
ホームシアターでのサラウンド方式ですがドルビーアトモス誕生以来チャンネル数は伸びる一方です、現存する最大チャンネル数は13.1Chとこれ以上無いというところまで行き着いています。
13Chと言えばAVアンプのパワーアンプ数も6つのステレオアンプに加えて1つのモノラルアンプとなり、スピーカーの端子だけでAVアンプのバックパネルが埋め尽くされ、配線するにも指が入る隙間が無いので横一列とするなど各種の工夫がなされています。
さて、チャンネル数は伸びる一方ですがチャンネル数が増えるとどんな効果が期待できるのでしょうか?
私は、効果以上に部屋を埋め尽くすスピーカーの数が気になってしまいます。
床にサブウーハー入れて9個、テレビの下に1個、天井に4つのスピーカーが設置される部屋は、広ければよいのですが一般的な都内のマンションでのリビングルームは広くても14畳程度だと思います。
この広さだと、部屋の壁や天井に反射した音によって意味のなさないチャンネルが生まれてきます。
つまり他のスピーカーの反射によって、本来のスピーカーから出てくる音が空間ハーモニック(音の合成)によってかき消されてしまうのです。
14畳程度であれば、7.1Chで充分に壁や天井の反射で3次元サラウンドが楽しめます。
10畳以下なら5.1Chでもフロントにトールボーイ型スピーカーを使い、サラウンドスピーカーを床と天井の真ん中よりも上に設置すれば充分に壁や天井反射によって3次元サラウンドと同じような効果が実現します。
広い部屋が用意できるならチャンネル数を増やす方がより3次元サラウンド効果を得やすいのですが、そうでない場合はむしろチャンネル数を増やすよりも反射音による効果を期待した方が良い場合が多いです。
ホームシアターを楽しむ場合、チャンネル数を追うのではなく部屋の広さに合わせてチャンネル数を決めるようにしたいものです。
また、狭い部屋に所狭しと置かれたスピーカーはビジュアル的にどうなのだろうかと思うのです。

私の大学時代は日本のオーディオ業界が形成されてくるまさにカオスからビッグバンが起きた直後のような状況でした、オーディオ雑誌にはUSマランツやアキュフェーズにラックスマンのハイエンドアンプの広告がびっしりと載っており、それを見てはオーディオ妄想が止まりませんでした。
そして毎日のように友人に「早く30歳になりたい」、「絶対、会社を興して社長になる」と事あるごとに話していたようです、その理由は極めて単純明快で自分でガンガン稼いで好きなようにオーディオにお金を使いたかったからです。
そんな鬱積されたエネルギーが社会人になった瞬間に大爆発を起こしたのです、長期間鬱積されたエネルギーが何かをきっかけに膨張爆発する現象を心理分析学上では「es」という概念を使って説明しています。
そうです「es」の力は本当に凄い破壊力です、社会人になるや否や大学時代とは打って変わって寝る時間も惜しんで最新のIT技術を猛勉強しました。
先輩を尻目にSEとして世界を駆け巡れたのも、25歳で最新技術書籍の出版ができたのも、最新技術での特許出願を連発できたのも、会社を幾つも創設したのも、全てが「オーディオを好きなように愉しみたい」という極めて不純な動機からです。
そして社会人4年目に外資系企業のフリーSEとなり、その2年後に起業し潤沢なオーディオ資金を妄想通りに確保することに成功したのです、この数年間での快進撃の裏に「好きなだけオーディオ製品を買いたい」という強い執念が潜んでいたことは否定しません。
もしも大学時代にオーディオに目覚めていなかったらと平凡なサラリーマンとして一生を終えていたかも知れないと思うのです、強い執念は何時かは必ず実現します、何故なら恐ろしいまでの思考と行動エネルギーが出るのですから。
そういう意味では道楽も執着した目的が在れば強力な生産的原動力となるのです、オーディオ道楽復活で当時を鮮明に思い出しました、そして当時のように思考と行動エネルギーが身体の底から漲ってくるのを自覚しています。
夢の実現は運などではありません、どれだけその実現に執着して我武者羅に行動するかだけの話しです。
考えるだけで具体的な行動も起こさず、繰り返えすルーティングに流されて過ごしていれば、あっという間に人生の時間は終わってしまいます、生きている間だけです愉しめるのは。

私のオーディオ道楽での愉しみに、当然音質や音色といったそのものを愉しむのは当然だとしてその他にも愉しみが沢山あるのです。
一つは年代別のアンプのフェースデザインの鑑賞です、各社の製品を年代別にじっと見比べていくうちに哲学にも似た設計者の思想が見えてくるのです。
何故、この位置にこのボタンを付けたのか、何故つまみの大きさがこの大きさに決めたのかなど、本当に工業デザインとは奥が深いと思います。
そして極めつけの愉しみがあります、おそらく数多いオーディオマニアの中でもかなり稀な趣味だと思います。
それはアンプに通電してしばらくすると、熱を帯びてくるので通気口から熱い空気と共に匂いがしてきます、この匂いが愉しみなのです、つまりアンプの匂いフェチです。
面白いことにメーカーや製品ごとにかなり違い、さらに年代での匂いの傾向まであるのです。
また同じ製品でも経年経過で匂いが変わってきます、これがまた奥が深いのです、自慢するわけではないのですが、この匂いを嗅ぐとかなりの確率でメーカーと製造年代を当てることができます。
この匂いの原因はトランジスタを放熱フィンに密着させる為に使っている接着剤やトランスの絶縁オイルなどで、熱によって少しずつ蒸発し匂いとなって立ち上るのです。
工業オイルのような匂いや鉄が焼けるような匂いなど様々です、70年代のアンプに多いのですが鼻にツンとくる化学薬品のような匂いを放つアンプもあります。
押し並べて心地良い匂いではありません、個人的には部屋に漂わせたくない嫌いな匂いです。
でもアンプが放つ匂いもそのアンプの個性であり、音質と共に記憶するとより明確にアンプの音質や音色が記憶できるのです。
音質と臭い、これでメーカーと製造年度がほぼ解るなら一種のソムリエですね。

ホームシアターを楽しむためには、音の浮遊感を感じるように視聴位置の前後にスピーカーを配置します。
サラウンドの基本形は5.1Chで、フロントLR(左右)・センター・サラウンドLR・サブウーハーとなります。
フロントスピーカーは設置面積を少なく済むようにトールボーイ型を用いるのが一般的ですが、ステレオ再生ではハイファイオーディオの音質を求めて大型フロントタイプのスピーカーを用いても何らの問題はなく好ましいとさえ思います。
センターチャンネルはボイス、つまりセリフなどの音情報が主になりますので中高音域が張り出してくるようなスピーカーが好ましく、スクリーンやテレビの下に置く場合を想定してトールボーイ型を横にしたような横長のスピーカーを用いるのが一般的です。
また重低音域はソースにも含まれていませんので下は100Hzまで出せれば問題なく使えます、むしろ低音域よりも高音域が綺麗に伸びている方が重要です。
ライブ映像などではセンタースピーカーはボーカルパートとなりボーカルを綺麗に再生できるスピーカーであることが望ましくなります、今のような横長のセンタースピーカーが無かった時代は小型ブックシェルフを横にしたり小型で横長の業務用スピーカーなどを用いていました。
サラウンドスピーカーはセンターと同じように中高音域しかソースに入っていませんから同様に中高音域が綺麗に伸びており張り出し感が重要になります、距離的にはフロントやセンターに対して1/3程度の距離となりますので、音圧が低くても問題ありませんが低すぎるとサラウンド効果が得られませんので注意が必要です。
サブウーハーはAVアンプをそのまま使うのであればアクティブ型(アンプが内蔵されている)スピーカーが必要です、現在では専用に作られたサブウーハーを使うのが一般的です、こういった専用のサブウーハーが無かった時代にはモノラルアンプと大口径のスピーカーにスピーカー側でのハイカットフィルターを用いて自作したりしたものです。
サブウーハーは前方向であればどこにおいても音場には影響しませんので、真ん中に置く必要はなく部屋の隅でも構いません、重低音は直接的にくるような指向性がなく周波数が低いので部屋に充満するように広がるからです。
この5.1Chの配置がホームシアターにおけるスピーカーの基本形となります。
これに、フロントの上面(フロントハイ)にサラウンドを加える方式が「7.1Ch」、更に視聴位置の横上面(サラウンドサイドハイ)を加える方式が「9.1Ch」、更に後方サラウンドの上面(サラウンドハイ)を加える方式が「11.1Ch」、そして視聴位置の真後ろ(サラウンドバック)に2つのスピーカーを距離を置かずに加える方式が「13.1Ch」で現在最もチャンネル数の多いサラウンド方式となります。
これらを実現させるには、AVアンプがこのチャンネル数分のサラウンドシステムを搭載している必要が有るということと、このチャンネル数分のスピーカーが当然不可欠となります。
あくまでもサラウンドシステムの基本は5.1Chです、先ず初めに5.1Chでサラウンドを充分にマスターしてから上位のサラウンドに移行するのが無難です。

ラックスマンのラックストーン、サンスイのサンスイサウンド、ヤマハのヤマハサウンド、どうして時代も回路も部品も担当技術者もまったく違うのに個性豊かな音色を承継し続けているのでしょう?
時代が変われば求められる音色も変わるのに多くのオーディオメーカーは伝家の宝刀の音色を変えようともしません、受け継がれた音色に囚われたかのように疑問も持たずに最終ゴールとしてその音色を作り込んでいます。
いったい何がそうさせているのでしょうか、これを約20年以上疑問に思っていたのですが最近ようやく答えが見つかりつつあります。
それは音も味と同じだという発見です、人間の五感はすべてアナログ感覚です、当たり前ですが人間は生物ですからデジタルには直接対応できません。
つまり音色は老舗の焼鳥屋のタレやラーメン屋のスープと同じなのではないかということです、音色も一つの文化なのです、だからそのメーカー独自の音色に拘り続けるのです。
何故なら、その音色を変えてしまうということはその音色を愛するファンを裏切ることになるからです。
時代が変わってもラックスマンのアンプを買えば何時も通りのラックストーンを聴く事ができるという安心感、これがファンサービスであり顧客第一主義でありメーカーの最重要項目なのです。
オーディオメーカーの多くは複数のブランドやシリーズラインを持っています、何故ブランドやシリーズラインを変える必要があったのか、この疑問の答えが「伝家の宝刀の音色を時代に合わせて変える必要があったから」ではないかと思うのです。