バブル絶頂期の頃にクラブのママさんに聞いた話しをときどき思い出します、「突然来なくなるお客さんがいるんだけど、後で一緒に来ていた人に聞くと会社が倒産して夜逃げしたって・・・、そういう人が数年後に再び戻って来ることがあって顔つきから仕草まで別人のように立派になって、同じ人とは思えないのよ・・・」。
話は変わって、私はよく「穴に落ちるならでっかい穴に思いっきり落ちろ決して縁にしがみつくんじゃない!」と言います、でっかい穴から這い上がった人は人が変わったかのようにプロ意識を持ち完璧な業務遂行ができるようになるからです、こんな例は何人も見ています。
「人生の挫折」、それは誰にでも起きうることなのです、自信を失い自分の将来に失望します、でもそれは最も尊い経験だと思います、自分に失望し自身を卑下できることはそう経験できることではありません、自分に失望して初めて自分の悪いところが明確に理解できるのです。
それに気づいて自分の思考を軌道修正できるのです、その後は自分をガンガン出してもミスもしなくなるのです、「一皮剥ける」、「自立した大人になる」、「パラダイムシフト」とはこういうことなのです、穴に落ちれば穴の中でしか見ることができない景色があってそこでしか得られない貴重な体験ができます、決して穴の外では得られない生涯に渡る貴重な体験です。
落ちるのが怖くて穴の縁に惨めにもしがみついているのを助けてくれる人ではなく、むしろ背中を押して穴にストンと落としてくれる人が本当の愛を知っている人だと思います、本当に思いやりがないとできないことです、そういう経験をさせてくれる人が身近にいることを心から感謝することです。
進化論といえばダーウィンの「種の起源」があまりにも有名です、ダーウィンの進化論によれば「種は環境に適合し突然変異によって進化する」ということになります、逆説的にみると競争社会を形成し「変化に適合できない種は淘汰の道を選び絶滅する」という怖い結果になります。
これをビジネス社会に置き換えて考えてみると殺伐とした競争原理の下に行われる企業間のサバイバルゲームそのものになってしまいます、そして勝ち残れない企業や業種は淘汰されるということになります。
ダーウィンの進化論に対して真っ向から異を唱えたのが京都大学の今西錦司名誉教授です、彼の説は「生物は自分の生態に適合した環境を選んで生き残る」という「棲み分け理論」を発表しました、この理論をビジネス社会に置き換えると「それぞれの企業(個人)はそれぞれの特徴を生かせる分野で棲み分けることにより共存していく」ということになります。
つまり「棲み分け理論」には競合や淘汰という殺伐とした現実はなく、そこにあるのはそれぞれの個性を生かした共存共栄の理想的な社会です。
企業が進化し成長を考えるとき「企業間の競合によって淘汰させるのではなく、それぞれの特徴に合わせた分野(事業)において共存共栄を図りながら業界そのものを成長させる」という考え方こそが我々日本人のワビサビの文化に受け入れられるのではないでしょうか?
欧米型企業においてはダーウィンの進化論を自社に応用し敵対企業を潰すか買収や合併を繰り返すサバイバルゲームによって成長させてきた企業は少なくありません、日本の場合は「進化論」でなく「棲み分け理論」によって企業成長を考えるようにしていきたいと願うばかりです、確実に競合と淘汰の時代から共存共栄の時代へと変化していることも頭に入れて経営資源を生かしていかなくてはいけません。
この「棲み分け理論による共存共栄社会」こそが私の理想郷であり近未来の経済循環構造の確立に他なりません、それぞれの個性を生かしてレッドオーシャンの海で競合するのではなくブルーオーシャンで優雅に泳げる環境を確実に手に入れられます。
例えばアトピーなどの皮膚疾患は命に関わるような緊急性は無いにせよ長期間心身ともに悩まされる厄介な病気です、逆にもの凄い痛みを伴いますが外傷の場合は一時的な痛みを堪え治療さえすれば完治します。
経営悪化企業や個人のの再生はこれと同じようなことが言えます、経済リスクの観点から一般的に言えることは後者の方がリスクは極めて高いのですが長期間苦しみの中で低迷するよりもはるかに有益だということです。
企業の病は経営者だけではありません、家族に社員やパートナーなどの身内と呼べる存在にまで広がってきます、それを考えて短期間の厳しい痛みが伴う外科手術で治すのか、それとも痛みを誤魔化しながらも薬でじっくり内科療法で治すのか、両者のうちどちらが好ましいのでしょうか。
ここで何社もの企業や個人再生に携わってきた経営コンサルタントの立場で言えることがあります、それは長時間かけてじっくり修復させようとする企業や個人の多くが知らないうちに更に悪化してくるという事実です、立て直しどころか立て直しの機会さえも失いプロでも手のつけられない状況に陥るケースが実に多いのです。
これは再生の機会さえも失い、もっと言うと無駄に時間とお金を使って何一つ守ることができないという人生での最悪の結果となります、経営には潔さと覚悟が肝要です、経営には何の意味も持たない主義主張と意味の無い自己擁護的なプライドは綺麗さっぱりと捨てることです。
テクノロジー分野において異種の存在や技術を組み合わせ新たなものを創造することを「ハイブリッド思考」と呼んでいます、このハイブリッド思考で物事を創造できる人が天才科学者と呼ばれる人に多いという分析結果があるのはご存知でしょうか?
科学とは先人の理論を引き継いで検証や実験を繰り返し最終的に証明に値する根拠を示せた者が栄誉に輝く世界です、アインシュタイン然り野口秀雄然りです、その思考そのものがハイブリッド以外の何物でもありません。
多くの発明や理論はこれまでにないものを一瞬で閃くということはありません、同じことを継続して根気よく考えているなかである時にそれが一つにまとまり理論が完成するのです、それが本来の意味での「閃き」の本質なのです、つまり何の努力も無しでの発明や理論の創造などは有り得ないのです。
このハイブリッド思考で重要なのが正確な情報を脳内に整然とマトリックス化できるというロジック展開です、物であれば構造設計そのものであり、見えない理論であればアルゴリズムということになります、得た情報を基に明確にロジック化できるのもまた一つの特殊な能力であると言っても過言ではありません。
推論や推理に長けた人はまさにこの情報からロジック展開しての分析能力に長けた人であり、知る筈もない過去に起きた事象やこの先に起こるであろう見た事も無い事象を読む能力を持ち合わせた人です。
他方、文章能力を示す言葉にリテラシーというのがありますが、このリテラシーも実は一つのロジック展開能力なのです、ここで勘違いしてほしくないのは世に誤って伝わっている「思った事を文章にすることができる能力」は「リテラシー」とは呼びません、これは単純に文章が上手く書けるということに過ぎません。
得た知識や自身で考えていること、これらを頭の中でロジック展開しなければ特許や論文という他者に正確に伝える文章を明確に書くことができません。
このリテラシーなどのロジック展開能力は努力で身につくものは僅かであり、多くは先天的な脳の構造によるものであるという興味深い研究結果があります、ロジック展開能力の有無はSNSやブログの文章にもそのまま出ます、思ったままに話をするように書く人はロジック展開する能力が欠如しているか共感性の強い人かのどちらかです。
ロジック展開ができる人は起承転結ではありませんが、文章自体が階層的且つ入口から出口まで綿密に仕組まれた電気回路のようなロジック的文脈になっています、これは見る人が見ればロジック展開している文章なのか、それとも単なる表面意識での感性に任せた文章なのかはすぐにも理解できます。
このロジック展開能力こそがビジネスで成功させる必須の能力だと科学者の多くが認めています、またこの基本に在るのが男性脳とも言われる左右分割能そのものの物理的要因だとも考えられています。
単純な文章を書く領域は左脳に在ります、しかし特許や論文などのロジック展開文章を書くのは左脳に加えて同時に右脳の能力が大きく関与しているのです。
先の文章が上手い人というのは左脳が優れているという可能性があり、右脳と連携して行われるロジック展開でのリテラシーが高いかどうかとは別次元なのです、事業計画もマーケティング戦略も全てがロジック展開で構築されないと一貫性が無いとんでもない内容になってしまいます。
ロジック展開されていない計画や戦略はその場の思い付きだけであり、良くて「絵に描いた餅」であり悪く言えば「根拠のないデタラメな空想」でしかありません、つまり事業計画書や提案書をぱっと見ただけで、その人がロジック展開できる人かを見極めることが可能なのです。
ロジック展開能力とは他の事象との相互関連性と明確な差異を細部に渡り正確に見い出せる能力でもあるのです、経営者でこの能力を持ち合わせているとしたら、おそらく今の幸福事ではなくて5年~10後に来るべく状況に焦点を当てた未来思考での事業計画を頭の中で完璧に策定していることでしょう。
そして、全てが予めスケジューリングされていたかのように「来るべきXデー」に向け、自身で策定した成功シナリオ通りに事業推進を粛々と行っているはずです。
些細な事をきっかけとして物事が大きく変化することは珍しいことではありません、例えば会社ではたった一人の入社によって難航していた商談が次から次へと決まりだす、また逆にまとまっていた社内が一気に険悪なムードになるなど、それまでの流れが一変することがあります。
そのタイミングが何かと考えると、ある人との出会いや離別が発端となっていることが多いことも事実です、私事ですが最近急速にある種の有力な人脈が形成されつつあります、その人脈との接触は実は最近のことではないのです、ただ互いに共通するある種の事項に遠慮していて距離を取っていたように思います。
その共通した事項が必然のことのように自ら消滅したのです、それが何を示すのかはあえて言いません、しかし不思議な事にそれをきっかけとして今までその事項に関して遠慮していた人たちが急接近してきたことは事実です、そして本音の話を始めるや否やビジネスマインドや目標とする事項、更には価値観までもが一致していることが互いに確認できたということです。
経済界でいう「灰汁抜け(あくぬけ)」或いは「悪材料出尽くし」、それは物事が何らかの障壁があってスムーズに運ばない状況の時に、その原因が消滅した瞬間にそれまでの時間を埋めるように急速に好転することを意味します。
何れにしてもこの人脈は関係している人全てがそれぞれの足りないものを補完し合え、更には得意としている部分を相互に活用できるという、まさに理想の関係が形成されつつあります、因果とはまこと不思議なものです、何をきっかけに好転するのか暗転するのか、その瞬間には誰にも解らないのです。