2023年9月 4日 07:00
90年代前半から約10年ほど続いたオーディオ氷河期、多くの人は「バブル経済の崩壊によって趣味や道楽にお金を回せなくなった」という見解をしています。
でも、私はそのまっただ中でもオーディオやホームシアター道楽を更に活性化させてきて、確実に「そうじゃない」と感じていることがあります。
80年代中盤に起きたアンプ798戦争やスピーカー598戦争、そんなバブリーな時代には、オーディオメーカーも潤沢な資金を使って試聴会や新製品発表会を自社ビルにあるデモルームなどで毎月のように行っていました。
私も時間を無理やりに作っては会社を抜け出しよく行ったものです、そんなことを繰り返しているうちに何処に行っても顔を合わせる人達がいることに気が付きました。
そこで誰ともなく会話をするようになり、気が付けば毎回数人で飲み会まで開催するようになっていたのです。
オーディオメーカーに勤めている技術者やオーディオショップの店長など、私にとって極めて有益な情報を貰えるオーディオ仲間が多数できたのもこの頃です、それに合わせるかのように私のオーディオ熱も急上昇していきました。
そんな毎日がワクワクするほど愉しい時代だったのですが、80年代後半からデジタルの波が急速に押し寄せます、また同時にホームシアターの大波まで発生します。
その頃の飲み会の話題もそれまでとはガラっと変わってきます、イコライザーからDACへと、増幅回路名からサラウンド方式へと、マニアを続けるには恐ろしいほどに学ぶことやお金を使うことが多くなってきたのです。
人間とは、どんなに低位であっても安定した状況が変化して不安定な状況になると突如その場から逃げだしたくなるという本能的心理が働くようです。
飲み会でも「オレ、オーディオやめようかな?」などという会話も多くなってきます、そして90年代初頭には10人以上いたオーディオ道楽仲間の飲み会は1年後にはたったの3人にまで激減したのです。
オーディオ氷河期、そのもっとも大きな理由はオーディオマニアが大挙して一気に道楽をやめていったからです。
つまり、各メーカーの稼ぎ頭である主力製品のミドルクラスのアンプやスピーカーがさっぱり売れなくなったのです。
マニアは経済的に困窮してもやめることはしません、それなりに続ける方法を模索するからです、でも精神的に苦痛を感じ始めると一気にやめてしまうという決断に至ります。
90年代に起きたデジタル革命やホームシアター文化の台頭、業界に激震が走った裏に多くのオーディオマニアが道楽をやめていったという事実が存在していたことを忘れてはいけません。
当然、マニアが去った後に売れる商品とは、新時代の初心者向けの超エントリークラスの安価な製品群だけです。
これではメーカーも赤字を垂れ流すことになるのは当然の結果です、売れれば売れるほどエントリークラスは赤字になるのですから。
エントリークラスの存在価値は将来のミドルクラス以上の製品を購入してもらう為の入り口戦略商品です、だからファン獲得への投資と覚悟して格安の価格戦略を押し出した製品群なのです。
つまり、これを知っている人は躊躇なくハイエンドシステムにエントリークラスのCDプレーヤーをDACを介して繋いでは愉音を愉しんでいたのです、実はハイエンド版の製品の技術をそのまま流用するなどエントリークラスの製品は吟味するととんでもなく超コストパフォーマンスな製品が多いのです。
そんなエントリークラスとミニコンポ一色になった90年代中盤のオーディオショップに行っては、「日本のオーディオブームは終わったな」とポツリ呟いたものです。
ただ私はこの時代にもハイコストパフォーマンスに優れたアンプやホームシアター製品を安価に購入しては時代の恩恵を充分に受け、去り行くオーディオ仲間を尻目にマイペースに愉しんでいました。
時代や価値観が変われば自分もその波に乗って変えていく、何時の時代もその時代を大いに愉しむ方法はこれしかないのです。
嫌になったら止める、何事もその時はきっと精神的にも経済的にも楽になるでしょう、でもその後に襲ってくる後悔の念はずっと付きまとい一生消えることはないのです、失って初めてその重要性に気付いたところで時間は二度と戻ってはきません。
たかが道楽、されど道楽、道楽に対する姿勢は怖いほどにビジネスにも人間関係にも反映されるのです。
「一事が万事」、道楽に対する姿勢を見ればその人の思考や生き方が手に取る様に解ります、些細な事項ほどその人の隠し持った本質が見事に表れてしまうものなのです。