
日本のオーディオ史において極少メーカーだったサンスイが何故80年代にアンプのシェア40%以上を誇るまでに成長したのか、そして何故ジャズファンがいまだにサンスイのアンプを使い続けるのか?
その秘密はJBLに在ると言っても過言ではありません、60年代初頭トランスメーカーだったサンスイ電気はラジオを手始めにオーディオ界に進出します。
ところがチューナーやアンプは自社製で何とか道を開きますが、最終的な音が決まる肝心のスピーカー製造のノウハウがありません。
そこで、当時の技術者が目を付けたのがJBLのアルニコ磁性体を使ったスピーカーユニットだったのです。
1966年、そんなサンスイはアメリカで既に世界ブランドを確立していたスピーカー界の大御所JBLの日本総代理店を獲得するという快挙を成し遂げたのです。
当時のJBLはジャズのライブハウスやロックカフェのPA用スピーカーでシェアを急拡大していました、このJBLの日本総代理店の獲得からサンスイの快進撃が始まるのです。
アンプの技術者陣は、JBLのスピーカーの良さを100%引き出すために改良に改良を加え涙ぐましい努力を続けたのです。
その甲斐あってJBLのユニットを使ったスピーカーシステムと、それに見合う音質を持ったアンプを70年代に大挙市場に投入しました。
ジャズファンやロックファンはサンスイのJBLユニットを使ったスピーカーとアンプをセットで買い、あっという間にオーディオ界でトリオ・パイオニアと並ぶオーディオ御三家と呼ばれるまでに成長を遂げます。
JBLの強力なアルニコ磁性体を使ったレスポンスが極めて早く強力なスピーカーユニットをドライブするアンプは当時の主流であるNFB(負帰還)では無理です、ダイレクトに入力を増幅し高速で出力に伝えなければなりません。
そこでお家芸の強力なトランスが打開の鍵となりました、強力な電源トランス、巨大な容量の電解コンデンサ、これによってレスポンシビリティが極めて高くダイナミックで硬質な低音域を発するアンプが誕生したわけです。
90年代になると世はバブル景気が終焉しオーディオ氷河期に入ります、高額なオーディオ製品はピタッと売れなくなりました。
サンスイはこの時代をお家芸を捨ててまで生き残りを図りましたが、サンスイサウンドが消えたアンプにジャズファンはガッカリです、そして徐々にオーディオの歴史からサンスイの名前が消えていったのです。
90年代中盤から現在に至るまで、70年代から80年代に凌駕したサンスイサウンドと称された音質のアンプは作られていません。
したがってジャズファンは70年代~95年に製造されたサンスイのアンプを大事に使い続けるしかないのです、ジャズファンの多くのシステムはいまだにアンプはサンスイでスピーカーはJBLかダイヤトーンです。
サンスイとダイヤトーンが消えた今、ジャズファンの嘆きが聞こえてきます、「アンプとスピーカーを新製品に変えたくも、買いたくなるアンプもスピーカーも無い!」と。

ラックスマンの祖業は錦水堂額縁店のラジオ事業でした、当時錦水堂が発刊した「ラヂオブック」は多くの電子工作マニアを釘付けにした電子工作の神本でした。
これをきっかけにして、多くの電子工作雑誌が発行されるようになったのです。
ちなみに昭和初期の頃は「ラジオ」ではなく「ラヂオ」と記述していました、面白いですね。
日本の電気工学ものづくりに大いに貢献した1冊、どれほどの価値が有るか解りません。
私が電気工学に目覚めたのは中学2年生くらいの頃です、いろんな物を雑誌を見ながら作りましたが、大作は真空管5本を使ったラジオ(五球スーパーヘテロダイン)です。
生まれて初めてのハンダ付け、祖父に教えてもらいながら半日かかりましたが、音が出た時には嬉しかったですね。
この真空管ラジオ、まだ実家に残っています。
実家から真空管アンプや大型スピーカーを持ってくる時に、一緒に持ってくる計画です。
そんな電子工学少年の育成に貢献した「ラヂオブック」、その頃の雑誌に表紙だけ載っていた記憶があり、50数年経った今ネットで探したらなんと書籍の全てが公開されていたのです、なんという善き時代になったのでしょう。
真空管アンプの基本がここに在ります。
錦水堂ラヂオブック 出筆者:早川迭雄(ラックスマン創業者)
https://ay-denshi.com/download/radiobook_1.pdf

ホームシアターのソースはDVDやブルーレイだけではなく、VOD(ビデオ・オン・デマンド)やPC動画、またテレビ放送そのものとバリエーションが数多く存在しています。
映画のDVDやブルーレイの多くはサラウンドに対応した音作りがされていますが、ドラマやVODの多くはステレオもしくは昔のものはモノラルというのも存在しています。
ソースそのものがサラウンドに対応していない場合にAVアンプを使う意味があるのかというと疑問が起きます、サラウンド以外のソースを入力した場合のAVアンプの音質は同クラスのプリメインアンプに比べて荒くて無意味に派手になりナチュラルではありません。
そこで音質向上だけを考えるのであれば、AVアンプよりもハイファイオーディオ用のプリメインアンプを並行して使うという手があります。
つまりソースによってAVアンプを経由して音声を出力するのか、プリメインアンプを経由して音声を出力するのかを振り分けるのです。
一見すると複雑な配線が必要なように思えますが、実際にやって見るとそうでもありません。
HDMIインターフェースでDVD/ブルーレイプレーヤーを接続している場合は全ての映像と音声は一旦テレビに収束されていますのでテレビから音声だけを光デジタルなどで取り出してプリメインアンプ経由で音声出力すれば後者の方法を実現できます。
プリメインアンプに光デジタル入力が無ければ外付けのDACを繋ぐ事で解決します、この場合はDVD/ブルーレイプレーヤーやHDDレコーダーの音声だけは両アンプに振り分けられても映像はテレビに集約されるように配線方法を考える必要があります。
私は映像と音声の信号経路を分けて考えることで簡単な配線を導き出していますが、手持ちの機種に合わせた方法を取る必要がありますので、それぞれが手持ちのAVアンプやプレーヤー類の入出力コネクタを見比べて思考する必要があります。
とにかく目的達成にはいろいろやってみて工夫すれば何とかなるものです、接続方法の独自のアイデア出し、これもホームシアターの愉しみの一つでもあるのです。

先日、「往年のブランド」の記事を書こうと思いブランドを書き出してみると、日本の世界的ブランドがあっという間に20を越えました。
しかし今これらの半数のブランドは現在製品を出していません、70年代から90年代前半の日本のオーディオメーカーは本当に世界を席巻していました。
スピーカー部門では圧倒的なパワーでダイヤトーンとヤマハの快進撃が凄かったです、世界中の放送局や音響現場のモニタースピーカーに採用され世界中のマニアを虜にしてしまったのです。
またアンプではマッキントッシュやマークレビンソンという世界ブランドにラックスマンとアキュフェーズが果敢に挑み、世界の一大高級ブランドを確立しました。
普及クラスではサンスイ・トリオ(ケンウッド)・パイオニアに加えて、ソニー・テクニクス・オンキョー・ビクター・デノンとこの時代に世界ブランドを確立した日本のオーディオメーカーは数しれません。
ところがバブル経済が崩壊し日本のこういったメーカーの多くが経営危機に陥り倒産や事業撤退が相次ぎました、オーディオ界にいうスピーカー598戦争やアンプ798戦争の成れの果てでした。
いまだによく覚えていますが、90年代後半にはオーディオショップには閑古鳥が鳴き誰もいない状況で当然オーディオメーカーも本格的なオーディオ商品を出すこともありません。
世はミニコンポとAVアンプの時代へと移行していったのです、オーディオショップから大手家電量販店に客が流れていきました。
この間に世界中でニューブランドが次々に誕生しました、特に中国メーカーの台頭が凄まじかったです。
10年後の2005年ごろから、急速に事業提携や資本提携により生き残った日本のオーディオメーカーも息を吹き返しつつありますが快進撃と言うほどではありません、特に現在ではスピーカー部門で魅力的な製品を出しているのはオンキョーくらいです。
日本メーカーが強かった時代が懐かしいです、当時は全ての方式基準が日本発だったのですから、でも時代は第二次日本オーディオブームの兆しが確実に見え始めています、往年のオーディオブランドの復活を強く望むのは私だけではないでしょう。

自身のオーディオコレクションを記録管理する目的で年代別に価格と共にリストアップしているのですが、ここで面白い事実が見えてきました。
それは、70年代から80年代のアンプではサンスイが圧倒的に数が多いということです、またスピーカーではダイヤトーンです。
そして、90年以降になるとデノンやオンキョーの製品群が数を増やしていきます、どの年代にもリストに乗っているブランドがヤマハ・ソニー・ケンウッド(トリオ)でした。
これって、オーディオの歴史とオーディオメーカーの黄金時代そのものを素直に反映しているということが解ったのです。
つまり、私も素直にオーディオの時代における変化をそのままに受け入れていることということです。
時代が変わっても頑なに一環として自身の考えを通す人もいれば、私のように時代の変化に順応して自身を変えていく人もいるのです。
どちらにしても、どっちつかずの中途半端に時代に翻弄される人よりも良いかと思うのです。
それにしても、見事なまでに時代を反映しているコレクションデータに流石の私も驚きました。
今回の手持ち製品の発売時期や価格を改めて調べ直していくうちにいろいろなことが解ってきました、コレクションとはただ集めるだけではなく歴史やその周辺の状況などを学べます、これがコレクションギークの一つの愉しみなのです。