自分で選んだ方法や道が正解かどうかなんて誰にも解りません、ビジネスでは人事・営業戦略・経営方針など企業には多くの決定すべき項目があります。
最終的には最高責任者である経営者が決定することになります、しかしそれが正解かどうかはその時点では誰にも解りません。
プライベートでは進学・就職・結婚と「人生の岐路」と言うべき多くの選択すべき時があります、その時にどれかを選択するわけですが選択された方法や道が正解か否かなんて誰にも解りません。
では正解とは何でしょうか、それは選んだ方法や道が自分でも周囲にも「あの選択は正解だった」という結果を残すことです。
つまり正解の本質とはあくまでも結果なのです、決して決断した方法や過程ではありません。
一度選んだら一切悩まないことが肝要です、そして選んだことを継続させることに集中し結果を出すことです、誰からも「正解だった」と言われるように悔いを残さずにやるべき事を必死にやって結果を残すこと、これが最も尊い正解なのです。
「束縛があるからこそ私は飛べるのだ、悲しみがあるからこそ高く舞い上がれるのだ、逆境があるからこそ早く走れるのだ、涙があるからこそ私は前へ進めるのだ」、ガンジーの名言は深いです、やはり言葉は何を発するかではなく誰が発したかが重要だということです。
人生には幾度も現状から逃げだしたいときがあります、これはどんな人にも起こる心理です。
でも、逃げていては何も解決するどころか更に悪い方向へ展開してしまいます。
「逃げる」という行為は立ち向かうよりも余程大きなエネルギーが要ると思うのです、何故なら自分をこれほどまでに追い込みそして失望する行為はないのですから。
それでも逃げる人が大勢いるのには驚きます、人生において一度でも逃げたら終わりです、逃げ癖は絶対に治らないと思うからです。
新たな地で新たな出会いでやり直せると思うのかもしれませんが、そうは楽できないのが「逃げ」という自虐行為なのです。
生涯に渡り、「あのとき私は逃げだした」という忌々しい記憶は消えることが無いのだそうです、そして常にびくびくしながら生き続ける、それでも生きていると言えるのでしょうか。
一時的に時を稼ぐ意味で逃げるのは戦略的には有効です、ただし落ち着いたらまた元に戻ってくるのであれば逃げではなく前向きな戦法ということになるのです。
そして敗者復活戦よろしく、成功者を目指して再度前に向かって力強く歩むことができるのです。
悩む人は嫌いではありません、ただし条件があります。
悩む状況とはいくつかあると思います、場合によっては微笑ましくも思う悩める人もいます。
一つは、目標などをクリアできずにどうしたらよいかと悩んでいる人。
または、大きなミスをおかして起死回生に向けて何かをしなくてはと真剣に悩んでいる人、こういう人は悩んでいるにも関わらず強力なプラスのオーラを放っている場合が多いものです。
このように、前向きな気持ちからくる悩みを持つ状況もこのような人も好感を持てます。
対して、大きな目標もなく何をしたら生活できるのだろうかとただ何となく日々悶々と悩んでいる人。
表情も暗くマイナスオーラが出ています、同じ悩んでいる状態でも前者と後者では雲泥の差があります。
こういう人でも悩むということは、やはり現実と自分の期待との乖離があるのですから悩む基準があるだけまだ救われます。
最も良くないのは抑揚が無いしゃべり、食べて寝るだけの生活で自分からは何もせず他者依存に始終するだけの人です、悩みとは無縁という感じの生き方です。
こういう人からはプラスもマイナスもオーラを感じることができません、存在感すら無いのですから周囲の人の記憶も徐々に薄れていきます。
悩むという行為は生きている最大の証拠であり人間である最大の特権なのです、つまりは生きていたいとか今より良くなりたいという願望からくるものだからです。
悩み、それは次のステップアップの為の充電期間なのです、どうせ悩むならトコトンでっかい悩みを抱えるが好ましいと思います。
前向きな悩みとはある種の葛藤だと思います、それは期待感と不安との葛藤でありどちらか一方であれば悩むことはありません。
悩む状況のときには誰かを信じたいとか、もしかして上手くいくかも知れないという期待感の裏側に不安や不信があるのです。
私の場合は買い物では悩んだら買わないことにしています、仕事なら請けないことにしています、人であれば取り合えず付き合いを保留することにしています。
それを一時の勘違いだとして行動に移すと必ず後で後悔することになるのです、考えれば本当に信じられる事や信じられる人であれば心が嬉しいだけで何をおいても優先するし不安なんてどこにもありません。
悩みとは私が思うに自身の心に正直にブレーキをかけているのかもしれません、悩んだときは現実を直視することが肝要だと思います。
夢のある仕事、夢のある計画、でも現実に何が具体的に起こるのか?
優しい言葉、力強い言葉、でも現実にその人が何をしてくれるのか?
現実とは真実です、言葉や見掛けに心動かされるのではなく結果はどうなったかが全てなのです。
人はどんなことに対して怖さや不安を感じるのでしょうか、実は怖さの本質は「未知なるもの」という存在に対してなのです。
子供の頃は共同生活・勉強・遠足と全ての経験は初めてのことばかりです、でも恐怖感というよりも興味が先に来ます、これは何故でしょうか?
そこにはなんの既成概念や既成情報が無いからに他なりません、つまり何らの既成情報が無ければ全てが無抵抗に受け入れられるのです。
仮に上に兄弟がいて「学校へ行くのが嫌だ」という話を聞いていたとしましょう、その場合は既得情報として「何で嫌なのか」という興味よりも恐怖や不安が先に現れます、そして無意識のうちに入学前から行きたくなくなってしまいます。
これと同様に、大人になって多くの経験をしてきているにも関わらず初めてのケースというものが多々あります。
そうすると、今までのそれに近い経験から容易に想像して「もしかして、**になるのではないか?」という不安が先に引き出されるのです。
話も聞かないうちに、よく調べもしないうちに、過去の経験から本当に良いものであっても色眼鏡で見てしまって敬遠さえするのです。
これとよく似た話で食べ物の好き嫌いがあります、一度不味いものを食べてしまうとその食材そのものをまずいと認識してしまって嫌いになります。
調理方法や鮮度によって味が全然変わります、本来なら自分が大好きな物に変わるかも知れないのにです。
この過去の経験からくる偏見を心理学では「刷り込み」と言います、「トラウマ」もその現象の一つです。
10あるうちの1を知って、残りの9も同じものであると経験もしていないうちに先に判断をしてしまうのです、これを行っているうちは本当の真実は永遠に得ることができません。
一度失恋をしたら怖くて付き合うことができませんか?
数十億分の1人を知って残りの数十億人を同じだと考えますか?
不安だったら自ら積極的に経験して克服するのが尊いのです、起業を志した人はチャレンジ精神が無ければ止めた方がよいです、この先全てが「見えない存在」のものばかりですから。
「リスクも不安も全て自分に取り込み愉しむ」、このくらいの余裕と器が揃って初めて大事を成せるのです。