
50年以上も前から存在するオーディオ神話に、「ジャズはJBLで、クラシックはタンノイで聴け」というものがあります。
JBLはアメリカ発祥のスピーカーメーカーでタンノイはスコットランド発祥のスピーカーメーカーです、どちらもスピーカーメーカーとして早くから世界ブランドを確立しファンを二分してきたスピーカーの一大世界ブランドです。
確かに軽快に鳴らすJBLのスピーカーはジャズやロックに向き、繊細な音でゆったり鳴らすタンノイのスピーカーはクラシックに向きます。
また定説の補足的に存在するのが、ジャズの本場はアメリカでJBLは楽器奏者にもPAを通して親しまれてきてジャズやロックに必要な音を知っているからというのがあります。
同様にタンノイは、ヨーロッパで生まれた多くのクラシック音楽に精通した音作りをしておりクラシックに向くのも確かな根拠があります。
こういった定説を鵜呑みにして自身で経験していない人は多いと思います、つまりJBLでクラシックをタンノイでジャズやロックを聴いてみたことがあるのでしょうか?
実際に聴いてみるとJBLでのクラシックもタンノイでのジャズも全然悪くない音で鳴ってくれます、そもそもですが世界ブランドを確立するような製品はジャンルを特定して開発しているわけではないのです、良い製品はどんなジャンルの音楽も綺麗に鳴ってくれるのです。
メーカーの目指すものとそれを使う側の求めるものが違ってくるのはどの業界にでもあります、おそらくですがスピーカーユニットの音そのものよりも外見から来る偏見的なものが多いのではないかとさえ思うのです。
JBLを不動の世界ブランドに押し上げた製品に1957年発売のD44000(俗称パラゴン)があります、幅2メートルの左右一体となったまるで家具のようなスピーカーで家具職人が1台ずつ手作業で作り上げます。
日本に初めて上陸したのは1965年で170万円でした、現在でも内外をオーバーホールされた完全なものだと中古でも300万円ほどで取引されています。
その後にはミニチュア化させたミニパラゴンを多くのマニアが設計図を基に手作りで作成し、それが世に安価で出回っています。
このパラゴンはクラシックファンに親しまれた製品です、そしてパラゴンに使われていたスピーカーユニットがその後のJBLスピーカーユニットの系譜を作っていったのです、つまりJBLスピーカーでクラシックも綺麗に鳴らすことができて当たり前なのです。
同じようにタンノイでジャズやロックを聴く人も居ます、そもそもヨーロッパでもジャズやロックフェステバルが数多く開催されファンも多いのですから当たり前なのです。
定説も良いけど囚われてはいけません、でも確かにジャズはJBLとかアルテック、日本製ではダイヤトーンとかオンキョーのスピーカーを使い大音量で鳴らすと音の響きは最高なのです。

10年ぶりにオーディオ道楽を復活させ、以来毎日のように世の中の最新オーディオ情報を得るために雑誌の購読やネットなどでの情報を愉しみながら得ています。
オーディオの世界は私が封印していた10年間に大きく変化していました、まず驚くのがオーディオの世界も二極分化を起こしており低価格のエントリークラスの製品と高価格のハイエンド製品に製品化が集中しており、ひと昔前のミドルクラスに製品が集中していた時代とガラリと変わっています。
つまり売れ筋がエントリークラスとハイエンドということになります、ただどうしてもそれが欲しい場合は別として見栄だけでハイエンド製品を買うのはどうかと思うのです。
静かな地方の広い部屋で高音質のSACDでクラシックを聴くのであればハイエンド製品は充分にその存在感を示してくれます、でも騒音の響く都会の狭い部屋でハイエンド製品を買ってもその価値を出せずに無駄な出費となります。
それよりも都会であればエントリークラスの製品を買って音楽ソースにお金を回す方が余程オーディオを大いに楽しめるのではないかと思うのです、オーディオは気楽に楽しめる方が良いです、下手にハイエンドの高級オーディオを買うと楽しむ前に本当に気を使ってしまいます。
友人を呼んでの家飲みなどは難しいでしょう、過去に社員などと家飲みして翌朝アンプやスピーカーにアルコール類の飛んだ後や油成分での指の跡などがべったりついていて、その汚れを落としながら気が滅入ってしまったことがあります。
パーティを行う部屋に置くオーディオ製品は汚されても壊されても気にならないものが一番いいです、そういう意味でオーディオルームのメインシステムとパーティを行うリビングのセカンドシステムを綺麗に使い分けるのも一考です。
勿論リビングのセカンドシステムは汚されても壊されても良いというわけではありませんが、自分自身が酔って汚してしまうかもしれません。
オーディオシステムの使い分け、製品も二極分化なら使い方も二極分化で対応するのがよろしいようです。
これオーディオDIYの記事で取り上げるほどの製作なのかな?
フォステクスの10CmフルレンジスピーカーP-1000Kを、フォステクスのP-1000K専用エンクロージャP-1000Eに取り付けてみました。
「かんすぴシリーズ」の最上位製品で本来は小型デジタルアンプも付いたDIY入門者向けセットですが、数千円の安価なデジタルアンプは不要なのでユニットとエンクロージャの単品をそれぞれ別々にネットショップで購入しました。
左右ペアセットで送料込みで1万円程度、DIYオーディオ超初心者向けとして手軽にオーディオDIYを楽しむスターターキットとしてはお奨めの製品です。
フォステクスP-1000K 10Cmフルレンジスピーカーユニット

フォステクスP-1000E 組み立て済み専用エンクロージャー

ユニットの結線に半田付けは不要で、端子をカチっとはめて後はネジでユニットを固定するだけで終わりです、1台当たり5分もかからず完了してしまいます。
最も時間がかかったのが、ユニットをまっすぐに固定するための予備穴マーキングです、これでDIYキットといえるのかは疑問が残るところです。
夏休みの工作で、お子さんにスピーカーを作る喜びを教えるには良い教材かもしれませんが、大人にはちょっと物足りなさ過ぎて面白味がないです。
あっという間に完成!


自動車や家電などではオーバーホールというメンテナンスサービスが存在しています、オーバーホールは医療でいう蘇生手術と同様で古い機種を全て分解して悪い個所や部品を直しながら新品の時と同様の性能が出るようにするサービスです。
例えば、40年以上経ったボロボロになったアンプが当時の元気な姿で再度使用できるようになるのです。
フルオーバーホールされたサンスイAU-6500
綺麗に傷防止テーピングや湿気防止のラッピングされて戻ってくる

この究極のメンテナンスとも言うべきオーバーホール料金が半端じゃありません、技術者が全て手作業で行いますので当然かもしれませんが、既に手に入らない部品まで手に入れて交換するのですから手間と時間を考えれば相応の料金だと思います。
交換された部品は、このように別袋に入って付いてくる
これは、何をどれほど交換したかというエビデンス
今回はトランジスタとレギュレーション用サイリスタが交換されたようだ

そんなニーズが昨今多くなったのか、オーディオメーカーを引退した人が細々と個人事業主として行っているケースもあり、メーカーよりも安価で丁寧に対応してくれますので好評のようです。
概ねですが70年代のミドルクラスのプリメインアンプですと購入価格以上の費用がかかることもあります、したがってオーバーホールされた名機は当時の定価の倍の中古価格であっても決して高くはないのです。
普通なら買い替えたほうが良いと考えるのですが、70年代の音はどんなにお金を積んでも今では手に入らないのです、音の価値とはこういうことです。
スピーカーやアンプは音の媒体にすぎないというのが私の持論です、したがって価値があるのは音そのものなのです。
その価値ある音を得るためにお金を払う、そんな考え方をすればオーバーホールで現在に無くしてしまった音が蘇るのであれば願ったり叶ったりです。
またオーバーホールに出すと基板のクリーニングや錆びついたトランスも綺麗にペイントされて戻ってくることもあります、コネクタもつまみ類もピカピカ、スイッチ類の接点不良なども全て綺麗になって帰ってくるのです。
オーディオ製品は機械ですが大病を患って入院し元気になって退院するという、まるで生き物のように感じてしまう瞬間です。
サンスイ指定業者でオーバーホールした検査合格証
いまだに当時のサンスイのシールが使われているなんて・・・


1985年に始まった世に言うアンプ798戦争、その終焉はバブル景気の終焉と重なり90年代初頭でした。
その後各社の主力ミドルクラスの価格は上昇し始め10万円前後で落ち着きを見せ始めました、どう考えても798戦争時代の主力製品はそもそも10万円前後でもおかしくないスペックだったのですから当然の結果とも言えます。
さて798戦争で圧倒的な強さを誇った勝者はサンスイでした、次から次へと斬新な回路を引っ提げては新機種を出し続けソニーやオンキョーの追従さえも許しませんでした。
そんなサンスイも90年代に入ると価格を上昇させ初めます、それでもトップの座を90年代中盤まで継続させたのだから凄いです。
ところが誰しも20年間続けているサンスイの牙城が継続すると思われていた1996年に思わぬ伏兵が台頭してきます、それはソニーでもオンキョーでもなく798戦争時代にマイペースにデジタル化への移行やホームシアター向けのAVアンプに注力していたデノンだったのです。
当時のサンスイの7シリーズの前衛隊長はシリーズ20周年記念モデルAU-α607MR(10万円)、これに対抗すべくデノンが擁立したのはPMA-2000(1996年発売、10万円)で価格も宣戦布告の意図が丸見えの同額としています。
90年代に入るとサンスイもブラックフェースからシャンパンゴールドに変え大人しいイメージに変貌しています、デノンは伝統のちょっと黄色が強めのシャンパンゴールドに加えデザイン面でもPMA-2000は新しい時代の幕開けを予見させるような洗練された感じを受けたのは確かです。
更にジャンルを選ばないオールマイティな音質は、バブル景気が終焉した後のジャズやロックファンにも受け入れられたと思われます。
バブル景気が終焉すると日本中が祭りの後のように全てに冷静さを取り戻し始めます、こういった精神的な意味でも豪快な音質よりもマイルドな音質が好まれる傾向に当時はなっていったのではないかと推測しています。
そしてデノンPMA-2000は同社のハイエンド名機S1のテクノロジーをダウンサイジングしたスペックで空前の大ヒット&ロングセラー作となり、AVアンプと合わせてデノンは一気にアンプのシェアを拡大していったのです。
思わぬ伏兵の台頭に慌てたサンスイは、翌年の1997年に7シリーズにNRAを投入しますがデノンの快進撃を止めることはできませんでした。
このNRAは後にジャズファンのマニアから、「サンスイがサンスイサウンドを捨てた愚作」とまで言われる始末でサンスイも音質戦略を変えずにいられなかったということでしょう。
こうして20年以上続いたサンスイのオーディオ界における牙城が脆くも崩れたのです、その後のサンスイの衰弱はあまりにも急速で悲惨なものでした、ハイファイオーディオだけでなく当時流行りのミニコンポもAVアンプも何を出してもトップの座を奪還することは無くあっという間に経営危機に見舞われていったのです。
ミニコンポのジャンルでは既にオンキョーやケンウッドが強固な要塞を固めていました、またAVアンプではデノンが先導しソニー・ヤマハ・オンキョーがピタリと追従していました。
この一連の騒動、どんな業界でも時代の流れを見誤るとあっという間にトップの座を追われるという教訓として私の胸の奥に何時までも存在し続けています、良い状況のときほど慢心せずに更に気を引き締めろということでしょう。