人はそれぞれに個性があります、それにプラスしてどうしても超えることができない限界点というべき個性の壁を持っています。
例えば体力は判りやすくデーターで表せます、トップクラスの陸上選手でさえどんなに頑張っても現時点で100mを9.5秒以下で走ることは不可能です。
この場合は明らかに無理な目標設定をせずに済みます、勿論高い目標を置くことは重要ですが無意味なチャレンジで身体を壊すこともありません。
しかし経営能力や思考など、データーでは正確に表せないカテゴリーではどうでしょうか。
多くの人は、自身の限界点をはるかに超えたところに高い目標を置いているのではないでしょうか。
更には自分の持つ限界点でさえ解らない人もいます、自分には到底できないことに対して無意味に無理を通しています。
起業すると、成功している人を見ては自分も同じようにできると勝手に思い込んでしまうのも頷けます。
これはスポーツの世界と同じで経営にも当然個性が出るのです、そしてその人の限界点も確実にあるのです。
これほど頑張っているのになぜ上手く事業が回転しないのだろうかと嘆くことも然り、しかしその前に自分の能力を正確に把握することが肝要です、多くの経験を通して限界点を見つけることです。
そして、無意味に自分ができないことに対して無謀なるチャレンジをしないことです。
記録を出したりメダルを取ることだけがスポーツではありません、記録やメダルとは無縁でも感動を与えてくれるスポーツ選手は沢山います、そういう人は皆から支持され自身も幸せです。
経営も同じだと思います、他者へのアピールや見栄で頑張るのは人生においては何の意味もありません、自分が満足するだけで周囲は嘲笑しても評価はしないものです、他者を意識している時点で既に自分に無理をしていることを察するべきなのです。
「まあ何とかなるさ、時が経てば全てが丸く収まる」、こういうお気楽な人をときどき見かけます、しかし多くの場合は期待に反して最悪の状況を迎えてしまうことになります。
「お気楽主義」とか「プラス思考」と言えばそうなのですが、何故この言葉とは裏腹に問題が解決するどころか更に深刻な状況を迎えるのでしょうか?
そこには、大きくその人の心理的なものを見て取れます。
「まあ、何とかなる」という時点で自分の過ちをを擁護してしまっています、つまりそう考えることで一種の逃げを作っているのです、なぜならその方が気持ちが楽になるからに他なりません。
そういう人は自分で動かずに誰かが助けてくれるのを待っています、でも決して思ったような良い状況にはなりません。
もし今までこれで上手くいっていたとしたらラッキーだっただけです、でもこういうことはそう長くは続くものではありません。
若い時には、「まだ若いから仕方ない」と周囲も応援に似た感覚で許してしまうケースもありますが一定の年齢になればそれは通じません。
厳しいようですが、問題解決には逃げずに自ら潔く覚悟を決めて行動しなければ解決の糸口さえ見つかりません。
時間だけが刻々と過ぎていくだけです、そして深刻さは時間とともに増していくのです。
上手くいってない時は、「何とかしなくては」という強い気持ちを継続して持って欲しいものです。
こんな時代はみんな厳しい中で逞しく生きています、辛く苦しいのは自分だけではありません。
自分で選んだ方法や道が正解かどうかなんて誰にも解りません、ビジネスでは人事・営業戦略・経営方針など企業には多くの決定すべき項目があります。
最終的には最高責任者である経営者が決定することになります、しかしそれが正解かどうかはその時点では誰にも解りません。
プライベートでは進学・就職・結婚と「人生の岐路」と言うべき多くの選択すべき時があります、その時にどれかを選択するわけですが選択された方法や道が正解か否かなんて誰にも解りません。
では正解とは何でしょうか、それは選んだ方法や道が自分でも周囲にも「あの選択は正解だった」という結果を残すことです。
つまり正解の本質とはあくまでも結果なのです、決して決断した方法や過程ではありません。
一度選んだら一切悩まないことが肝要です、そして選んだことを継続させることに集中し結果を出すことです、誰からも「正解だった」と言われるように悔いを残さずにやるべき事を必死にやって結果を残すこと、これが最も尊い正解なのです。
「束縛があるからこそ私は飛べるのだ、悲しみがあるからこそ高く舞い上がれるのだ、逆境があるからこそ早く走れるのだ、涙があるからこそ私は前へ進めるのだ」、ガンジーの名言は深いです、やはり言葉は何を発するかではなく誰が発したかが重要だということです。
人生には幾度も現状から逃げだしたいときがあります、これはどんな人にも起こる心理です。
でも、逃げていては何も解決するどころか更に悪い方向へ展開してしまいます。
「逃げる」という行為は立ち向かうよりも余程大きなエネルギーが要ると思うのです、何故なら自分をこれほどまでに追い込みそして失望する行為はないのですから。
それでも逃げる人が大勢いるのには驚きます、人生において一度でも逃げたら終わりです、逃げ癖は絶対に治らないと思うからです。
新たな地で新たな出会いでやり直せると思うのかもしれませんが、そうは楽できないのが「逃げ」という自虐行為なのです。
生涯に渡り、「あのとき私は逃げだした」という忌々しい記憶は消えることが無いのだそうです、そして常にびくびくしながら生き続ける、それでも生きていると言えるのでしょうか。
一時的に時を稼ぐ意味で逃げるのは戦略的には有効です、ただし落ち着いたらまた元に戻ってくるのであれば逃げではなく前向きな戦法ということになるのです。
そして敗者復活戦よろしく、成功者を目指して再度前に向かって力強く歩むことができるのです。
悩む人は嫌いではありません、ただし条件があります。
悩む状況とはいくつかあると思います、場合によっては微笑ましくも思う悩める人もいます。
一つは、目標などをクリアできずにどうしたらよいかと悩んでいる人。
または、大きなミスをおかして起死回生に向けて何かをしなくてはと真剣に悩んでいる人、こういう人は悩んでいるにも関わらず強力なプラスのオーラを放っている場合が多いものです。
このように、前向きな気持ちからくる悩みを持つ状況もこのような人も好感を持てます。
対して、大きな目標もなく何をしたら生活できるのだろうかとただ何となく日々悶々と悩んでいる人。
表情も暗くマイナスオーラが出ています、同じ悩んでいる状態でも前者と後者では雲泥の差があります。
こういう人でも悩むということは、やはり現実と自分の期待との乖離があるのですから悩む基準があるだけまだ救われます。
最も良くないのは抑揚が無いしゃべり、食べて寝るだけの生活で自分からは何もせず他者依存に始終するだけの人です、悩みとは無縁という感じの生き方です。
こういう人からはプラスもマイナスもオーラを感じることができません、存在感すら無いのですから周囲の人の記憶も徐々に薄れていきます。
悩むという行為は生きている最大の証拠であり人間である最大の特権なのです、つまりは生きていたいとか今より良くなりたいという願望からくるものだからです。
悩み、それは次のステップアップの為の充電期間なのです、どうせ悩むならトコトンでっかい悩みを抱えるが好ましいと思います。