ときどき「人の心って本当に怖い」という話しを聞くことがあります、従順だった社員が一夜にして反抗的になってしまった、スムースにいっていたビジネスパートナーがとんでもない裏切り行為をしたなど、その原因がどう考えても不可解なのだと言います。
こういう場合など自分では理解できない現象によく使われるのが「見えない力」という言葉です、冒頭の話しの他に何を考えているのか解らずに行動判断ができないときなどにも使われます。
ただ、私が思うに「見えない力」が実際に存在するのかはどうでもよいことであり、そういうところに責任を転嫁するような考え方がそもそも間違っているのではないかと思うのです。
人は意味も理由も無ければ行動しないのです、変わったのであれば変わる理由が必ずあります、それを自身が把握できずにいるだけです。
何かの結果は必ず何かの原因があるのです、経営者はまずはその原因を明確に見極めなければならないのです。
「見えない力」という言葉自体が、自分の把握・理解能力の無さを見えない何かに転嫁し言い逃れをしているにすぎないのです。
もう一つは「見えない力」を口にする人は他者が自分をどう捉えているのかを気にしている人であり、それを怖いと考えている人なのです。
「他者の心が解る」などと周囲に言いふらす人も同じことで、自身がそういうことが気になっているからに他なりません、もしくは目の前の人を信頼していないかです。
「心が解る」という一言で「私を甘く見ないで!」と言っているようなものです、多くは経験不足で誇るものを何も持ってない人に見られるのも面白いです。
人が何気に口にする言葉を拾うと何を意識しているのかを知ることができます、そして自分に後ろめたいことがなく人生を謳歌している人にとっては「見えない力」は興味の対象であっても恐怖の対象とはなりません。
だから、経営者なら「見えない力」とか「心が読める」とか、そういうことをあまり口にしない方が無難だと思うのです。
結果とはどんな事でもプロセスの善し悪しで決まってしまいます、ということはプロセスの状況を観て短期間に軌道修正できれば満足する結果を早期に出すことができるということです。
何時までも思い通りの結果を出せない人はこのプロセスの状況を素直に把握することができないか、もしくは把握していても軌道修正できないかのどちらかということになります。
周りの人を観察していていつも思うのですが、多くの人が50歳前後で自身の軌道修正の特性が固定されているように思います。
軌道修正が遅いか、それ自体をできない人はその後も一向に改善することはありません、そして結果とはこれまでの過程の集大成であり突然現れるものではないのです。
つまり結果が重要だということはそれまでのプロセスの善し悪しですべて決まってしまうと言っても過言ではありません、思ったような結果が出せない人はプロセスの段階で何かが間違っているのです。
常に結果を出す人は極めてプロセスの軌道修正が素早い人です、瞬間的に同時並行で複数事項を修正していきます。
この軌道修正での障害の多くは拘りやプライドです、そして自分の方法が正しいと思い込んでいる固定化した思考にあります、何れにしても自身のことは解らなくても周囲の人は冷静に他者の生き方を評価しているということです、人生そのものが日々軌道修正の是非を問われているのです。
成功する人とはそういう意味ではどんなことでも、どんな時にも些細な拘りやプライドを捨てて結果を予測して瞬間的に軌道修正できる人なのです。
カッコつけて拘りやプライドを通し続けた結果において職を失い一家離散、そしてホームレス、行きつくところは孤独死、これを讃えてくれる人はいるでしょうか?
私がよく言う「結果が重要、結果が全て」とはそういうことなのです、刹那なる時空間でのビジネスの善し悪しだけを指しているのではありません。
更に経営者であれば自身だけではなく、これを社員やパートナーにまで視野を広げて考えなくてはならない事項だと思うのです。
「核家族」という言葉も既に懐かしい感じがします、ここ数年の世の中の動きを見ればまるで核家族から更にそれぞれが分離して生活する「個の時代」を予見させられます。
テレビでは人知れず孤独の中であの世へ逝ってしまう「無縁死」が取りざたされています、身元調査しても何処の誰なのか特定できない人も年々増えてきているといいます、また「24時間以上人と会って会話をしたことが無い日が有る」という社会隔離生活者も特に高齢層では急増の一途だといいます。
その孤独な人たちが向かうところの一つはSNSの世界なんだそうです、子供や孫の写真を出してはいるものの裏にはどうしても孤独感が垣間見えてしまいます、言葉や文章でそんなことはすぐにも解ってしまいます。
SNSの中では現実の世界とは無関係に多数の人と文章による会話ができます、また自分が発信した情報に善し悪しは別にして何らかの反応もあり孤独さを紛らわすことができます、世代に関係なく目立つのは現実とは別の自ら作り上げた仮想空間の中で成功者やプチセレブとして発言できます。
現実を良く知る人に突かれると「セルフブランディング」だと言い張るのですが正直そんな演出は逆ブランディングです、つまり本当にビジネスに有益な人からは確実に距離を置かれてしまい益々社会から孤立することになります。
更に警鐘を鳴らさせていただけば、仮想空間でヒーローやヒロインを演出している人は現実世界を意識した途端に大きなギャップにより自身が望んだ結果とは裏腹に更に孤独感が強まるだけです。
私は現在の「個の時代」はまさにこのSNS社会が齎した悪しき産物だと考えています、便利さの裏には必ず伏兵が隠れているものです、リアルな人間関係が構築された後に情報開示や通知用にSNSは使われるべきだと思えてなりません。
現在はSNS離れが顕著化しています、理由の一つにはリアルでの状況を知っている人がSNSの世界で現実逃避している哀れな姿を見るに堪えられないからだと言います。
「リア充」(リアル充実=現実充実)という言葉がよく使われていた時期がありました、現実世界で充実している人ほどSNSを行うこと自体を嫌いになっていくのです。
逆に言えば、SNSでプライベート色の強い意味の無い情報を配信しないようになったらリアルが充実してきた証拠でありビジネスも上手くいっているのです。
ビジネスが上手くいっている人はビジネス仲間にプライベート情報で妙な誤解などが生じることを懸念するからに他なりません、例え開示範囲を限定しても誰がどのように見ているのか解らないのがSNSなのですから。
そして逆説的に言うなら、SNSをいつまでもやっているからリアルで充実した生活を送ることができないのです、SNSをやる時間が有るならリアルを充実させることに使うべきだと思えてなりません。
起業したのであれば、SNSで安直に集客しなくてもよい真のビジネスを見つけて他者を頼らず自立して強く生きていくことが肝要です、「SNSがこの世に無かったとしたら自分に何ができるのか?」、経営者と言うのであればこの課題と真摯に向き合ってほしいと思います。
最後にSNSをここで否定しているのではありません、経営者という括りの中でSNS考を示唆しているに過ぎません。
この数年間で急速に世の中にデジタルトランスフォーメーション化が浸透していきます、デジタルトランスフォーメーション(略称:DX)とは人間が手作業で行っていた業務のデジタル化を意味しています。
今後は、このデジタルトランスフォーメーションに企業や人の将来がかかっていると言っても過言ではありません。
またデジタルトランスフォーメーションが浸透し始めると次に来るのがAIとの融合です、これも時間の問題であっという間に確実に実現されていきます。
少なくても銀行や証券会社などの窓口や役所から人間がどんどん消えていく日はそう遠くないでしょう、そんな時代に人間が行わざるを得ない業務とは何でしょうか?
例えば金融商品を組み合わせての資産構築や運用はAIの方がはるかにスピーディで確実に答えを出してくれます、トラブル対応も過去の記録を分析することで原因が究明でき対処までAIがスピーディに行うようになります、その処理スピードは人間が1年かかる事をたったの数分で行ってしまいます。
予め決められたルールの中で行われる業務は全てAIの守備範囲と言えます、つまりAIにできない業務にこそ人間が介在する隙間ができるのです、その時代に人間が介在する業務を行える人はまさに企業にとっては宝であり優遇されることは間違いありません。
デジタルトランスフォーメーション全盛期にはどんな人が望まれるのか、これを考える場合にはどんな人が望まれないかを考えてみると解りやすいと思います。
さてデジタルトランスフォーメーションは何故導入されるのでしょうか、それは人的ミスの一掃と言っても過言ではありません、ではミスを起こしやすい人の特徴とは何でしょうか?
多くの人間のミスは思い込み・排他的思考・合理的思考・プロセスを踏まない短絡的思考・自己利益優先などが根底に在ります、つまり数字に表れることがない見えない事実にまで広い視野で全てを見通したうえで判断できる人が望まれるのです。
ヒューマノイドは数値化できる範囲の今の状況だけを拾って一瞬で計算してしまいます、そこには時間と共に変化していく様を捉える事はできません、自然とは一瞬の状況で決まることなど存在しません。
そして数値化できない最も複雑な事象が人の心の中なのです、つまりAIが最も苦手とするカテゴリが人間の心理(マインド)なのです。
常に変化する価値観や事象に合わせて正確に結論を出し瞬時に行動できる技、そして心の問題とされる損失や犠牲を考慮できる大人の対応、AIが進化しようがこの分野だけは人間の方が常に優れているカテゴリなのです。
現在は大手企業がデジタルトランスフォーメーション化に全社一丸となり取り組もうとしています、これが一巡したら中小零細企業も行わざるを得ない状況になります、この状況を正確に読み来るべく時に備えて事業化の準備を整える企業が次代に繁栄する企業になるのです。
「セミナーや高価な講座をたくさん受けてきました、でもどれ一つとして成果が出ることはなかった」、このような人は決して珍しくはありません。
何故セミナーや講座を幾ら受けても成果に繋がらないのでしょうか、答えは極めて簡単です、それは「ビジネスは情報を得る行為ではない」からです。
他者のセミナーや講座を受けたことのない私は過去創設来25期連続黒字を達成しています、つまりビジネスとは「有益な経済活動を通して利益を得る行為」に他なりません。
ここで重要なのは「どんなに素晴らしい情報を得ても、それを基にした有益な経済活動を行わなければ利益に繋がるはずはない」、という極単純なロジックを発想できているかということです。
成果の出ない人の多くは情報を得るだけで一切具体的な行動を起こしていません、これではビジネスの確立も勿論のこと何も有益な活動をしていないのですから利益も出るはずはないのです、そして何をやっても上手くいかないと悲観し失望さえしてしまっています。
上手くいかないのはセミナーや講座を受けるか否かの問題ではありません、それを活かせているか否かだけの問題です。
極端な話し、経営の神様からビジネスの極意を教えてもらったとして何もせずにお金を得る事ができるでしょうか?
それよりもビジネスの極意など知らなくても有益な経済活動を行えば簡単に利益を得ることができます、再度言いますが「ビジネスは情報を得る行為ではありません、有益な経済活動を行う行為」を指していうのです。