものはアンプだけで40点ほどです。
では私の中で「コレクション」として意識している製品と、そうでない製品の違いはなんだろうかと新ためて考えてみたのです。
この意識の差はあまり明確に自身の中に在るわけではないのですが、「コレクション」は普段使わずにあくまでも大切に保存しておきたいビンテージものや自分の中での思い入れの深い製品だと考えています。
したがって何があっても下取りには出さず、例え壊れてもジャンク屋には売らずに修理に出してまでも完動状態で手元に置いておきたいと考えています。
過去ビンテージものを修理に出したら最新の機種を買えるほどの費用がかかったこともありますが、それでもその音は今では買えないのですから貴重なのです。
対して「コレクション」と意識していない製品は、普段からメインやサブシステムの現役機や各種実験などのツールとして常に稼動させています、また壊れたらショップから購入する際にジャンクとして下取りに出してしまうでしょう。
オーディオ製品は今では勝手に廃棄できないのです、なので例え0円でも下取りしてもらう方がお徳なのです。
意識とは裏腹にオーディオ製品は使われてはじめて価値が出るという考えもあります、オーディオ製品からしてみればいったいどちらが嬉しいのでしょう?
何れにしても自分の中ではきっちりと区別しているようです、ただコレクションアイテムも現役で使用している機種もツールとして便利に使っている物も、私にとってはとても大切なものだというところだけは共通しているようです。

オーディオ技術も時代と共に大きく進化し、そして常識も180度ひっくり返るようなことが起きます。
70年代中盤に起こった日本のオーディオブーム、当時は大型のスピーカーユニットを使って大きな面積で音を出すことが低音再生の基本でした、つまり面の時代です。
その後、マグネットやコーン紙の技術の進化により、またエンクロージャー技術の発展が加わり、小型でも低音域が綺麗に出るスピーカーが続々と誕生してきます。
面で空気を振動させるのではなく空気圧の押し出す力で空気を振動させるのです、更にその空気圧をエンクロージャーで共鳴させ有効に使う方式が多数編み出されてきます。
近年では小型スピーカーユニットを使い、一つの点から全ての音が発せられるのが良いという楽器と同じ原理を再現するようなスピーカーシステムが多数誕生してきています。
それに連れスピーカーがどんどん小型化し、狭い空間でも高音質で試聴できるようになってきたのです。
時代と共に技術が進化し常識が覆ってくる、どんな世界でもそうですがオーディオも多分にもれず時代と共に常識がどんどん変化していきます。
その技術の進化や常識の変化を積極的に愉しめる人もいれば、その進化や変化についていけない人もいます。
これもまたビジネス思考と極めて酷似していると思わざるを得ません、道楽での思考は確実にビジネスにも現れるようです。