多くの経営者は売り上げや利益に関して、また債権と債務とのバランスに関しては理解を示し対策方法にも関心を寄せます。
対して資産構築という観点で話をした途端に理解できないという顔をします、ましてその上をいく資産運用はもう雲の上の話のようです。
解りやすい資産といえば不動産や商品在庫なのですが資産とは目に見えるものばかりではありません、誰も気が付かないところをキャッシュポイントとして気付く人が本物の経営者だと思います。
これまで経費で落としていた社内で使用するためのマネジメントシステムや在庫管理システムは全て実は資産です、開発完了と同時に資産計上し減価償却しながら毎月60分の1ずつ5年間に渡り経費計上できるのですが、この理屈が理解できない人が実に多いです。
この方法を使うか使わないかで会計上の財務諸表がガラリと変わり、これまで貸し渋りをしていた銀行も融資が通るようになったりするのです。
また社内でサイトなどを作成した場合は見合う人件費をソフトウェア資産として資産計上できます、つまり経営はテクニックというのもこの辺りも含めてのことです。
税理士の中には進んでこういう提案をする人もいるでしょう、しかし面倒がって提案すらしない税理士さんは実際に多いと思います。
更には目に見えない換金性のある資産も存在します、特許や商標といった知財もその一つです。
ほとんどの法人は財産価値の有るものを持っていると思いますが、それを意識する経営者はほぼ皆無とだけ申し上げておきます。
経営をしていて何か「無駄に忙しい」と感じるときがあります、この「無駄に忙しい」の意味は直接的な利益活動ではなく事前調査や事業計画、また大きな契約に向けての活動などが目白押しの状態を指しています。
更には事業推進上必要な事前準備でありサイト構築やHPの修正なども含まれます、つまり将来の利益を見込んだ先行投資というべき事項です。
これが将来確実に利益を生むと解っているのでしたら本当は無駄ではないのですが、新規事業は特に闇の中を手さぐりで進んでいるようなもので何ともじれったいと感じます。
こんな状況は過去何度も経験していますが、明るい未来が待っていると信じられるようになれば逆に心地良い忙しさとさえ感じてくるものです。
それと重要なのは経済基盤です、まず経済基盤が盤石だと焦る気持も芽生えません、子供の頃に山の中に入ったり工場の倉庫などで探検ごっこをやったものですが、その感覚に似たワクワクしたものを感じます。
愉しんで無駄に忙しくしていると朗報は必ず齎されます、閃いたら先ずは動いてみることです、動けば景色が変わり見えなかったものが見えるようになるものです、ただし宝物を見つけようとするワクワクする気持ちを継続させることと諦めさえしなければの話しです。
最後にもう一つ、生活する為の手段による忙しさに日々追われている状況は一つのルーティング状況であり、その中から未来に向けた有益な発想は何一つ生まれてきません。
追われるような忙しさから解放される方法は自身の発想と行動一つです、何故忙しさに追われるのか、それは今日やるべきことを明日に伸ばしているからに他なりません。
やるべきことが渋滞し更にやるべき新事が発生していては愉しい未来を思考することはどんな経験者でも無理というものです、「無駄に忙しい」と「無駄な忙しさ」は意味も状況もまったく異なる別次元の状態だということを知ることです。
私が「今までに一度も失敗したことがありません」と言ったら皆さんはどう思いますか?
そもそも「失敗」とは何でしょう、予定通り上手くいかなかった、思惑通りに進まなかった、大きな過失をおかしてしまった、契約事項を履行しなかったなどを「失敗」という言葉で表現するのではないかと思います。
では最初から最悪の事態まで考えて行動していた場合は、どんな結果であろうがそれは全て想定の範囲であり計画どおりですから「失敗」ではありませんよね?
更には最も重要だと思うことは、失敗だと思った瞬間から始まるリカバリー」だと思うのです。
もしも、「失敗」の後のリカバリーが功を表すれば、それまでの「失敗」と思われていた事実は全て「成功の為の有益な準備行動」に一変します。
したがって、ここでも「失敗」は「失敗」ではなく必然的な一過性の事実でしかないということが言えるのです。
「失敗」というのはその忌まわしい事実によって継続することを止めた瞬間、その「失敗」した事実が未来永劫固定してしまうからに他なりません。
重要なのは「失敗」した事実は潔く認めて深く反省し、心の中では「失敗」だと認めないことです。
そして、「失敗」したことを一過性の現象であることを後に証明して見せればいいだけなのです。
「信用失墜」も同じことで次の瞬間から始まるリカバリーによって、「たまたま起こったこと」と思わせるような事実を後に作り上げればよいのです。
それすらもせずに、簡単に縁を切るなり自らを失望させるように現実から逃避していては本当に失敗人生で終わります。
経営者であれば、常に「私は今までに失敗したことはありません」と自分に言い聞かすこと、私はこれこそが志す者の信条だと思うのです。
何故なら常に何事も継続させることを考えていれば、その中から「失敗」を「失敗」と思わせないような見事なリカバリーが必ず生まれるからです。
失敗を認めない往生際の悪い経営者を決してカッコ悪いとは思いません、逆に失敗したらすぐに立場を放棄する人は潔いのではありません、それは保身優先の極めて無責任な人ということです。
個人経営の起業家に多く見られるサービス名称で「絶対に上手くいかないだろうな」と思う名称があります、私が絶対にサービス名として使わない方が良いと思う単語の一つに「プロデュース」というのがあります。
何故かと言えば、これを見た瞬間に半数以上の人から「上から目線」という印象を持たれてしまうからです。
この言葉に引き寄せられるのはビジネスの右も左も解らない人たちです、何も解らない人をターゲットにしての名称であるなら自信の無さを表示しているようなものです、つまり知らずのうちに自分自身を逆ブランディングしていることにもなります。
そのターゲットとなる人の多くは当然上手くいってないわけで考えた以上にお金は貰えません、したがってこれもまた「上手くいかないだろうな」に繋がります。
本当に「プロデュース」という言葉を理解していて、かつ指導力に自信が有るのであれば使う必要も意味もありません。
経験豊富な人が使うならまだしも実践経験がほとんどない人が使うのは危険すら感じます、「プロデュース」は一つのコンサルティングです、コンサルティングの基本姿勢は「クライアントと同じ目線で共同作業する事」が本来の役割です、したがって「上から目線」的な言葉を使うことはタブーなのです。
これといった実績も無い人が「プロデュース」という言葉を使い自分よりもはるかに経験豊富な人が申し込んできたらどうするのでしょう、おそらくサービスを開始するや否や「詐欺だ!返金だ!」と訴えられる可能性を否定できません。
必要に迫られ「プロデュース」をサービス名に使うのであれば充分にリスクヘッジを施したうえで使うことをお奨めします、そして漫画やドラマで流行った言葉や手法を使う知見の低さは解る人には解ってしまいます。
起業して経営者だと言うのであれば、言葉の使い方や身の振舞いをもう少し考えてほしいと思うばかりです。
昔から経営の現場で例えに出てくる言葉に「茹蛙(ゆでがえる」というのがあります、この「茹蛙」と言う例えはカエルをいきなりお湯に投げ込むと熱さでとっさに水上ジャンプし何事も無く済みます。
これが水だと心地良いのかそのまま水中に留まります、そこで徐々に水の温度を上げていくと生命に危険を及ぼす温度になっても飛び出さないばかりか、そのまま水中に留まり続けついには茹で上がってしまうという現象からきています。
この茹蛙の状況はビジネスの現場では日常的に見られる光景であり、特に働き盛りと言われる30代~50代は要注意です。
社会への慣れ、人間関係への慣れ、業務の慣れ、そしてこれらがビジネス思考に麻痺状態を引き起こすのです。
経営者ですと、会社や事業が危機的状況であってもそれが日常的になると感覚が麻痺してしまいます。
他者から見ると極めて危険な状況なのに、その会社の経営陣も社員も危機感がまったく無く普通に過ごしていることには驚かされます。
ある日突然のように現在の状況になれば誰でもが気が付き改善できます、徐々に状況が悪化していく場合は殆どの人が気が付かず最悪の場合は気が付いたら倒産していたという事態になってしまうのです。
茹蛙はビジネスだけではなく人生においてあらゆる場面に起こりえます、人の愛情も近すぎて見えないときがあります、何事も今の状況を冷静に考えて感謝すべき人に感謝し関わらなくてよい人とは奇麗に別れる、何事もメリハリを持って対応することです。
「1年も同じことを繰り返すばかりで低位でもがいている」、こんな人は間違いなく茹蛙症候群に陥っています。
先ずは正確に自身と自身が置かれている状況を把握し受け入れること、その後に自身の方法の何が間違っているのかを冷静に思考し是正することが肝要です。
茹蛙症候群は何かおかしいと思いながらも正確に把握することを恐れ、それまでの自身の思考や行動を正しいと信じて変えない人が陥りやすいです。
先ずは「自身の思考と方法はそもそも間違っている」、「自分は思っていたほど器用でもなく有能でもない」、この大きな気付きと深い反省がなければ学び直して自身を変えることは不可能です。
本人は変えているつもりでも周囲から見れば何も変わってないのです、このギャップがいつまでも続くからすれ違いは修正するどころかどんどん乖離していくのです。
自身が築き上げてきた思考を一旦ゼロにする、思考領域が空いたところで再構築する、私が行き詰った時によく用いる思考リセットです。