1円起業時代と共にブームとなったWebマーケティングですが、このところ法人のSNS離れが急速に広まっています。
SNSは有益な人脈が存在しない人が起業後にビジネス人脈を広げる目的で始めるのがほとんどだと思うのですが、ビジネス関係に進展するのは結局リアルで会ってからの話です。
リアルでの人間関係構築が上手い人、つまり人を見る目が確かな人はSNSも有効に活用できて新たなスキルの高い人脈をどんどん形成していきます。
しかし上手くできない人がほとんどのような気がします、「いろいろな人に会うのですが希望と一致しなくて」、「SNS上と会ってからでは人が違うようで怖い」という話をよく聞きます、そもそもSNSで交流する前に人物象を見極められなくては意味がないと思うのです。
思うにSNSに期待するところが違うのです、SNSは知り合うきっかけツールであってビジネスツールではないのです、人間関係構築の基本は今も昔もリアルでの付き合いからです。
ビジネスで成功したいと思うのなら、先ず第一歩は信頼できる人とリアルな付き合いを維持継続させることです、ソーシャルディスタンス時代であってもこれは崩れることはありません。
若い人に年配者は「若いうちに若い時しかできないことをやっておくほうがよい」と言います、でも私は自身でもそうでしたが「若いうちに普通の人にはできない事をやっておくことがよい」と思っています。
ここで「普通の人がやらないこと」ではなく、あくまでも「普通の人ではできないこと」というのが重要です。
年齢に関係なく「できる事をやる」というのは極普通のことです、だから極普通の結果しか生みません。
一般的な人生ではなく勝者としての成功人生を望むのであれば、世間一般的な思考と行動から今すぐ離れることです。
例えば「夏は海に冬はスキーに行く」のは極普通の一般的な人の発想と行動です、私なら「夏はスキーに、冬は海に行く」ことを考えます、これは海外に行けば簡単に実現できるのです、発想は視野の広さで決まってくるのです。
さらに言えば「世間が休みの時は仕事して、世間が忙しい時にのんびりと温泉旅行する」のです、何処に行っても人混みもなく更に繁忙期の半額の費用で済みます。
世間の忙しさを余所に費用をかけず心から贅沢な時間と空間を味わうことができます、しかも旅費や宿泊で浮いたお金は思いっきりその地でしか味わえない豪華な料理を頂くのです。
経営者になったのであれば余暇の過ごし方も普段の行動も世間一般的な人にできない事をやることです、極普通の世間の人と歩調を合わせたいのであれば社員として雇われていた方がよほど幸せです。
「起業して経営者として生きる」、このこと自体が「俗世界からの脱却する」ということなのですから。
世間と歩調を合わせて生活していたら、独立した分の負担がかかるので上手くいって雇われている人と同様の年収でちょっと落ちる生活水準に終わります、年収は同じでも各種の保障や手当が無い分生活水準は落ちるのです。
正直な話が、「自由に時間と空間を楽しみ、普通の人の倍以上の年収と生活レベルを得る」という目論見もあっての起業だったのではないでしょうか、もっとも志もあるのでしょうが前出の目論見も確実にあったと思います。
上手くいかない人に多いのが「好きな事をやれればよい」というものですが、これは起業するための「志」などではなく「上手くいかなかった時の言いわけ」でしかありません、もしくはビジネスを道楽と混同しているかです。
経営者の「志」の原点に在るのは、「自分は他の人とは違う」ということが絶対的でなくてはなりません、それが無い起業であれば経営者として成功することはありません。
先の「好きな事をやれればよい」と言う人で成功している人を見たことがありません、そんな中途半端な人よりも世間一般的な人の方が楽して給与を貰い趣味や道楽で好きなことをしてます。
経営者はみな個性的です、そんな個性というのか何というのか私が最も注意深く観察しているのは存在感というオーラにも似たエネルギー感です。
その空間に入ったとたんに強いオーラを感じる人がいます、しかしその人はただ座っているだけです、その人はそこに居るだけで存在感を強く出しているのです。
だいたいそんな人は話し方も穏やかで淡々と話しをします、しかし顔力というか押し出すような威圧パワーは凄いものを感じます。
私の経験上で言えるのは独特な存在感を放つ人は大きな成功を経験している人です、つまり存在感は自信と気持の余裕から生まれているように感じます。
いろんな経営者を観てきてはっきり言えることは、無理して自分の存在を表示している間は未熟さや稚拙さを周知させているということ、そしてそういう人がビジネスで成功した例は皆無だということです。
大きな成果を上げても常に謙虚な姿勢にその人の底知れないパワーを感じます、逆にちょっとでも有益な話しがきただけで結果を余所に周囲にアピールし大騒ぎする人にパワーを感じることはありません。
成功している人はどんなに有益な状況も結果が出るまでは冷静です、クロージングしてしっかりと利益が出ても常に謙虚で次の課題に既に思考が向いています。
類は友を呼ぶと言うように、成功した人は謙虚で飾らない人に対してビジネス嗅覚が刺激されます、なぜならそういう人が成功する可能性が高いと解っているからです、少なくても存在表示意識の強い人に嫌悪感を感じても魅力を感じることは一切ありません。
存在感を示す人から一目置かれるようになることです、こういう人が未来において成功するのです、そういう人からの見えない陰の存在感を後ろ盾にして。
私はプライベートのみならずビジネスにも情の部分を多々出してきました、やはりパートナーやクライアントが困った時にはルールや契約を曲げても最優先で助けてきました。
その結果において悪い方向へ行くこともありました、私の情のせいで社員やパートナーにも迷惑をかけたこともありました。
そんな自分に言い聞かすようにビジネスはある意味において非情を通すことを心がけています、自分の行いで自分がどんな目に遇おうが構いません、しかし社員やパートナーに迷惑がかかるのはやはり甘えとしか言いようがないと思うのです。
逆にビジネスを離れたところでは情を優先して人間くさく生きてバランスを取っています、自身が犠牲になっても一時的にも他者が救われるなら善いことだと思うようにしています。
周囲の人は、「本当にそれがその人の為になるかは別問題、またそれを善しとするのは偽善者だ」とも言います。
今の私はこれまでの多くの人の恩によって成り立っています、生まれた時はみんな裸です、何も持っては生まれてはきません。
人間とは成長するにつれ多くの人の縁や支援でいろいろな思考を身につけていきます、あの世に逝く時は何も持って逝けないのです、それであれば築き上げてきたものを他者に有効に使ってもらおう、そんな考えが私の中にあるのかもしれません。
最近は如何なる業種であっても「コンサルタント」と名乗る人が大手を振るようになり、コンサルタントの価値そのものが薄れてきたように思います。
そもそもコンサルタントとは企業における顧問を指します、コンサルティング企業の定義は企業の経営業務における問題の発見・課題の解決(ソリューション)・経営戦略の策定提案などを主な業務としクライアントである企業の業務効率化と営業拡大化を図ることを生業としている企業 のことを指します。
アメリカからコンサルティングというサービススキームが導入された時点では、公認会計士や中小企業診断士、また法務という専門分野では弁護士がその役割を果たしてきました。
しかしバブル崩壊後は通常の企業経営や法務の経験だけでは対応しきれない様々な課題が発生するようになり、経営・会計・法務などを統括してサポートできるコンサルティングが望まれるようになり、そういったニーズに呼応してコンサルティング企業が生まれました。
その意味では、コンサルティング企業には少なくても公認会計士と弁護士が在籍しているか嘱託として契約していなくてはなりません、加えて現代においては知財を扱える弁理士とデジタル化を促進するIT技術者が必須です。
コンサルティング企業に望まれる業務とはM&Aや権利問題などの外的要因への対応、新技術や新分野での最新の情報提供、経営者の意思決定の補助など経営者が誰にも相談できないことを経営者と一体となって経営課題を解決していくものです。
ここで法的にコンサルタントやコンサルティングと名乗ることはできない職種があります、それはクライアントが個人の場合と他の商品や商材を売るための相談業務を行う場合です。
例えば保険や不動産、旅行や健康食品など、相談や提案を無料とする代わりに本来のサービスや商品を売ることが最終目的である場合は営業行為そのものであり、それをコンサルティングと名乗ることは消費者に混乱を与え不利益な取引行為であり不法行為となる可能性があります。
また個人相手(代表者一人の法人や個人事業主も同様)のサービスの場合はそもそもコンサルティングの定義から外れていますので名乗ること自体が大変問題です、個人相手やサービスや商品を売るのが生業の人はアドバイザーに留めておくのが無難だということです。
何でも「**コンサルタント」という表示はそろそろ手を打たないととんでもないことになりそうです、本来の法人向けの経営向上を保証するコンサルティング企業は一般社団法人を設立し「コンサルティング」の定義化を行い似非コンサルタントへの警告や「コンサルタント」の使用禁止を訴えるべく連携を固めつつあります。
コンサルタントと名乗る人に各種業務を依頼しようと考えている場合は、これらのことを念頭に置いて相手をよく調査してから決定するようにしたいものです。