成功者と成功していない人を観察しているうちに法則のようなものが見えてきます、例えば成功者は利益に繋がる人にはどんどんお金を継ぎ込みますが一銭にもならない人には一円も使いません、ところが成功していない人は利益にならない人にお金を継ぎ込んでは未来に有益になる人に出し惜しみしています。
例えば成功者は話すタイミングを相手の波動とシンクロさせています、ところが成功していない人はいつも自分の気持が優先で相手の波動を無視しています、例えば成功者は動かないときには寝たふりを決めて一切動かず、ここぞの時にはどこにそんなパワーを潜めていたかと思うほど複数同時に一気に進めます、ところが成功していない人は何時も同じペースでメリハリが無く、ここぞの時が感じ取れないのか普段と変わらぬ行動に始終します。
例えば成功者は信頼できる人からの情報だけを信じて即行動に移します、だから信念がぶれることもなく無駄なエネルギーやお金を使いません、ところが成功していない人はいろんな人から情報を得ては悩みながらも行動します、だから信念に一貫性が無く他者に翻弄されては無駄なエネルギーとお金を使って結果何も生みません。
例えば成功者は常に成功者がいる空間を好み、学び多い会話の場を楽しみます、ところが成功していない人は特別な生き方ではなく極々平凡な庶民感覚の人がいる空間を好みます、そして神経質な話しを避けては井戸端会議の場を楽しみます。
成功を1度でも経験している人とそうでない人は何故こんなにも思考と行動に差がでるのでしょうか、誰を選び誰を信じるのか、そして優先すべき事項は何か、成功者とそうでない人の差は自身の周りの気の流れを敏感に感じとり常に冷静に正しい判断ができるかどうか、結局そこだけなのです。
成功した後にやりたいことをやって会いたい人と会っても決して遅くはないです、その時には先々の不安もないしお金の心配もないのですから真の自由気ままな生活を手に入れることができるのです、人生のほんの数年間だけ自我を抑えて試練に耐えた者だけが結果的に成功を収め、そして一度経験した成功法則の肌感覚はどんなときにも忘れることはありません、だからどんなときでも自然に身体が動きトラブルを避け上手くいく方向へ進めることができるのです。
成功した喜びは成功した人だけしか真に理解することができないのです、だから一度で良い、偶然でも良い、他力本願でも良い、できるだけ若いうちに一度は成功を経験しておいてほしいのです、常に存在感を示し自信たっぷりの余裕の姿勢、これもまた一度でも成功すればしっかりと身につくものなのです。
「成功したことが無い」というフラストレーションとコンプレックスは歳と共にどんどん小さくまとまるようになり還暦を越える頃には周囲にビクビクして生きるようになってしまいます、その反動からくる常に上から目線の話し方やナルシストな姿勢は痛々しいほどに惨めです。
「このご恩は必ずお返しします、約束します」などと言葉だけは綺麗事を並べ立てるけれど、その後音信不通になる人は過去何人もいましたし思い出すこともありません、仕事を作ってあげて他社の数倍の価格で業務を行ってもらったり、個人的な貸し付けも多数行ってきました、そして冒頭の言葉を言うのですが守った人は皆無です。
私は他者と約束する時には必ず3つの項目を明確に示します、その3つとは「何を」・「何時までに」・「どのように」です、例えば起業直後にビジネスパートナーとして契約する人には、「オリジナルの事業確立を5年以内に達成し、事業収益で生活できるまでは私が仕事を出して生活を保障する」という具体的事項を事前に示します、そして最後まで信じ切れた人は本当にその通りの状況になります。
冒頭の約束事の言葉には3つの項目のうち「何を」だけで残りの2つは入っていません、だから信用もできないわけです、その場の思いつきの言葉を発しているのでしょう、例えば金融機関から融資を受けたとしましょう、その契約書には必ず約束事が書かれています、それが先の3つの項目です、融資であれば「返済総額」・「期間と期日」・「毎月の返済額と利子」が「何を」・「何時までに」・「どのように」となるわけです。
約束事項が明確になっていない「約束もどき」、それを信用しろと言われてもとうてい無理な話しです、自分だけはそのつもりでいても未来のことは明日どうなるかも解りません、軽々しくも「約束します」などと言わないことです。
そして「恩」を「お金」に繋げて考える人に「恩を返す」ということ自体が無理です、その人が何を優先して見ているのかが明確に解る瞬間です、自身のミスや身勝手な行為で損失が生まれる度に「請求して下さい」で済まそうとする行為も先の「恩」と「お金」を繋げて考える思考からきているのでしょう。
テレビ番組の「大喜利王座決定戦・IPPONグランプリ」で過去こんな痛烈なお題がありました、それは「自分のコネを最大限に使うと何が出来ますか?」というものです、このお題の何が凄いかというと質問をされた瞬間にこれまでの自分の生き方の全てが問われることになるからです。
コネというのは有益な人脈でありお願いすればそれを確実に実行してくれる人達です、こういった有益な人脈をどの業界にどれだけ得ているか、これによって自身のこれまでのやってきたことやそれによって得られた人脈が全て露見してしまうのです、これは即ち自分の生き方を明確にされてしまうという怖さを持っている質問なわけです。
私が常に言う「人脈は数の多さではなく質の高さだ、たった一人でもいいから本当に有益な人から信頼を得ろ」ということも明確に理解できるでしょう、そして「お金が無くても毎日愉しく暮らしていける」という意味もここに含まれますが、この真意を理解できるのはほんの僅かな人かもしれません、さてこの質問をあなたにぶつけたら何と答えますか?
ここ最近週末の人出は新型コロナウイルスパンデミック以前よりも凄いのではないかというくらいに夜中までごった返し状態です、こういった突然我慢の限界が切れたように人出が回復する状況は過去にも多数ありました、先の東日本大震災の後の「自粛」もそうでした、一時的に街中の明かりが真っ暗になり何処も人の気配が消え静まり返っていました。
しかしある期間が過ぎると何事も無かったかのように人出が一気に戻りました、日本人は変化への順応速度も世界一だと思いますが我慢の限界日数の少なさも世界一ではないかと思えるほど瞬間的に平常に戻ります。
これが日本の復興の早さの原動力なのかもしれないとさえ思えます、押し並べて日本人は何かを長期間継続させることができない傾向があります、また極めて飽きやすいとも言えます、あらゆるブームの浸透と消滅の早さを見ても頷けます。
ここで一つ言えることは成功する人は一度何かを始めたら理想とする結果が出るまで我慢強く継続させることができるストイックな人であるということです、そしてもう一つ「他者と同じことをやらない」という自己抑止力が半端無く強い人が成功するのです。
「情弱者」とは正確には「情報弱者」であり昔は山奥に住んでいてテレビの電波が届かない人や経済的余裕が無く情報を得ることができない人を指して呼んでいました、近年では誰もがあらゆる情報を得られる時代です、この時代の情弱者とは「正しい情報を得て正確に物事を理解できない人」を指して言うようになりました。
特にビジネス手法やマーケティング手法などで過去の古くなったものを未だに稼ぎ出せるものとして固執している人などはそう言わざるを得ません、本人だけのことなら何の問題もありません、ただその人を信じてついていく人は何年経っても効果が出ることもなく路頭に迷うことになるでしょう、何れにしても自己責任ですから結果においては誰の責任でもないのですが世の中の情報通と思われている人ほど結果的に情弱者になっている事実が多いと思う昨今です。
情弱者にならないためにはどうするか、それは常に世に溢れている情報を一旦は疑うことです、そして自身の目と心で見えない情報を正確に得て精査することです、特に近年ではIT技術の進歩は秒速になってきています、世の中の多くの仕組みがIT化され1年もボーっとして暮らせば浦島太郎になってしまうでしょう。
IT業界にどっぷり浸かっている私でさえ朝晩の最新技術とマーケティングの情報収集にそれぞれ2時間以上は費やしています、常に正しい情報を得て正しい判断さえしていればおそらく楽しく人生を送れることだと思います、なぜなら不労所得を得るのに本当に良い時代になっているのです、今の時代に労働収益をもって生活を考えるのは遇の骨頂です。
これから先の時代はどうやって好きな事をやっていながら生活を維持し続けることができるのかを真剣に考え実行する時代なのです、本当にこれを真剣に考えている人は達成するまでは死に物狂いで勉強し努力を惜しまないのです、それが実現した暁には成功者として本当の天国が待っているのですから。
何故そう言えるのか、40年の経営経験で過去2回も5年以上にも渡る不労所得状況という我が世の春を作り上げた実績があるからです、これが最大の根拠です、今でも当時の社員の間では伝説になっているようで会えば当時の話しで盛り上がります、50人以上もの社員全員が何の苦労もせずに収益活動を一切せずして毎日のようにどんどん売り上げが上がったのですから、「我が世の春」と言っても過言ではないと思います。
それを達成するまでは社員一丸となっての2年以上にも渡る徹夜状態という過酷な日々があったことも忘れません、こんな時代にあって当たり前のように休みをしっかり取って毎日ボーッと暮らしている人は周囲が我が世の春を満喫しているときに一人苦労することになるのです、これも経験上はっきり言えることです。