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オーディオ道楽復活でオーディオショップに出向くことも多くなりました、そんなオーディオ専門ショップの奥の方には必ずと言っていいほど中古販売のコーナーが設けられています。
そういった中古販売コーナーで、ふと見つけた自分が昔愛用していた愛機を見つけると懐かしさが込み上げてきます。
そして改めてうすら覚えの記憶が修正されます、使っている時には細かな機能のことまで記憶に在りません、でも改めて再会すると冷静にその機種を再評価できます。
あと中古なのに当時の販売価格以上の機種もあり、とても複雑な気持ちになります。
再度手元に置きたいと思う機種もあります、本当に縁が在るものならどこかで何れは手元に来るでしょう。
こういった40年以上も前に愛用していたものに再会できるのはオーディオ製品くらいだと思います、他の家電ではほぼ不可能ですから。
昨今は愛機が再度手元に来る日を待ちながら今はオーディオ道楽の復活を愉しむ毎日です、機種そのものも懐かしいのですが当時の状況などを思い出すのもまた感慨深いです。
私の人生、絶好調の時も挫折した時も常にオーディオがそこに在りました。
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おそらく家電の中で骨董価値が出るのはオーディオ機器くらいではないでしょうか、とは言え骨董価値が認められるのは一部の製品だけですが機種によっては40年以上も経って当時の発売価格の5倍以上の値が付いているものも存在しています。
いったいオーディオ製品の骨董価値とはどんな価値なのでしょうか、骨董価値を認められる多くの製品はアンプです、それもハイエンドのセパレートアンプに多く存在しています。
セパレートアンプの多くは当時の最新技術を駆使し、更には独自に部品を開発したものも多く存在しています。
その音質はその回路と独自部品によって最終的に得られるものであり、代替えできるものは現在では存在していません。
つまり、その製品の音を求めるならばその製品を使うしかないのです、これがオーディオ機器の骨董価値だと思うのです。
オーディオコレクターの中には100台を超えるアンプをコレクションしている人もいます、まるで壺や茶碗のような感覚なのでしょうか?
ただ壺や茶碗と異なるのはオーディオは音を愉しめる骨董品であるという点です、見えない音を見える形にして残しているアンプ、音のコレクターが存在してもおかしくはありません。
現在オーディオ界はデジタル時代にあっての空前のアナログブームが到来しています、アナログ全盛時代の真空管アンプやレコードプレーヤーを求める人が増え40年以上も前のオーディオ骨董品が高値で取引されているのです。
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私が現在所有しているオーディオ製品はセットものも1点としてカウントすると約150点ほどですが、意識して「コレクション」として差別化しているものはアンプだけで40点ほどです。
では私の中で「コレクション」として意識している製品と、そうでない製品の違いはなんだろうかと新ためて考えてみたのです。
この意識の差はあまり明確に自身の中に在るわけではないのですが、「コレクション」は普段使わずにあくまでも大切に保存しておきたいビンテージものや自分の中での思い入れの深い製品だと考えています。
したがって何があっても下取りには出さず、例え壊れてもジャンク屋には売らずに修理に出してまでも完動状態で手元に置いておきたいと考えています。
過去ビンテージものを修理に出したら最新の機種を買えるほどの費用がかかったこともありますが、それでもその音は今では買えないのですから貴重なのです。
対して「コレクション」と意識していない製品は、普段からメインやサブシステムの現役機や各種実験などのツールとして常に稼動させています、また壊れたらショップから購入する際にジャンクとして下取りに出してしまうでしょう。
オーディオ製品は今では勝手に廃棄できないのです、なので例え0円でも下取りしてもらう方がお徳なのです。
意識とは裏腹にオーディオ製品は使われてはじめて価値が出るという考えもあります、オーディオ製品からしてみればいったいどちらが嬉しいのでしょう?
何れにしても自分の中ではきっちりと区別しているようです、ただコレクションアイテムも現役で使用している機種もツールとして便利に使っている物も、私にとってはとても大切なものだというところだけは共通しているようです。
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オーディオ技術も時代と共に大きく進化し、そして常識も180度ひっくり返るようなことが起きます。
70年代中盤に起こった日本のオーディオブーム、当時は大型のスピーカーユニットを使って大きな面積で音を出すことが低音再生の基本でした、つまり面の時代です。
その後、マグネットやコーン紙の技術の進化により、またエンクロージャー技術の発展が加わり、小型でも低音域が綺麗に出るスピーカーが続々と誕生してきます。
面で空気を振動させるのではなく空気圧の押し出す力で空気を振動させるのです、更にその空気圧をエンクロージャーで共鳴させ有効に使う方式が多数編み出されてきます。
近年では小型スピーカーユニットを使い、一つの点から全ての音が発せられるのが良いという楽器と同じ原理を再現するようなスピーカーシステムが多数誕生してきています。
それに連れスピーカーがどんどん小型化し、狭い空間でも高音質で試聴できるようになってきたのです。
時代と共に技術が進化し常識が覆ってくる、どんな世界でもそうですがオーディオも多分にもれず時代と共に常識がどんどん変化していきます。
その技術の進化や常識の変化を積極的に愉しめる人もいれば、その進化や変化についていけない人もいます。
これもまたビジネス思考と極めて酷似していると思わざるを得ません、道楽での思考は確実にビジネスにも現れるようです。
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最近のテレビコマーシャルやバラエティ番組のバックミュージックの多くに、私が大学時代や社会人になりたての頃に流行したモダンジャズがよく使われています。
こういったバックミュージックを聴くたびに当時を思い出すのですが、何故今こんなにも昭和な音楽が復活しているのでしょうか?
これはあくまでも推測ですが、近年の製作プロダクションの最高責任者の多くが私と同年代の人達です。
つまり当時のジャズは若者が未来しか見ていなかった高度成長期の時代の象徴であり、自分もよく聴いていた懐かしの音楽を選んでいるのだと思うのです。
そして当時のジャズやロックの多くが既に著作権がありません、つまり無料で自由に使えるのも後押ししているのでしょう。
その意味ではオーディオアンプのデザインも懐かしいデザインが復活しています、ヤマハは特にこれが顕著でここ数年のプリメインアンプのデザインは70年代の同社プリメインアンプのデザインそのもので70年代の同社プリメインアンプが最近の斬新なデザインのアンプのように思えてしまうのです。
こういった文化や学術の時代を越えた復活を「先祖返り」と呼ぶのですがファッションにも通じるようです、時々私が大学時代に流行ったファッションを身につけている若い人を見ると50年間の時代錯誤を起こしてしまうことがあります。
テレビなどでも取り上げられていたのですが、若い頃の両親や祖父母が着ていたファッションを写真などで見てかっこいいと感じてしまうようです。
時代は繰り返すと言いますが、まさかオーディオ文化が50年前に戻るとは流石に考えたことも無かったです。
そう言えばレコードやカセットテープ、更にはオープンテープやビデオテープなどのアナログ媒体も復活しています。
国民総貧困時代、でも皆が未来を見て強く逞しく生きていた元気で健全なる古き良き昭和の時代、そういう国民総前向き時代の文化の復活は大いに歓迎すべき社会現象なのかもしれません。
そしてオーディオ道楽復活で改めて驚いたのが、70年代~80年代のアンプの中古価格の高騰です。
名機と謳われた多くは当時の発売価格を上回り、当時誰も見向きもしなかったアンプまでも高値で取引されているのです。
ビンテージアンプコレクターの私としてはコレクションを売る気は一切無いので高騰しようが暴落しようが関係はありませんが、コレクションの価値が上がることに対して決して嫌な気持ちにはなりません。
古き良き時代の日本のオーディオ技術の崇高さ、現代の若い人が実際に手にして感動することは実に歓迎すべきことだと思います、こういった生きた善き経験を通した人が次代の日本のオーディオ技術を支えていくのです。
「感動」はどんな経験にも勝る明るい未来を切り開く原動力となります、何歳になっても日々感動して過ごしたいものです。
感動を通して右脳は活性化し肉体も精神も若返ります、感動することを忘れた人間の脳は老化し衰退していくだけです。