
オーディオを道楽として愉しむ人は皆さん音質改善を工夫していろいろなことを行うようです、私も多分にもれず過去いろいろな事をやってきました。
自作フルレンジスピーカーの高音域が弱いといってツイーターとネットワークを買ってきて繋いでみたり、せっかくバイワイヤリング対応のアンプを買ったのだからといって音質特性の異なるスピーカーをダブルで鳴らしてみたりと、思いつくままにやってきました。
そんなことを繰り返しているうちにあることに気が付くのです、それは何もしない方が音質バランスが良いということです。
高音域が出ないスピーカーは、それなりのアンプと組み合わせて素直に鳴らした方が全体的なバランスが取れて聴き疲れしないのです。
悪いなりにも素のままの方が良いところも解ってくるのです、妙に変な事をしてしまうと本来の良さも見えなくなってくるのです。
音質改善のためのアクセサリー類の出費はけっこうな額となります、下手すれば新しい製品を何台も買えるほどにもなります。
それもそのはずで、同じユニットを使っているスピーカーシステムのユニットだけをバラで買うと倍近くになるのですから。
いろんなことをやってきて今更ながらに思うこと、それは完成された製品はそのまま使った方が音が綺麗だということです。
音の変化を愉しみたいならスピーカーに妙な改良を行うのではなく、スピーカーとアンプの組み合わせで行うべきかと思うのです。

ホームシアターと言えばサラウンドシステムですが、その基本は5.1Chであることは過日お話しした通りです。
5.1Chにフロントの上面(フロントハイ)にサラウンドを加える方式が「7.1Ch」で、ドルビーアトモスの誕生によって本格的になった方式です。
更に視聴位置の横上面(サラウンドサイドハイ)を加える方式が「9.1Ch」、更に後方サラウンドの上面(サラウンドハイ)を加える方式が「11.1Ch」、そして視聴位置の真後ろ(サラウンドバック)に2つのスピーカーを距離を置かずに加える方式が「13.1Ch」で現在最もチャンネル数の多いサラウンド方式となります。
さてサラウンドのチャンネル数が増えていくと何が変わってくるかということですが、7.1Ch以降は2次元から3次元に音場が広がってくるというのが解り易いでしょう、それを極めて行くと13.1Chにまで至ったということです。
ドルビーアトモスでの9.1Ch以上ともなると頭の真上に音が広がり、SF映画を立体音像の大迫力で愉しめるようになります。
ただ、これを実現させるにはかなりの部屋の広さと、ハイエンドAVアンプや高性能スピーカーなどそれなりの設備が必要になります。
逆に、6畳~10畳ほどの広さの部屋であれば後方のサラウンドスピーカーを1.5メートルほどの高さに上げてやると、フロントスピーカーの音が壁や天井に反射して、なんと5.1Chでも頭上から音がしてくる3次元音像が得られてしまうのです。
更には、7,1Chでフロントハイスピーカーかイネーブルドスピーカーを追加すればもう完璧です。
これが広い部屋で大きなスクリーンを使って行おうとすると反射による効果が期待できません、だから必然的に多チャンネルが必要になってくるのです。
一般的な家庭で本格的なホームシアターを愉しむのであれば5.1Chや7.1Chで充分です、否むしろ音の臨場感的には好ましいのです。
壁や天井反射によるハーモニック効果の方が、自然な3次元音場を得られやすいということ覚えておくとよいでしょう。
あくまでもホームシアターのサラウンド方式の基本は5.1Chです、まずは基本をクリアしてから更に高みを目指してほしいと思います。

オーディオの歴史の中で、どうしてこういう製品を作ったのだろうかという世に言う迷機と呼ばれるオーディオ製品が存在しています。
例えば、バブル景気直前に日本のオーディオ界を引っ張ってきた高級オーディオメーカーであるラックスマンが経営不振でカーオーディオ大手のアルパインの傘下に入ります。
この直後に、それまでの高級路線から普及版の製品を突然出したのです、これが世に言う迷機で何と真空管とトランジスタのハイブリッドアンプだったのです。
プリアンプの初段にFET、最終段に真空管、そしてパワーアンプにハイパワートランジスタを用いたのです。
しかも、それまでのシャンパンゴールドからブラックフェースになり、高級感を誇ったラックスマン独特のフェースデザインもあたかも安っぽいデザインになってしまいました。
価格も普及版の価格で、当時の798戦争を意識した価格帯で勝負してきたのです。
これにはマニアもビックリ仰天です、面白半分で買ったマニアもいたくらいです。
こんな迷機と言われたアンプですが、最近になって真空管とトランジスタのハイブリッドが音色的に評価され始めたのです。
音色的に評価され、その作られた意味が理解され始めると途端に迷機から名機と謳われるようになるのです。
新たな試みは何時の時代もなかなか受け入れられないものです、でも技術に誇りを持って作られた物であれば何れは評価されるようになるのです。
オーディオ界には、このような突然誕生してくる世に言う迷機が多数存在しているのです。

私は大学時代のフォステクスのバックロードホーンの大型スピーカーキットのDIYに始まり、ラックスマンの真空管パワーアンプなど多くの市販キットでのDIYオーディオを愉しんできました。
また、真空管を使ったプリアンプやパワーICを使ったパワーアンプのオリジナルアンプもDIYで作ってきました、回路はオリジナルではなくオーディオ雑誌の回路をそのまま流用したものですが、オーディオの核心技術に触れられたことは大きな喜びでした。
そんな経験を持つ私と同年代の人達が、自身の音に対する拘りを具体化させるためにオーディオ関連の会社を立ち上げてしまう人が近年多数存在しています。
70年代中盤に日本で起こったオーディオブーム、その頃学生だったオーディオマニアは大学生時代という4年間に余す時間をオーディオに使い、思考そのものがオーディオを原点とするようになったのでしょう。
そんな人達の作ったオーディオ工房の数々、数年間は誰からも支持されずにきっと大赤字なのです、でも夢を実現させたことは人生において素晴らしいことだと思うのです。
「やって後悔するのは、やらずに後悔するより1万倍の価値が有る」
本当にこの歳になるとよく解るのです、「人生、全てが生きている間だけ」ということが。
そして、何もせずして終わる人とやりたい事全部やる人が綺麗に分かれるのです。
やる人は、どんな事でもやりたい事を次々とやってしまうのです。
もう一つ、全部やってしまう人に付いていく人もまたやってしまう人と同じ感覚の人です、やらない人はやる人についていくこともしません。
みんな自分で何かをやりたいのです、でも理由を付けてやらないのです、だからやっている人に敗北感を感じるからついて行かないのです、特に男性にはこの傾向が強く出ます。
人生観はこのくらいにして、自身でどんな物でもいいのです、キットではなく素材や部品だけを買ってきてゼロから作る事を一度でも経験すると解ります。
自分で作ったものって悪いなりにも、完成した瞬間は最高の喜びがあるのです。
オーディオでいえば、オリジナルな自分の理想とする音を作る喜び、これってきっと経験していない人には一生解らないのです、どんなに理解しようにも理解を越えたところに在る他者の喜びは家族であっても解るはずもないのです。
そんな喜びを知って45年が経とうとしています、忘れかけていた記憶が蘇ったのは何か意味が在ると思うのが私です。
強い思いは確実に実現する、今から何やらワクワクが止まらないのです、そして日々具体化するロジカルシンキングの数々、もう誰にも止めることなどできないのかもしれません。

ホームシアターでのサラウンド方式ですがドルビーアトモス誕生以来チャンネル数は伸びる一方です、現存する最大チャンネル数は13.1Chとこれ以上無いというところまで行き着いています。
13Chと言えばAVアンプのパワーアンプ数も6つのステレオアンプに加えて1つのモノラルアンプとなり、スピーカーの端子だけでAVアンプのバックパネルが埋め尽くされ、配線するにも指が入る隙間が無いので横一列とするなど各種の工夫がなされています。
さて、チャンネル数は伸びる一方ですがチャンネル数が増えるとどんな効果が期待できるのでしょうか?
私は、効果以上に部屋を埋め尽くすスピーカーの数が気になってしまいます。
床にサブウーハー入れて9個、テレビの下に1個、天井に4つのスピーカーが設置される部屋は、広ければよいのですが一般的な都内のマンションでのリビングルームは広くても14畳程度だと思います。
この広さだと、部屋の壁や天井に反射した音によって意味のなさないチャンネルが生まれてきます。
つまり他のスピーカーの反射によって、本来のスピーカーから出てくる音が空間ハーモニック(音の合成)によってかき消されてしまうのです。
14畳程度であれば、7.1Chで充分に壁や天井の反射で3次元サラウンドが楽しめます。
10畳以下なら5.1Chでもフロントにトールボーイ型スピーカーを使い、サラウンドスピーカーを床と天井の真ん中よりも上に設置すれば充分に壁や天井反射によって3次元サラウンドと同じような効果が実現します。
広い部屋が用意できるならチャンネル数を増やす方がより3次元サラウンド効果を得やすいのですが、そうでない場合はむしろチャンネル数を増やすよりも反射音による効果を期待した方が良い場合が多いです。
ホームシアターを楽しむ場合、チャンネル数を追うのではなく部屋の広さに合わせてチャンネル数を決めるようにしたいものです。
また、狭い部屋に所狭しと置かれたスピーカーはビジュアル的にどうなのだろうかと思うのです。