
オーディオ道楽で音質を極めていく過程で、いろいろなアンプやスピーカーを買って繋ぎ換えては悪戦苦闘を繰り返すのですが、ときどきハッとする神の音色に出会うことがあります。
「良い音」って確実に次元が異なるのです、自分が思い描く好きな範囲での音質を100とすれば、90点を取る音質の組み合わせは5万とあります、もっとも90点なら合格ラインでありメインとしてしばらく聴き込んだりします。
ただ、ときどき出現するのですが、200点とか300点の神の組み合わせが在るのです。
この神の組み合わせでの音色は「良い音」という表現もできなく、おそらくどんな形容詞を以ってしても安っぽくなってしまうほどに、この世の音では無い程の音に魅了されてしまいます。
これまで聴いたことも無い響き、感じたことも無い余韻、生のように張り出す楽器の音色、頭の中が音に満たされ真っ白になってしまいます。
神の音色、これに出会ってしまうとハイエンドアンプだとかハイエンドスピーカーだとかはどうでもよくなります。
ただアンプはときどきミドルクラスでこのような突然変異の天才が出現しますが、ことスピーカーに関してはある程度の価格以上のものでないと得ることはできません。
こればっかりはお金を幾らかけても得られないのです、なぜなら製品だけではなく部屋も含めた全ての音の要素が織りなす音色だからです。
オーディオ道楽復活で、まず求めたのがこういった神の音色を出す組み合わせです。
この次元の異なる音色を奏でる組み合わせはあるとき突然現れるのです、それは考えもしなかった70年代のアンプと最新のスピーカーだったり、最新のデジタルアンプと90年代の小型スピーカーだったりするのです。
こればっかりは思い込みを排除してひたすら合わせてみるしか得られないのです、こんなところから「頭で考えずに先ずはやってみろ!」という自身への学びを得るのです。
オーディオに理論も常識もありません、ましては脳の合理処理である思い込みや思い付きなど一切通じません、「実際に合わせて鳴らしてみる」、これだけです。

私のオーディオ製品の中で、同じものを2台所有しているものが幾つかあります。
この理由はマチマチですが、多くはコレクションとして残しておきたいものだけど現役としても使いたいと思えるものです。
多くはしばらく使ってしっくりくることを確認した後に買い増しします、場合によっては既に手に入らない事もあります、そんな時は良質中古を探し求めます。
この代表格がサブウーハーのデノンDSW-7Lです、色違いで2台所有しています。
また、実験でどうしても2台必要な製品があります、その代表格がサブウーハーのヤマハYST-FSW050です、購入の際にショップの店員さんに何度も確認されました。
まあ、普通は1台で事足りるサブウーハーを同時に同じものを2本買う人は私くらいでしょうから、何に使うのか不思議だったのでしょう。
また、年代が変わり型式が事なってもスペックが同じものであればそれを買い求めます。
この代表格がオンキョーの小型ブックシェルフD-202AXとD-202AX LTD、同じくオンキョーのハイコンポアンプA-905XとA-909Xです、またティアックのハイファイデジタルアンプのAG-H600も然りです。
また、サンスイの7シリーズのアンプは年代によって音色が違うので年代ごとに4台所有しています。
オーディオって同じメーカーでも年代によって音質や音色が大きく変わってきます、その音が欲しい時にここに無いというストレス、これを回避しているのかもしれません。
音もある意味では趣向品だと思うのです、お酒やお菓子と同じなのではないでしょうか?
つまり、何時でも在るという安心感ですか?

オーディオ道楽復活後は日夜オーディオ妄想が止まりません、先日は「間接オーディオっていうのはどうかな?」なんて漠然と考えていました。
光には間接照明というのがあります、音にも間接音響というのが在ってもいいのではないかと思うのです。
間接音響といえば隣の部屋に回り込んでくる音が間接音であり、直接スピーカーから出ている音とは異なり高音域が遮断された音で刺激の無いぼんやりとした音がします、これは光の間接照明と同様で刺激が無く聴きやすい音でもあります。
高音質を目指したハイファイオーディオではありませんが、何かをしながらの「ながらオーディオ」としては邪魔にならない実に好ましい音がします。
そこで密閉型の小型サラウンド用スピーカーを使って実験してみたのです、スピーカーを後ろ向きにして壁にスピーカーユニットが向くように配置して音楽を聴くのですが、これが思いもよらない効果がありました。
それはどこから聴こえてくるのか解らないという効果で、臨場感こそ有りませんがどこに移動しても同じような音質と音量で聞こえるのです。
また懸念していた高音域の減少もそれほど大きくなく、しっかりと高音域も聴こえてくるのです、これにはかなり驚きました。
後ろの材質や反射の仕方で聴こえ方がガラリと変わり実に面白い実験でした、置くだけで間接音響が出来上がるというスピーカーが在っても良いと考えてしまいます、また一つ愉しい夢が生まれそうです。

オーディオ界には、昔から名機と呼ばれる製品があります。
しかし、その明確な定義というのは存在していません、オーディオ評論家やオーディオマニアなど多くの人から絶賛された製品が後に名機と謳われるのです。
その意味でアンプの名機の多くはその時代を代表するような傑作品で、価格・音質・スペックとどれをとっても優れた製品を称え名機と呼ばれます。
その意味からして高級なハイエンド製品は全て名機かというとそうでもありません、何故なら価格が高くて音質が良いのは当たり前だからです。
手頃な価格でありながらハイエンド製品に劣らぬ音質で大ヒットを飛ばし、且つ後続機を出しながらシリーズ化されロングセラーを続けたミドルクラスの製品に付けられる傾向があります。
サンスイであればAU-α607であり上位機種のAU-α907ではありません、ソニーであればTA-F333であり上位機種のTA-F555ではないのです。
私もこういったミドルクラスでありながら、上位機種やハイエンド製品と同じ回路を使った定格出力だけのダウンサイジング版など、音質・音色は同じで価格だけが手ごろ感のあるアンプを高く評価し購入する傾向にあります。
また、後に系譜を辿るとその製品が実は名機であることが解ると後追いで優良中古を求めることもあります。
70年代のヤマハのCA-2000が絶大な評価を得た後、その系譜の発祥であるCA-1000が製造中止になっていたにも関らず人気を博して中古価格が上がり初め慌てて購入したこともあります。
こういった製品は、歴史的な価値と製品そのものの音質的価値が評価され後に名機と謳われるのです。
名機と謳われるアンプにはそれなりの意味と理由が存在しています、持つ喜び以上にこういった名機は何年経っても音質の古さを感じさせません。
名機とは名機と呼ばれる根拠がしっかり在ります、ストックラックに収まっていても名機に相応しいオーラを何時までも放っているのです。

ラックスマンの祖業は錦水堂額縁店のラジオ事業でした、当時錦水堂が発刊した「ラヂオブック」は多くの電子工作マニアを釘付けにした電子工作の神本でした。
これをきっかけにして、多くの電子工作雑誌が発行されるようになったのです。
ちなみに昭和初期の頃は「ラジオ」ではなく「ラヂオ」と記述していました、面白いですね。
日本の電気工学ものづくりに大いに貢献した1冊、どれほどの価値が有るか解りません。
私が電気工学に目覚めたのは中学2年生くらいの頃です、いろんな物を雑誌を見ながら作りましたが、大作は真空管5本を使ったラジオ(五球スーパーヘテロダイン)です。
生まれて初めてのハンダ付け、祖父に教えてもらいながら半日かかりましたが、音が出た時には嬉しかったですね。
この真空管ラジオ、まだ実家に残っています。
実家から真空管アンプや大型スピーカーを持ってくる時に、一緒に持ってくる計画です。
そんな電子工学少年の育成に貢献した「ラヂオブック」、その頃の雑誌に表紙だけ載っていた記憶があり、50数年経った今ネットで探したらなんと書籍の全てが公開されていたのです、なんという善き時代になったのでしょう。
真空管アンプの基本がここに在ります。
錦水堂ラヂオブック 出筆者:早川迭雄(ラックスマン創業者)
https://ay-denshi.com/download/radiobook_1.pdf