2024年6月 7日 07:00
私の年代は団塊世代と団塊ジュニア世代に挟まれた人口比率が少ない世代で若いころから何かと団塊世代と比較されてきました、そんな私の世代につけられた面白い呼び名が「ウルトラマン世代」というものです、確かに小学生のころにウルトラQがテレビ放映され、その後ウルトラマンが誕生しウルトラマンシリーズは一世風靡しました。
また若いころは何かにつけてマスコミが使った言葉が「三無主義世代」というものです、先日思い出して調べてみたら1970年ごろに流行った言葉で無気力・無関心・無責任の若者気質を指した言葉のようです、加えて無感動を入れて「四無主義世代」というのも有ったようです、またこの気質を指した世代言葉として「しらけ世代」とも呼ばれました。
まあ考えてみても解るような気がします、私の大学生時代はほんの数年前まで学生運動が盛んだった時代です、いきなりシャレたトラッドやアイビーファッションに身を包んだやる気のない若者がぞろぞろ出てくれば、そのギャップから確かに「しらけ世代」といわれて仕方ありません。
ここで何が言いたいか、それは若いころの生活環境や世の中の環境って確実に人間を変えていくのだなということです、最近言われる「ゆとり世代」は団塊世代からの「しらけ世代」と団塊ジュニア世代からの「ゆとり世代」、競争時代の終焉に育った世代は押し並べて気質的にはよく似ているのかもしれません。
世代人口が多いと必ず生まれるのが競争原理です、他者を出し抜いても自分の生きる方法を模索するようになるのが自然摂理なのです、そしてそれぞれの時代の象徴ともいえる人が社会に出て次の時代を作っていくのは確かです、そういう意味では今後の日本は団塊ジュニアが経済の中心になってきます、世帯の経済格差が広がりビジネスでは他者を意識して競争激化する時代がしばらく続くのかもしれません。
世代感はどうでもよいのですが何時の時代も自身の夢を実現させていくような人は若いころから世代の象徴的人間像には属さないということです、成功者って常にマイノリティなのですからマジョリティに染まれば「抜き出ている」とは言わないわけです、そしてそこには成功というステージも無いのです、自身の夢を実現し自分らしく生きたいなら俗世に染まらないことです。
つまり世間一般の人がやっている事をやっているうちは何を言おうがかっこつけようがどんなにパッションを振りかざそうが結局は周囲に翻弄され他者動向に敏感な俗世の人で終わるということです、起業家とは「俗世から脱却したいから自立する」という目的が在る人なのだと思うのです、だからそういう起業家が俗世の人と同じことをやっている昨今の事実に大きな違和感と疑問を感じて仕方ないのです、まさか起業そのものが「みんながやってるから」という周囲に翻弄されたものではないと信じたいと思います。