
設立来ハイエンドアンプで日本オーディオ界のリーダー的存在のラックスマンですが、昔からオーディオショップであろうが家電量販店であろうがどこで買おうとほとんど値引きしてもらえません。
おそらく代理店の条件として値引き販売を行わない契約になっているものと推測しますがその姿勢は徹底されています、他のメーカーでは発売当初から10%は定価から安くしてもらえ、更には旧型になれば最大で30%程値引きしてもらえます。
しかしラックスマンに関しては旧型でもほとんど値引きしないのです、したがってラックスマンだけはポイントが多く付くショップで購入するのが価格的なメリットだけを追求するならベストな方法だと思います。
このラックスマンの一切の値引きをしないという方針はマニア諸氏は「流石、ラックスマンは崇高だ」という人もいれば、「トップブランドに胡坐をかいている」という人もいます。
またラックスマンの特にプリメインアンプは、中古市場でも高値で取引されているばかりか真空管アンプに関しては発売当初の定価の2倍以上もする製品もぞろぞろ存在しています。
真空管アンプはパワーアンプなども含めて軒並み3倍以上の価格で、キット製品までも例外ではありません。
ラックスマンのアンプは私も含めて一度買ったらなかなか手放す人も少ないのは確かです、それだけ愛着を感じる製品を生み出すブランドなのかもしれません。
私はこういった事実を真摯に受け止める派で「ラックスマンは崇高なブランドである」と明言します、持っているだけで価値観を味わえるアンプはそうそう在りません、ラックスマンオーナーは皆さんも同じ気持ちだと思います。
音色も独特の持ち味がありますがオーラを放つ存在感を示すアンプ、そうそう存在するものではありません。

オーディオ史には数々の戦争が起きており、これも後に多くのレジェンドや武勇伝を残しています。
さて80年代のアンプ798戦争が終焉を見せた頃に突然のように勃発したのがハイコンポ戦争でした、ハイコンポとはミニコンポサイズ(幅30Cm程度)の製品のうちフルサイズコンポの定格出力だけを絞り音質はフルサイズコンポに劣らぬハイファイ製品を指します。
またハイコンポの暗黙の定義は、システム販売と並行して単体でも発売されていることでした。
火付け役はケンウッドのK's(ケーズ)シリーズで、アンプのA-1001はユニークなスタイルと音質であっという間に大ヒット&ロングセラーを構築していきました。
オンキョーはフルサイズコンポのインテグラシリーズで培った技術を投入したインテック205シリーズとインテック275シリーズを展開します、これもまた人気を博しインテック両シリーズも新製品が出るたびに大ヒットを飛ばしました。
ビクター・デノン・パイオニア・マランツなどの各社も一斉に追従し、こうしてオーディオ界はミニコンポ一色の世界に移行していったのです。
慌てたのはサンスイです、遅ればせながらAU-α7を出しますが既に先行他社が築いた要塞はあまりにも強固で参戦すらさせてもらえない状況となったのです。
この結果サンスイは体力をどんどん奪われていく結果となってしまったのです、戦争とは常に非情な結果を齎すものです。
最後になりましたが特筆すべきはハイコンポの音質です、フルサイズコンポのエントリークラスのアンプの価格の2倍近い価格のハイコンポのアンプ群は定格出力こそ低いものの決して馬鹿にできない高音質のアンプが多いのです。
価格帯は6万円前後が主流ですが、3~4万円前後のフルサイズのエントリークラスの音質よりも断然上です。
「小粒でもピリリと辛い山椒」という言葉がありますが、「小型でもビビルくらい高音質なハイコンポ」と言いたくなるほどです。
ケンウッドやオンキョーのハイコンポは、スピーカーさえ選べば下手なフルサイズのアンプを買うよりも低域もしっかり出るし中高域の切れ味も抜群です。

日本のオーディオ史において極少メーカーだったサンスイが何故80年代にアンプのシェア40%以上を誇るまでに成長したのか、そして何故ジャズファンがいまだにサンスイのアンプを使い続けるのか?
その秘密はJBLに在ると言っても過言ではありません、60年代初頭トランスメーカーだったサンスイ電気はラジオを手始めにオーディオ界に進出します。
ところがチューナーやアンプは自社製で何とか道を開きますが、最終的な音が決まる肝心のスピーカー製造のノウハウがありません。
そこで、当時の技術者が目を付けたのがJBLのアルニコ磁性体を使ったスピーカーユニットだったのです。
1966年、そんなサンスイはアメリカで既に世界ブランドを確立していたスピーカー界の大御所JBLの日本総代理店を獲得するという快挙を成し遂げたのです。
当時のJBLはジャズのライブハウスやロックカフェのPA用スピーカーでシェアを急拡大していました、このJBLの日本総代理店の獲得からサンスイの快進撃が始まるのです。
アンプの技術者陣は、JBLのスピーカーの良さを100%引き出すために改良に改良を加え涙ぐましい努力を続けたのです。
その甲斐あってJBLのユニットを使ったスピーカーシステムと、それに見合う音質を持ったアンプを70年代に大挙市場に投入しました。
ジャズファンやロックファンはサンスイのJBLユニットを使ったスピーカーとアンプをセットで買い、あっという間にオーディオ界でトリオ・パイオニアと並ぶオーディオ御三家と呼ばれるまでに成長を遂げます。
JBLの強力なアルニコ磁性体を使ったレスポンスが極めて早く強力なスピーカーユニットをドライブするアンプは当時の主流であるNFB(負帰還)では無理です、ダイレクトに入力を増幅し高速で出力に伝えなければなりません。
そこでお家芸の強力なトランスが打開の鍵となりました、強力な電源トランス、巨大な容量の電解コンデンサ、これによってレスポンシビリティが極めて高くダイナミックで硬質な低音域を発するアンプが誕生したわけです。
90年代になると世はバブル景気が終焉しオーディオ氷河期に入ります、高額なオーディオ製品はピタッと売れなくなりました。
サンスイはこの時代をお家芸を捨ててまで生き残りを図りましたが、サンスイサウンドが消えたアンプにジャズファンはガッカリです、そして徐々にオーディオの歴史からサンスイの名前が消えていったのです。
90年代中盤から現在に至るまで、70年代から80年代に凌駕したサンスイサウンドと称された音質のアンプは作られていません。
したがってジャズファンは70年代~95年に製造されたサンスイのアンプを大事に使い続けるしかないのです、ジャズファンの多くのシステムはいまだにアンプはサンスイでスピーカーはJBLかダイヤトーンです。
サンスイとダイヤトーンが消えた今、ジャズファンの嘆きが聞こえてきます、「アンプとスピーカーを新製品に変えたくも、買いたくなるアンプもスピーカーも無い!」と。

先日、「往年のブランド」の記事を書こうと思いブランドを書き出してみると、日本の世界的ブランドがあっという間に20を越えました。
しかし今これらの半数のブランドは現在製品を出していません、70年代から90年代前半の日本のオーディオメーカーは本当に世界を席巻していました。
スピーカー部門では圧倒的なパワーでダイヤトーンとヤマハの快進撃が凄かったです、世界中の放送局や音響現場のモニタースピーカーに採用され世界中のマニアを虜にしてしまったのです。
またアンプではマッキントッシュやマークレビンソンという世界ブランドにラックスマンとアキュフェーズが果敢に挑み、世界の一大高級ブランドを確立しました。
普及クラスではサンスイ・トリオ(ケンウッド)・パイオニアに加えて、ソニー・テクニクス・オンキョー・ビクター・デノンとこの時代に世界ブランドを確立した日本のオーディオメーカーは数しれません。
ところがバブル経済が崩壊し日本のこういったメーカーの多くが経営危機に陥り倒産や事業撤退が相次ぎました、オーディオ界にいうスピーカー598戦争やアンプ798戦争の成れの果てでした。
いまだによく覚えていますが、90年代後半にはオーディオショップには閑古鳥が鳴き誰もいない状況で当然オーディオメーカーも本格的なオーディオ商品を出すこともありません。
世はミニコンポとAVアンプの時代へと移行していったのです、オーディオショップから大手家電量販店に客が流れていきました。
この間に世界中でニューブランドが次々に誕生しました、特に中国メーカーの台頭が凄まじかったです。
10年後の2005年ごろから、急速に事業提携や資本提携により生き残った日本のオーディオメーカーも息を吹き返しつつありますが快進撃と言うほどではありません、特に現在ではスピーカー部門で魅力的な製品を出しているのはオンキョーくらいです。
日本メーカーが強かった時代が懐かしいです、当時は全ての方式基準が日本発だったのですから、でも時代は第二次日本オーディオブームの兆しが確実に見え始めています、往年のオーディオブランドの復活を強く望むのは私だけではないでしょう。

オーディオ黎明期の60年代~70年代には真空管アンプで、70年代後半以降のトランジスタ時代になっても常に高級ハイエンド製品で日本のオーディオ界を牽引してきたラックスマン、2000年以降も真空管アンプの復活や話題性に満ちた製品を出し続けています。
そんなラックスマンの栄誉ある道のりの途中には屈辱的な試練の時代も在ったのです、独占的な60年代とは打って変わり60年代後半からオーディオブームに乗って大手家電メーカーは勿論のこと、それまで無線機や電気部品を作っていたメーカーがこぞってオーディオ業界になだれこんできます。
70年代中盤にはラックスマンの牙城であった高級ハイエンド製品を各社が揃って出してきます、特に70年中盤に起きた各社一斉に投入したプリアンプとパワーアンプでのセパレートアンプ戦争はオーディオマニアは狂喜乱舞でしたがメーカー各社は戦国時代の真っ只中です。
そんな70年代の戦国時代を制したのが、後にオーディオ御三家と呼ばれるサンスイ・トリオ・パイオニアでした。
この御三家の快進撃の裏で経営的に窮地に立ったのがラックスマンでした、70年代最後の年に対抗策として赤字覚悟でのL-400などのライバル会社と同額程度のリーズナブルなアンプを出すも更に経営を圧迫することになります。
そのラックスマンを救ったのが当時カーオーディオ界で栄華を誇っていたアルパインです、1981年に名門ラックスマンはカーオーディオキングのアルパインの経営傘下に入ります。
しばらくは低価格ながらもラックスマンらしい製品を作り続けるのですが、1985年にアンプ798戦争が勃発するや、なんと高級ハイエンドで地位を固めていたはずのラックスマンはALPINE/LUXMAN(アルパインラックスマン)のブランドで製品を出すのです。
その製品とはラックスマンの冠には相応しくないブラックフェースで、プリアンプがFET、パワーアンプの初段が真空管、パワーアンプの終段がMOS-FETという何とも中途半端なハイブリッドアンプを創出し798戦争に参戦したのです。
この時の製品がLV-105とLV-103という製品で、しばらく続作も出しますがイマイチぱっとしない製品で終わってしまいます。
並行してLV-102という中段に真空管を使わずFETのみのシンプル設計のプリメインアンプも出しており音的には私はこちらの方を高く評価しています、また真空管を中途半端に使うよりも故障も少なくて音質的にも解っている人はこちらを選んで買ったことでしょう。
結局90年代に入り本来のラックスマンの姿に戻りますが、この85年からの5年間はラックスマンの長い歴史にあってもっとも屈辱的な時代ではないかと思うのです。
いまだにLV-105とLV-103は「名機じゃなく迷機」と言われています、ちなみにマニアが注目しなかったLV-102はコストパフォーマンスが極めて高くラックスマンらしい音質を伝承した隠れた逸品です。
しかし面白いもので迷機の数々はラックスマンの屈辱的遺産としてマニアの間で後に静かなブームを生みます、今もなお中古をオーバーホールしては高値で取引されているのです。