
オーディオ製品はあくまでも家電です、したがって部屋に置く場合には他の家電と同じようにインテリア性を損なわないようにしたいものです。
本当にインテリア性を意識せずにオーディオを思う存分に楽しみたい場合は、専用のオーディオルームを用意するのが好ましいと考えるのが私流です。
生活空間に違和感のないように、自然な形で音の有る空間を醸し出すというような美しいオーディオライフが好ましく思います。
その意味では、オーディオ道楽復活後はオーディオ&ホームシアター専用部屋と、リビングに置くサブシステムを完全に分けて考えています。
オーディオ専用ルームは逆に他のインテリアを置かずに、オーディオ関連のものしか置きません。
リビングのサブシステムは音を追求するのではなく、音楽を流し聴くようなBGM的な要素を多くして、周囲のインテリアと違和感なく調和するような形や色の製品を選んでいます。
とは言いつつも、ただ聴くだけの家電的なミニコンポではない、と言うのがオーディオ道楽を行う人間として最低限の拘りは出しています。
また、さりげなくそこにオーディオ製品が在るというように目立たない薄型のものを置くようにしました。
オーディオマニアの多くの人の家の中とは、生活の全てがオーディオみたいに部屋中にアンプやスピーカーが散乱しているのをよく目の当たりにしてきた私は、他者の振り見て我が振り直せではないのですがオーディオは生活の一部であって全部ではないという思いが強くなってきました。
オーディオを道楽としても、生活の中にはできるだけオーディオを持ち込まないというくらいにインテリア性を重視してほしいと思うのです。

オーディオ道楽で音質を極めていく過程で、いろいろなアンプやスピーカーを買って繋ぎ換えては悪戦苦闘を繰り返すのですが、ときどきハッとする神の音色に出会うことがあります。
「良い音」って確実に次元が異なるのです、自分が思い描く好きな範囲での音質を100とすれば、90点を取る音質の組み合わせは5万とあります、もっとも90点なら合格ラインでありメインとしてしばらく聴き込んだりします。
ただ、ときどき出現するのですが、200点とか300点の神の組み合わせが在るのです。
この神の組み合わせでの音色は「良い音」という表現もできなく、おそらくどんな形容詞を以ってしても安っぽくなってしまうほどに、この世の音では無い程の音に魅了されてしまいます。
これまで聴いたことも無い響き、感じたことも無い余韻、生のように張り出す楽器の音色、頭の中が音に満たされ真っ白になってしまいます。
神の音色、これに出会ってしまうとハイエンドアンプだとかハイエンドスピーカーだとかはどうでもよくなります。
ただアンプはときどきミドルクラスでこのような突然変異の天才が出現しますが、ことスピーカーに関してはある程度の価格以上のものでないと得ることはできません。
こればっかりはお金を幾らかけても得られないのです、なぜなら製品だけではなく部屋も含めた全ての音の要素が織りなす音色だからです。
オーディオ道楽復活で、まず求めたのがこういった神の音色を出す組み合わせです。
この次元の異なる音色を奏でる組み合わせはあるとき突然現れるのです、それは考えもしなかった70年代のアンプと最新のスピーカーだったり、最新のデジタルアンプと90年代の小型スピーカーだったりするのです。
こればっかりは思い込みを排除してひたすら合わせてみるしか得られないのです、こんなところから「頭で考えずに先ずはやってみろ!」という自身への学びを得るのです。
オーディオに理論も常識もありません、ましては脳の合理処理である思い込みや思い付きなど一切通じません、「実際に合わせて鳴らしてみる」、これだけです。

ホームシアターを道楽にしている人なら今回の話しはすごく納得するはずです、それはリモコンが命という話しです。
近年のAVアンプやプレーヤー類には必ずモコンが付いてきます、そして多くの機能がリモコンが無いと操作できないのです。
リモコンが無くてもエアコンのように電源オンオフと基本的な操作は行えますが、各種のモード設定や音質効果の設定などは行う事ができません。
ミニサイズのエントリークラスですと、サラウンドの命であるサラウンドモードの変更さえもできないものが多数存在しています。
つまり「リモコンが無ければただの箱」、これが近年のホームシアター製品なのです。
これを裏付ける事実が有ります、オーディオショップにずらりと並んだ中古品、同じ製品で同じ状態でもリモコン有りと無しでは価格が倍以上異なるのです。
更には、中古ネットショップにはこれらのリモコンが1万円以上の価格で取引されているものもあるのです。
つまりこういうことです、下取りに出す際は10万円のホームシアター製品でも1万円以下です。
それならばと、リモコンだけネットオークションにかけて売ってしまい、リモコン無しのものは下取りに出す、こうするとトータルでは倍近い価格で売れることになるのです。
かくしてオーディオショップの店頭には、リモコン無しの役に立たない中古品が山と積まれているのです。
でも、これらはまったく役に立たないわけでもないのです、電気回路に詳しい人ならしっかりと使い物にしてしまうわけです。
AVアンプとはいえ、そのシステムのベースはオーディオアンプです。
リモコン無しでも使える基本部分は多数存在しており、設定を全てリセットしてパワー部だけを上手に組み合わせれば激安のシステムが構築出来てしまうからです。
知恵者はどんな世界でも得をするようです。

80年代前半にトリオやパイオニアと共にオーディオ御三家と呼ばれたサンスイですが75年頃からの快進撃は凄かったです、一時期はアンプのシェア40%という快挙を成し得ますが自ら勃発させた85年の798戦争以降サンスイの経営に突然のように陰りが見え始めます。
1974年から12年間代表を務める藤原氏から1986年に伊藤氏に変更すると同時に、伊藤氏の元で会社再建策が実施され希望退職者を募り社員数を25%カットします。
1987年にCIを実施しロゴを変更します、1989年にはイギリスのポリーペックインターナショナルから156億円の出資を受け拡大戦略を打ち出します。
運が悪いのか時期が悪いのか、リスタートをかけたその直後にバブル経済が崩壊しオーディオ氷河期に突入します、更に悪いことにポリーペックインターナショナルが経営破綻し後方支援が無くなり再び財務悪化に陥ります。
1990年に代表を稲宮氏に交代し、1992年に今度は香港のセミテックの資本傘下に入りますがセミテックもこの10年後に経営破綻してしまいます。
1994年からは毎年のように代表が入れ替わり工場や本社などの不動産を売却し移転、更には社員のカットなどサンスイはどんどん衰退していきます、2000年には社員数が50人を割り経営状況は更に悪化の一途を辿ります。
2001年にAU-111Gビンテージを最後にアンプの製造が途絶えます、これが事実上のサンスイのオーディオ史の終焉となります。
2002年にはついにオーディオから撤退し映像機器やパソコンのディスプレイなどを手掛け会社の生き残りを模索しますが、オーディオで築いた金字塔が逆に邪魔をして新事業も上手くいきません。
2010年以降は上場廃止など事実上のゾンビ状態と化し、2014年に破産手続きが開始され2018年に完全に法人が消滅します。
この一連のサンスイの衰退劇をオンタイムで見てきた私として、2000年以降のサンスイはとても直視できるものではありませんでした。
アンプからいきなりパソコンディスプレイです、オーディオ界を引っ張ってきたアンプの巨匠が何を考えているのだろうと正直思いました。
そして破綻後に経済アナリストからこんな厳しい言葉が浴びせられます、「山水の社名の由来は"山のごとき不動の理念と水の如き潜在の力"だそうですが、同社が求めたのは"山のごとき不動のオーディオキングの名声と水のごとき豊富に見えた海外資金"だったようだ」と。
海外資本に染まったかつてのアンプの巨匠、日本メーカーは面倒な株主構成のサンスイには暖かい手を差し伸べたくもできない状況だったに違いありません。
1990年以降のバブル崩壊とオーディオ氷河期のダブルパンチ、そんな中でも安易に他者依存せず自助努力で乗り切ったオーディオメーカーも多いです。
何かを間違えてしまったのでしょう、「優秀な技術も人材も、盤石な経営母体が有ってこそのものだということを忘れるべきではない」、当時の私にとっては大き過ぎる学びでした。

私のオーディオ製品の中で、同じものを2台所有しているものが幾つかあります。
この理由はマチマチですが、多くはコレクションとして残しておきたいものだけど現役としても使いたいと思えるものです。
多くはしばらく使ってしっくりくることを確認した後に買い増しします、場合によっては既に手に入らない事もあります、そんな時は良質中古を探し求めます。
この代表格がサブウーハーのデノンDSW-7Lです、色違いで2台所有しています。
また、実験でどうしても2台必要な製品があります、その代表格がサブウーハーのヤマハYST-FSW050です、購入の際にショップの店員さんに何度も確認されました。
まあ、普通は1台で事足りるサブウーハーを同時に同じものを2本買う人は私くらいでしょうから、何に使うのか不思議だったのでしょう。
また、年代が変わり型式が事なってもスペックが同じものであればそれを買い求めます。
この代表格がオンキョーの小型ブックシェルフD-202AXとD-202AX LTD、同じくオンキョーのハイコンポアンプA-905XとA-909Xです、またティアックのハイファイデジタルアンプのAG-H600も然りです。
また、サンスイの7シリーズのアンプは年代によって音色が違うので年代ごとに4台所有しています。
オーディオって同じメーカーでも年代によって音質や音色が大きく変わってきます、その音が欲しい時にここに無いというストレス、これを回避しているのかもしれません。
音もある意味では趣向品だと思うのです、お酒やお菓子と同じなのではないでしょうか?
つまり、何時でも在るという安心感ですか?