2023年5月 8日 07:00
歳を重ねてくると社会に根付いた枠組みについて何とも居心地が悪く感じることがあります、枠を超えたというよりも自身の中に新たに枠を作り上げていく、こんなことが理想の一つになってくるものです。
そんな意味でも時代は大きく二極分化に向かっています、その格差と状況は広がるばかりです。
それぞれのカテゴリーにおいてAグループとBグループとに分かれ両立する時代です、今後はその選択が極めて重要になります。
二極分化の時代は、一つのグループを選択した瞬間にもう一つのグループとは無縁になることを意識しなくてはなりません。
それぞれのカテゴリーにおいてどれを選択していくか、誰を選択していくか、その結果は大きく明暗を分けます。
そんな中、ある人が私を評して「中庸(ちゅうよう)エネルギーが強い人間」だと言い表しました。
つまり、常にどれを選択するか、誰を選択するか、という選択そのものを行わないという意味においてだそうです。
「中庸」とは一般的に言われる両極の真ん中を意味する言葉ではありません、正確には両極何れにも偏らないことを意味しています。
例えば、白黒の真ん中のグレーではなく「無色」、左右の真ん中である中央ではなく「上下」がこれに当たります。
二極分化の時代にあってどちらのグループも選択せず属さないという道もあるのです、つまり「唯我独尊」ではないのですが自身の道を極め歩むということかもしれません。
陰陽思想から確立した易学における「簡易」、量子物理学における「中性子」、極めれば「中庸」は3つ目の極という存在なのです、私の思考の中に常にこの「中庸」を極めるという目標が在るように思います。
コンピューターの電気的な特性においても「中庸」は存在します、例えばコンピューターのメモリは通電中は「1」か「0」の状態を保持していますが、無通電の時は「1」でも「0」でもない「OFF」という状態になっているのです、つまり通電した瞬間にどの状態になるかは不明な状態になっているのです。
またデーター伝送においても「中庸」を意識しないと正しい伝送が行えません、例えば一定時間経ってもレスポンスが無い場合はどのような処理を行うべきかを予め設計しておく必要があるのです。
ITを志向する場合には、「中庸」をどこまで意識するか否かでシステムの精度が大きく変わってきてしまうのです。
IT技術者は「中庸」という言葉を知りません、しかし優秀な技術者は無意識に「中庸」という状態を確実に意識して設計しています。
この概念を極めているかどうか、AIが台頭する時代において極めて重要になってくるということだけは覚えておくとよいでしょう。