例えばアトピーなどの皮膚疾患は命に関わるような緊急性は無いにせよ長期間心身ともに悩まされる厄介な病気です、逆にもの凄い痛みを伴いますが外傷の場合は一時的な痛みを堪え治療さえすれば完治します。
経営悪化企業や個人のの再生はこれと同じようなことが言えます、経済リスクの観点から一般的に言えることは後者の方がリスクは極めて高いのですが長期間苦しみの中で低迷するよりもはるかに有益だということです。
企業の病は経営者だけではありません、家族に社員やパートナーなどの身内と呼べる存在にまで広がってきます、それを考えて短期間の厳しい痛みが伴う外科手術で治すのか、それとも痛みを誤魔化しながらも薬でじっくり内科療法で治すのか、両者のうちどちらが好ましいのでしょうか。
ここで何社もの企業や個人再生に携わってきた経営コンサルタントの立場で言えることがあります、それは長時間かけてじっくり修復させようとする企業や個人の多くが知らないうちに更に悪化してくるという事実です、立て直しどころか立て直しの機会さえも失いプロでも手のつけられない状況に陥るケースが実に多いのです。
これは再生の機会さえも失い、もっと言うと無駄に時間とお金を使って何一つ守ることができないという人生での最悪の結果となります、経営には潔さと覚悟が肝要です、経営には何の意味も持たない主義主張と意味の無い自己擁護的なプライドは綺麗さっぱりと捨てることです。
テクノロジー分野において異種の存在や技術を組み合わせ新たなものを創造することを「ハイブリッド思考」と呼んでいます、このハイブリッド思考で物事を創造できる人が天才科学者と呼ばれる人に多いという分析結果があるのはご存知でしょうか?
科学とは先人の理論を引き継いで検証や実験を繰り返し最終的に証明に値する根拠を示せた者が栄誉に輝く世界です、アインシュタイン然り野口秀雄然りです、その思考そのものがハイブリッド以外の何物でもありません。
多くの発明や理論はこれまでにないものを一瞬で閃くということはありません、同じことを継続して根気よく考えているなかである時にそれが一つにまとまり理論が完成するのです、それが本来の意味での「閃き」の本質なのです、つまり何の努力も無しでの発明や理論の創造などは有り得ないのです。
このハイブリッド思考で重要なのが正確な情報を脳内に整然とマトリックス化できるというロジック展開です、物であれば構造設計そのものであり、見えない理論であればアルゴリズムということになります、得た情報を基に明確にロジック化できるのもまた一つの特殊な能力であると言っても過言ではありません。
推論や推理に長けた人はまさにこの情報からロジック展開しての分析能力に長けた人であり、知る筈もない過去に起きた事象やこの先に起こるであろう見た事も無い事象を読む能力を持ち合わせた人です。
他方、文章能力を示す言葉にリテラシーというのがありますが、このリテラシーも実は一つのロジック展開能力なのです、ここで勘違いしてほしくないのは世に誤って伝わっている「思った事を文章にすることができる能力」は「リテラシー」とは呼びません、これは単純に文章が上手く書けるということに過ぎません。
得た知識や自身で考えていること、これらを頭の中でロジック展開しなければ特許や論文という他者に正確に伝える文章を明確に書くことができません。
このリテラシーなどのロジック展開能力は努力で身につくものは僅かであり、多くは先天的な脳の構造によるものであるという興味深い研究結果があります、ロジック展開能力の有無はSNSやブログの文章にもそのまま出ます、思ったままに話をするように書く人はロジック展開する能力が欠如しているか共感性の強い人かのどちらかです。
ロジック展開ができる人は起承転結ではありませんが、文章自体が階層的且つ入口から出口まで綿密に仕組まれた電気回路のようなロジック的文脈になっています、これは見る人が見ればロジック展開している文章なのか、それとも単なる表面意識での感性に任せた文章なのかはすぐにも理解できます。
このロジック展開能力こそがビジネスで成功させる必須の能力だと科学者の多くが認めています、またこの基本に在るのが男性脳とも言われる左右分割能そのものの物理的要因だとも考えられています。
単純な文章を書く領域は左脳に在ります、しかし特許や論文などのロジック展開文章を書くのは左脳に加えて同時に右脳の能力が大きく関与しているのです。
先の文章が上手い人というのは左脳が優れているという可能性があり、右脳と連携して行われるロジック展開でのリテラシーが高いかどうかとは別次元なのです、事業計画もマーケティング戦略も全てがロジック展開で構築されないと一貫性が無いとんでもない内容になってしまいます。
ロジック展開されていない計画や戦略はその場の思い付きだけであり、良くて「絵に描いた餅」であり悪く言えば「根拠のないデタラメな空想」でしかありません、つまり事業計画書や提案書をぱっと見ただけで、その人がロジック展開できる人かを見極めることが可能なのです。
ロジック展開能力とは他の事象との相互関連性と明確な差異を細部に渡り正確に見い出せる能力でもあるのです、経営者でこの能力を持ち合わせているとしたら、おそらく今の幸福事ではなくて5年~10後に来るべく状況に焦点を当てた未来思考での事業計画を頭の中で完璧に策定していることでしょう。
そして、全てが予めスケジューリングされていたかのように「来るべきXデー」に向け、自身で策定した成功シナリオ通りに事業推進を粛々と行っているはずです。
些細な事をきっかけとして物事が大きく変化することは珍しいことではありません、例えば会社ではたった一人の入社によって難航していた商談が次から次へと決まりだす、また逆にまとまっていた社内が一気に険悪なムードになるなど、それまでの流れが一変することがあります。
そのタイミングが何かと考えると、ある人との出会いや離別が発端となっていることが多いことも事実です、私事ですが最近急速にある種の有力な人脈が形成されつつあります、その人脈との接触は実は最近のことではないのです、ただ互いに共通するある種の事項に遠慮していて距離を取っていたように思います。
その共通した事項が必然のことのように自ら消滅したのです、それが何を示すのかはあえて言いません、しかし不思議な事にそれをきっかけとして今までその事項に関して遠慮していた人たちが急接近してきたことは事実です、そして本音の話を始めるや否やビジネスマインドや目標とする事項、更には価値観までもが一致していることが互いに確認できたということです。
経済界でいう「灰汁抜け(あくぬけ)」或いは「悪材料出尽くし」、それは物事が何らかの障壁があってスムーズに運ばない状況の時に、その原因が消滅した瞬間にそれまでの時間を埋めるように急速に好転することを意味します。
何れにしてもこの人脈は関係している人全てがそれぞれの足りないものを補完し合え、更には得意としている部分を相互に活用できるという、まさに理想の関係が形成されつつあります、因果とはまこと不思議なものです、何をきっかけに好転するのか暗転するのか、その瞬間には誰にも解らないのです。
この10年ほどの起業目的が私の頃とは大きく異なってきています、私の起業は今から40年ほど前になります、この時代は株式会社では資本金1000万円を集めて社員もそれなりにそろえての起業が基本であり誰でも手軽に起業できる時代ではありません、また誰もが「起業するなら上場」を夢見た時代でもあり社員数も競うように増加させては成長路線を築いていったものです。
その後法改正を繰り返し今では資本金もほとんど用意しなくてもよく、誰でも気軽に起業できるようになりました、そして当時と一番の違いは起業目的かもしれません。
私の頃の時代は「起業したら上場」を夢見たように企業を大きくしてビッグビジネスを行う事を目的とした起業でした、今では「自分のスタイルでビジネスしたい」というのが目的であり企業を大きくする事には拘りません、むしろ一人か多くても数名程度の規模で気軽に楽しくビジネスするということが基本にあるように思えます。
目的は異なっても変わってはいけないという事があります、その企業のビジネスにおいて最も大事なことですが自分目線ではなくて顧客目線で事業スキームを考えられているかということです。
少なくても重要なのは顧客に対して何を提供していけるかではありません、それを利用することによってその顧客がどのようになるかです、ビジネスの基本は結果的にどんな利益と最終状況を顧客に提供できるかにあります、つまり入り口の方法は何でもよく出口戦略が最も肝要なのです。
最近の起業家の夢や事業計画を見て聞いて伝わってくるのが自分が何をやって利益をどう上げていきたいかということだけに留まっているのが実態です、ではその売り上げはどこから齎されるのでしょうか、自分の給与は誰が払ってくれるのでしょうか?
夢を語るも事業計画や提案書を作るも顧客目線で一度考えてみると良いでしょう、今まで考えていたものとまるで違うものになってくるはずです。
顧客が望んでいるのはあなたの夢の実現でも事業の成功でも何でもありません、自分の満足度と利益(メリット)にどう繋がるかどうかということだけです。
自身の夢や事業計画を語るのであれば実現した場合に社会にどう貢献できるのか、それを利用する顧客がどうなるのか、ということを語ることが何よりも重要なことではないでしょうか。
この頃の起業家の意識は何かが間違っています、少なくても顧客目線で全てを考えられる人がビジネス成功者となれるのです。
「利益=売上-コスト」というのは誰でも解る利益計算です、そこで経営者の多くは利益が出なくなると必ずとコスト削減を考えます、確かに売り上げが一定であればコストを下げれば利益は確保できます、しかし実際にはこうは上手くいきません。
企業のコストの多くは人件費・維持経費・活動経費です、したがってコスト削減すると事業もそれに伴って縮小を余儀なくされます、何故なら事業は人によって推進するからに他なりません。
他の人がやっていた事を経営者自らがやれば確かに人件費は減ります、では経営者が本来やるべきことは誰がやるのでしょうか、経営者の代わりはいないのです、経営者が事業に専念できなくては売り上げが下がって当たり前です。
無駄なコストを削減するのは常勝手段です、でも売り上げに係るコストの削減と経営者が事業に専念できなくなるコストの削減は絶対にしてはならないのです。
ではどうするのか、それは売り上げを上げる方法を模索することです、そしてそれに必要なコストは逆に増やすことです。
企業を正常に成長させたいのであればコストダウンではなくコストアップなのです、そして経営者は事業推進に専念することが最重要です、それを可能にする為に必要な資金なら何としても得ればよいのです。
最後に、経営の資金繰り感覚と家庭の家計簿感覚を混同してはいけません、この2つはまったく次元の異なる金銭感覚です。
家計簿感覚とは決まった収入をどのように配分するかの引き算の世界です、対して資金繰りとは事を成すのに必要な資金をどう作るかの足し算の世界であり家計簿感覚とは180度思考が異なります、家計簿感覚でのコストダウンでは企業成長は望むべくもありません。