「私には敵はいません」と豪語する人がいます、ところで敵がいないというのは自慢することなのでしょうか。
そもそも敵とはなんでしょうか、辞書によると「戦わなければこちらが滅ぼされる可能性のある者」とあります。
つまり、敵が意味するものは相手から見るとこちらは脅威の対象になっているということです。
ということは逆説的に考えると誰にも脅威を与えることができない、つまり相手にされていない人が「敵がいない人」ということになります、これは何を意味するかというと「どうでもいい人」ということになります。
昔から「デキル男には7人の敵がいる」とも言われます、敵の1人や2人いて当然、それだけ存在感を示し実力が備わっているという証拠なのです。
また、敵という存在は第三者との戦いを避ける意味では時と場合によっては最強の味方にもなります、つまり敵の多い人というのは実は強い味方も多いのです。
逆に敵がいない人は強い味方もいません、そうです「どうでもいい人」だからに他なりません。
敵を好んで作る必要はありませんが敵が現れたといって騒ぐ必要もないでしょう、敵が現れたということは自分の成長を認められた証拠です、あとは対処を誤らなければ場合によっては強い味方になってくれるでしょう。
逆に強固な味方だと思って慢心し横柄な態度を取っていると、それこそ「最強の敵」を作ることになります。
こちらの戦略も内部事情も全て把握している「最強の敵」、それは今の身内に他ならないのです、ここをよく理解しておかなくてはなりません。
「言うは易し、行うは難し」、誰しもよく解っている言葉です、「言葉じゃない、心を伝えることが重要」、これもよく解っていることです。
でも実際はこれを実行しようとすると本当に難しいです、「人には他者に解らない事情がある」、「そういう状況になる理由もある」、それもよく解っています、自分だってそうです、そういう時は今までに幾らでもあります。
自分が歯が痛いとき周りがみんな楽しそうに見えるように、その人の痛みはどんなに仲が良い人でも自分の子供でさえも実際には解らないのが事実です。
何かアドバイスをしたい、何か良い方向へ向かって欲しい、何とか解決できないか、自分にできることは何だろうか?
正直、そんなことを幾ら考えて実践しても相手がどのように感じるかはまったく別ものなのです、むしろお節介だと思っているのかも知れません、放っておいて欲しいのかも知れません、もっと言えば離れたいのかもしれないのです。
「相手のためを思って」、これって案外自分の一方的な気持ちの押し付けなのではないでしょうか?
相手は何を望んでいるのか、それを理解できるのが本当の「思いやりの心」です。
お腹いっぱいの人に、目の前にどんな美味しい高級料理を並べても相手には感謝されることはありません、むしろ意地悪だと思われるのがオチです。
他者の気持ちが解らない人は確実に人が離れていきます、だから何をやっても上手くいきません。
こんな簡単なことなどいい歳になったら当たり前のことかと思っていたら、意外と解らない人が多いのには驚かされます。
逆に、相手の思いやりには敏感になりましょう、それが自身の明るい未来に繋がるのです。
バブル絶頂期の頃に夜の帳で聞いた話しをときどき思い出します、「夜逃げや倒産で突然来なくなるお客さんが何人もいるんだけど、そういう人が再び戻ってくると顔つきから仕草まで別人のように立派になっているんだよ」。
話は変わって、私は後輩に「同じ穴に落ちるんならでっかい穴に思いっきり落ちろ、決して縁にしがみつくんじゃない」と言います。
でっかい穴から這い上がった人がその後、まるで人が変わったかのようにプロ意識を持って完璧なビジネスができるようになるのを何人も見ています。
「挫折」、それは誰にでも起きうることです、自信を失い将来にも失望もします、でもそれが人間にとって最も崇高な経験だと思います。
自分を素直に卑下できることなどなかなか経験できません、大きな挫折を通して自分の良いところと悪いところが明白に解ってくるのです。
それに気づいて自分の行動を軌道修正できる、その後は自分の良いところを出して大きなミスもしなくなるというものです。
一皮剥けるとか、パラダイムシフトして大人になるとはこういうことなんじゃないでしょうか。
穴に落ちれば穴の中でしか得られない貴重な体験ができます、決して穴の外では得られない生涯に渡る貴重な体験なのです。
理由もなく突然力が出ず何に対しても無気力になってしまうという周期があります、そんな時は「天が与えた休暇」と考えしばらく仕事のことを考えずに心身を休ませることが肝要です。
私事ですが、この突然無気力になる症候群が最初に起きたのは起業1年後のときです、起業前の3年間は毎日が徹夜状態でも疲れ知らずで体力も精神力も漲っていました。
ところが起業後1年ほど経ったころ突然起きられなくなったのです、気が付くとお昼を回っていたなど珍しくはありませんでした。
ここで正確に言っておきますと寝ているのではないのです、身体が気力的に起き上がれなくなるのです。
本当に自分がどうなってしまったのかと思うほどに酷い状態でした、それが半年ほど続いたと思います、その後は突然のように元に戻りバリバリ仕事をこなせるようになりました。
こんな症状が経営歴40年で3回ほどあります、最も長い時では1年以上というのも記憶しています。
こんな時期に社員が頑張ってくれて経営的には特に大きなトラブルにもならずに済んだのは幸いでした、この時ほど社員のありがたみを感じたことはありません。
ところで、この突然の「ぷっつん症候群」とはいったい何なのでしょう?
会社員時代には一切なかったことなのに会社を離れた瞬間に経験するようになります、経営上やお付き合いでの過去経験した事のないほどの緊張感、避けて通れない各種の重圧、そんなストレスが知らないうちに溜まっているのかもしれません。
脳は無意識の領域で心身に危険を感じると危機回避の目的で表面思考を止めてしまうことがあります、つまりこれは脳が正常に機能している証拠でもあるのです。
これを無理して頑張ると本当に危険な状態になるのかもしれません、経営者だって人の子です自然の摂理と本能に従うことも大事なことだと思います。
最近では新型うつとか現代うつとか呼ばれている症状によく似ています、まさにこれなのかもしれません。
そんなときは無理せずパートナーや社員に甘えて、きたるべき天の時までじっくり心身を休ませるに限ります。
こういうときなのです、パートナーや社員のありがたみを知るときは、だから経営者は孤軍奮闘してはいけないのです。
正常なる経営の為に、幸せな人生を送るために、自身が動けないときに頼りになる社員や仲間を動けるうちにたくさん作っておくことが肝要です。
経営者は気が休まることがありません、どこかでリフレッシュしなければ新しいアイデアの苦境を乗り切る方法も考え出せなくなります。
そこで一つのリフレッシュ方法の提案です、私はよく節目を使います、節目を都合よく解釈して有益に活用しているのです。
なかなか纏まらない商談が発生した場合など「今月は流して来月決めにかかろう」とか、状況変化の「きっかけにする」と言うか一種の気分転換を行います。
面倒な事の先送りということにもなりますが、取り合えず落ち着く為の精神的なリセットになると考えています。
それによって疲れた頭を一旦リフレッシュするのです、その効果は絶大かと思います。
一つの物事に拘って集中しすぎると考えがどんどん狭くなります、そこで来月から再起動するという大義名分を作って一休みするのです。
そうすることによって第三者的に冷静に今の状況や問題が見えてくるようになります。
節目は何でも良いのです、日・週・月・年・期など都合よい時期を選べばよいのです、この先が善くなることであれば「自己都合」も悪いことではありません。