タンポポは北海道から九州まで広く分布している植物で人工的な平たんな場所を好んで生息しています。
例えば田畑や公園、そして道路など根を張る隙間さえあれば何処でも根付いて花を咲かせます。
しかし逆に、人里離れた高山や森林などには自生していません。
更には、100年ほど前に日本に持ち込まれた西洋タンポポと日本古来の在来タンポポとの生息域と環境の変化、これらを調査することで日本人の生活環境そのものを間接的に知る事ができます。
その意味でタンポポの調査は、植物研究者を中心に日本全土で広がりつつあります。
近年では、タンポポの花の奇形の調査も民間を中心に行われています。
特に、福島の原発事故以来奇形の報告が相次いでいます。
しかし、私もこの花の奇形について調べてみると原発事故以前にも日本全土で多くの報告が有り、直接的な原因になっているとは思えません。
ただ、これを機会に多くの人がタンポポについて興味を持ち、また調査を行うようになったことは好ましい事だと思っています。
身近な雑草であるが気付かれないタンポポをもっと知ってほしいのです、そしてそのタンポポから我々人間の生活環境の変化に気付いてほしいと願うばかりです。
今まで長期間に渡り見向きもされなかったタンポポですが、「環境指標植物」として立派に人間の生活環境保護にも役立っていることをもっと多くの人に知っていただければ幸いです。
当協会は、タンポポの研究を通して生活環境から疾病に至るまであらゆる分野を研究し、その成果を公開し続けていきます。
「日本古来のタンポポが西洋タンポポに駆逐される」などという記事が多く見受けられますが、各種の研究論文を読むと住み分けによって日本古来のタンポポ種と西洋タンポポは共存しています。
確かに、気候の影響をあまり受けない西洋タンポポが日本全土に自生しているのは確かではあります。
さて、では西洋タンポポはいつ日本に来たのでしょう?
それを調べているうちに意外な事実が解りました、実は西洋タンポポは食用として日本に持ち込まれていたのです。
1870年ごろ、アメリカのウイリアム・ペン・ブルックスという牧師がサラダ用に西洋タンポポの種を持ち込み、札幌農学校で試験栽培していたものから種が飛び散り日本各地に広がったようなのです。
その30年程後に植物学雑誌に紹介された際に「セイヨウタンポポ」と名ずけられ、人々の知ることとなりました。
なんと、明治時代に日本で食用タンポポを栽培しようとしていた人が居たのですね!
しかし何故、西洋タンポポが野菜として定着しなかったのか、大いに疑問が残ります。
その理由も、先のウイリアム・ペン・ブルックス氏にありました。
実は彼は西洋タンポポ以外に多くの野菜の種を持ち込み北海道のあちこちの農家にその栽培方法などを教えました。
その時の野菜はキャベツ・トマト・ジャガイモ・ニンジンなど数十種に及びました。
結果、タンポポよりも日本人の舌に合った野菜が多く栽培されるようになり、悲しきかなタンポポはいつしか人々に忘れられた存在となり野菜から雑草と化してしまったのです。
こんな歴史や事実を調べると、食用として復活させたいという気持ちが湧いてきます。
また、西洋タンポポは非常に稀な生態を持っていました。
この繁殖力の強さが研究で解り、冒頭の「日本古来のタンポポが駆逐される」という事に繋がるのです。