2024年8月19日 07:00
私の大好きな三国志の武将に呂布(りょふ)という人物がいます、彼は天涯孤独を愛し相手が皇帝であっても屈しない強い心の持ち主であり文武(知力・武術)に長けた大人物です。
その呂布の残した名言がまた実に深いのです、「自ら人を遇するに礼無きを以って、人の己を謀るを恐る」というものです。
この意味は、「相手を侮って非礼な事をすると、今度は相手が何時陥れを行ってくるかと生涯に渡り怯えて暮らさなくてはならない」というものです。
ましては自分の非礼や債務不履行を棚上げにして、更にこれを咎(とが)められるとその人を根拠も無く責めたり縁を切ってしまうのは先の言葉の意義を2重3重にしてしまっています。
これは、その後に長期間に渡り相応の心の負担が圧し掛かってくることになります。
冷酷な凶悪犯でさえも、自分の犯した罪に対して思い出さない日は一日も無いといいます。
「運が良い人」とは、決して自ら他者を愚弄したり裏切るようなことはしません、その結果どのような状況になるのかを歴史や周囲の人の結果から充分に学んでいるからです。
ただし、相手の理不尽なる名誉棄損や裏切りを確信した場合はその後に何が起こるかを想定したうえで事前準備をそつなく整え決別の道を選択します。
そのままの状況では更に関係悪化し、関与している周囲に迷惑がかかることをよく解っているのです。
ここで、決別の道を選んだ場合の対処法は最後のまとめで話しましょう。
さて、上記のように他者を侮どり非礼を行ったり裏切ったりした人は、どのような状況になるでしょうか?
それは、どんなに強い心の持主であっても相手のことを何時までも決して忘れることはありません、強烈な記憶となって残ります。
つまり、何時まで経っても相手の行動が気になり常に偵察を欠かせなくなります。
その強い警戒心から無意識のうちに自分の得意とする勝ちパターンが変化し得意な戦法が使えなくなります。
そして相手がよく使う言葉を意識して使うようになり、生き方や理想とする世界観を目指し真似するようになります、この深層心理からくる無意識なる行動とはまさに心理誘導の如くで極めて恐ろしいものです。
こうなっては、何をやってもお金と時間を浪費するばかりで中途半端に終わり、夢や目的の達成などは永遠に有り得ないでしょう。
更に怖いのは、気付いて修正しようと思えば思うほどその心理誘導の深い罠にはまっていきます。
「運が良い人」とは、自分の成功事例や勝利パターン、そして得意とする戦法をしっかりと持っていて、それを堅持し維持できなくなることを最も恐れます。
その最も恐れる「自分の手法を維持できなくなる」こととは、全てが自分のスタイルとペースでできなくなることを指しています。
もっと言えば自分らしく生きられないことを意味します、その最大の障害となるのが強い他者意識に他なりません。
「運が良い人」は、他者を強く意識しなければならなくなる状況を決して自ら作らないのです。
自分から挑発したり、喧嘩を売ったり、相手を怒らせたり、他者を裏切ることは一切しないのです。
「運が良い人」は、自分に無関係な事項を意識することなく自分のスタイルとペースで物事を粛々と推進しています。
そして、常に平穏な心で過ごしていられることに対して細心の注意を払っています。
平穏な心で暮らせなければ気持ちの余裕は無くなり、全てにおいて冷静なる的確な判断ができなくなるからに他なりません。
だから、平穏な心を維持できない状況を作る人や事象を自身の周囲には決して置かないのです、つまり常に自然な流れの中で無理のない形で断捨離を決行しているのです。
そして、断捨離するときは自ら決して初動を起こしません、むしろ相手から断捨離を決断してもらうように相手を徐々に心理誘導していくのです。
無駄な時間と費用をかけてまで何故そうするのか?
それは自分自身に罪の意識を持たなくてもよいようにするためです、これも冒頭での他者意識ということに繋がる要因となるからです。
これが孔子論語にいう「上手に人を好み、上手に人を嫌う」コツであり、同様に「嫌われても恨まれるな」ということにも繋がる方法なのです。
他者に暴言を吐かれたり嫌われることなどは、自分らしく生きられないことに比べたら極めて些細な事象であり甘んじても受け入れられることだと思います。
平穏な心を維持できなくする人は確実に善き波を打ち消し悪しき波を巻き起こします、この状況が極めて強いストレスとなるのです。
こういう状況が、「運の良い人」からすれば最も好ましくないと思える状況なのです。
だから、こういう状況を招く人を自身の脇には置かないのです。
「強運な人」、それは「運が良い人」なのではなく「運を味方にする術を持っていて、運を自ら呼び込むほどに精神力の強い人」なのです。