2024年11月 6日 07:00
オーディオに対してホームシアターとはどんな世界なのでしょうか、解りやすく説明いたします。
そのまま訳せば家庭劇場ということなのですがその定義は曖昧で、システム一つ取ってもテレビにDVDプレーヤーを繋いで映画を観賞する単純なものも一つのホームシアターシステムと言えます。
しかし、道楽としてのホームシアターとなると単純にテレビで映画を鑑賞するのではなく、映像と音の織りなす疑似体験を超リアルに行うことを喜びとする道楽というのが正確な表現だと思います。
打ち上げ花火を思い描いてみてください、ドンという低い小さな音と共に花火が上空に打ち上げられ上空でドカーンという爆音と共に光の球が目の前に広がります。
これを、家庭でそのまま生で見るような映像と音で疑似体験するのが本来のホームシアター道楽なのです。
打ち上げの低い音は床の方から聴こえ、爆裂の音は天井から聴こえなくてはならないのです。
同じようにF1グランプリでは自分の周りを轟音を立ててF1マシンが周回し、戦争映画では天井に飛行機が飛来し、爆弾の降下音は天井から床方向へ移動し床で爆裂しなければならないのです。
また、ジャズのライブでは前方向に演者が音楽を奏で、お客さんの拍手やドリンクの氷がグラスに当たる「カラカラ」という音が後ろや左右から聞こえるのです、まるでジャズのライブハウスに居るような音と映像に包まれるのです。
オーディオは前方向のみの音の定位感が重要です、対してホームシアターでは前方向の音の定位感と同時に、左右前後上下の3D空間で音が浮遊するような不定位感が重要になります。
この音が浮遊するような不定位感こそが、ホームシアターにおけるサラウンド効果の極意です。
加えて、ボーカルや台詞の声は前方の真ん中からリアルに聞こえなくてはなりません。
オーディオはどれだけ音質を生の音に近づけるかという技術を磨く道楽であるなら、ホームシアターはどれだけ作りこまれた音を迫力ある音で再現できるかという技術を磨く道楽です。
オーディオとホームシアターでは、アンプもスピーカーも求められる音質が180度異なります、したがって本来は共用できません。
でも、これを工夫すれば何とか共用可能なシステムを組むこともできるのです。
このオーディオ&ホームシアターの共有両立システムを組むことは、双方のテクニックを駆使したうえで相性などを考えなくてはいけないので多くの時間と労力が必要になります。
更には、たった1組のシステムを組むのに5組以上ものシステムが組めるほどの製品を入れ替えながら納得するまで試聴を繰り返すのですから、オーディオ道楽以上に経済的にも厳しいものがあります。
オーディオとホームシアター道楽を同時に行うと大変です、数ヶ月単位でシステムが変更され安定することはありません。
酷い時には全てを入れ替えるということもあります、小手先での調整では無理なので一旦リセットして最初から思考してはその計画に合った製品を購入します。
たとえ道楽でも納得するまで原理と技術を正確に学び実際にやってみます、基礎ができれば応用もできるようになるからです。
オーディオもホームシアターも、実は適当に組んで自分だけで納得し愉しんでいるときが最も幸せなのかもしれません。
一度たりとも道楽にしてしまったら最後、音響工学や電気工学の知識を要求され音空間や微細な音の変化等を追求する険しい道のりが待っています。
オーディオもホームシアターも、実は他者が組んで完成されたシステムで愉しむのが最も手軽に高音質と映像を愉しめる本当の幸福な状況なのかもしれません。
それが、映画館やライブハウスでの音響設備士というプロの仕事なのでしょう。
それを家で自身の手で再現してしまおうというのですから、そもそも気楽に行える道楽ではないのです。
自分で高級レストランで食べられる料理を作ろうと思ったら、各種の器材や道具から食材まで準備も費用も半端ではないです、更には研究して何度も失敗しながら腕を磨いてやっと美味しい料理が作れるようになります。
オーディオやホームシアター道楽とはこれとまったく同じなのです。
あなたは自分で興味ある事全てを自身で実践する派ですか、それとも他者が作ったり用意したものをちゃっかり食べたり愉しむ派ですか?
道楽を真に愉しむ人とは、料理もオーディオやホームシアターも全てを自分で納得するまで実践し極めることを愉しいと感じる人なのです、これが道楽事を行う人の「愉悦」という心理状態です。
「愉悦」とは、その過程での苦しい事も辛い事も全てが達成した時の喜びを味わう為に存在していると心から思える心境そのものなのです。