情報を得る方法としてIT業界では2つの方法を定義しています、一つは自ら能動的に意図した情報を得るための行動を起こすことによって得られる方法で「プッシュ型」と言います、対して自ら何も行動を起こさずに自動的に配信されてくる情報を得る方法を「プル型」と言います。
プル型情報のうち設定によって自身が欲する情報のみを得られる方法があります、例えばテレビの予約録画やニュースサイトなどでのお好みカテゴリ設定などがこれにあたり、これを「スマートプル型」と言います、私は昔から意図した情報を自分の好きな時間に欲しい情報のみを得られるスマートプル型に徹しています。
理由は簡単で一方的に雑多入ってくる多くのプル型情報は今の自分にとって意味の無い情報ばかりで何の役にも立たないからです、更にその情報によって思考や気持ちの変化などのリスクが伴う場合が多々あるからに他なりません。
こんな時代です、今の自分に不要な情報を得ては嫌な気持ちになったり考えを変えたりと情報に翻弄されている人は少なくありません、私の時代は欲しい情報は大学の図書館や国立図書館で調べて得るプッシュ型情報収集の時代です。
ある意味ではプッシュ型しか方法がない時代です、その時代からの名残なのか例えプル型情報収集であっても欲しい情報は自ら工夫して得ることが常識化しているのです、今はネットである程度正確な情報も簡単に得ることができます、しかし発信者が不明の場合は検証する必要があります。
労せず得られる情報ほど意味の無い不要な感情を呼び起こすだけで利益に繋がるものは極めて少ないのは事実です、欲しい情報はプル型であっても確実な情報を自らの行動によって能動的に得ること、これが勝者の情報収集術です。
数字の予測間違いにまつわる経済ニュースが最近目に付きます、これらの心理的な背景には「ご都合主義」が見え隠れしているように思えてなりません、都合の良いように数字を解釈し操作してみたものの 結果として周りに迷惑をかけ自ら信用を失う結果となってしまっているように思えます。
私たちはどこかに「やればできる」という一見精神的に崇高に思える思想を持っているのではないでしょうか、ところが蓋を開けてみたらどうでしょう、できると思っていたことは実はとんでもなく実現不可能なものであり、 どんなに頑張っても到達できないゴールを目の前にして現実を直視しなくなってしまいます。
最初はドキドキしながら到達しないゴールに向かって「できる」振りをして突き進み、最後には思考が麻痺して数字を追うことも無く突き進んでしまう、「やればできる」と思ってやってはみたものの予想通りにならず、それでも無茶をして事業やプロジェクトを進めた挙句に最終的にはどうしようもないところまで自分自身を追い込んでしまうことは珍しくはありません。
残念ながら数字はウソをつきません、ウソをつくのはいつも人間の心です、第三者から「どう見てもおかしい」という行動や結果に対してもっともらしい理屈を述べては体裁を取り繕うとします、しかしこれらの愚かしい行為は取り繕ったところで何れはバレてしまいます。
このような時に真価が問われます、結果について責任を負い、いかに誠意をもって周囲と接することができるか、非常事態に追い込まれた時にその人物がどのような対応をするか、周囲の人間は結果以上にその姿勢をじっくりと見ています。
人間とは弱い動物です、だから失敗したくないし失敗してしまったときには認めず誤魔化そうとするのです、勝者になりたいのならこういうときにはぐっと踏みとどまりウソをつかずに正直に断罪を行うことで人間力を高めることができるのです。
「パラサイト」とは「寄生」の意味であまり聞こえは良くないのですが、これからお話しすることを読んだあなたは確実にカルチャーショックを受け意識に大変化をもたらすことになるでしょう、私の知りえる限り最強にして究極の「パラサイト」はミトコンドリアです。
ミトコンドリアはなんと植物や動物など真核生物の細胞の中に寄生する生命体でRNAという遺伝子情報をしっかりと持っています、RNAはDNAと同じ遺伝子情報を保管する媒体でDNAは2本のリボン状ですがRNAは1本のリボン状であり未熟な遺伝子媒体で古菌類は全てこのRNAを持っています。
このミトコンドリアはいつの時代か進化の過程で真核生物の細胞の中に寄生しました、つまり細胞分裂のたびに自身の種の保存ができるわけです、そして最近になり時間管理や各種生体メカニズムに深く関与していることも解ってきました。
オーバーな話しですがミトコンドリアは自身の種の保存を行うために寄生している本体を都合の良いようにコントロールしているという仮説が浮上しています、私も各種の情報を集めて研究していますがこの仮説は極めて正確な事実ではないかと考えています。
その意味でいうところの「パラサイトビジネス」ですが、これがものの見事に上手くいくと自らは何もせずして利益を得る究極のビジネスに成り得ます、例えば代理店ですがメーカーが儲かるように仕組みを作り上げることでメーカーは各種の保護政策を打ち出してくれます。
メーカーも商品が売れれば儲かります、商品を売ってくれる代理店を丁重に扱うのは当たり前です、活動資金は勿論のこと場合によっては新事業の資金まで出資してくれる場合もあります、現在活躍している大手ベンチャー企業はほとんどが起業当初はこの「パラサイトビジネス」を実践し成長を遂げてきました。
「パラサイトビジネス」の成功は本体を喜ばせることに尽きます、本体が幸福であれば自身も安泰なのです、そして仕組みや流れが確立できた後は自身が何もせずともお金が回るようになります、これが「既得権」という無形財産なのです、手っ取り早く勝者になりたいのであれば「パラサイトビジネス」手法を取り入れてみては如何でしょうか。
自己実現を目指して独立起業し期待に満ちてワクワクしながら張り切っていたのでしょう、しかしそのワクワク感は起業後数ヵ月で一瞬にして思うように進まないことでのイライラ感に変わってきます、そして次に襲ってくるのが生活の不安であり更には見えない将来ビジョンに対する失望感との戦いです。
でもこれは極めて正常な独立起業の人の状況と心境です、ソフトバンクも創業3年間は収益がほとんど上がらずどん底からのスタートだったのです、松下幸之助もスタート直後から辛酸を舐めながらの三畳一間の家内興業でした、何年間も明日が見えない状況下で苦しんだのです、起業当初に過去の実績で順調にいく人も稀に見られます、しかし結局は同じことです、半年もしないうちに思うように進まない状況と資金繰りの二重のジレンマに陥ります。
ここまでは勝者も敗者も同じ状況になりますが起業3年経った辺りから両者の状況は大きく乖離してきます、勝者となれる人は大きな気付きをもって自身を積極的且つストイックに進化させていきます、その前向きな姿勢に周囲も動かされ協力的になります、そして状況は少しずつ好転しはじめてくるのです、その後は経営や事業成長に必要な人の信頼と協力を得て自身も企業も一気に成長していきます。
対して敗者となってしまう人は3年辺りで「自己実現など夢のまた夢だった」と諦めてしまいます、そして行きつく先は落ち込んだ心を癒してくれる家族や人のところです、この時点で姿勢は既に守りに入っています、そして有益な人からも距離を置かれるようになります、人生とは守りに入った瞬間に転がり落ちていきます、そして数ヶ月で人が変わったようになっていきます。
自身を脅かす事項と戦わなかったらどうなるでしょうか、そうです戦わなければあっという間に自身が最も嫌だった状況に脳が占領されてしまうのです、後は必死で与えてくれる人にしがみつくしか守る方法がなくなってきます。
勝者と敗者の違いはたった一つです、どん底から這い上がる前向きな強い気力を持ち続けるか、その重圧に押しつぶされて明るい未来を諦め現状生活を継続させることに甘んじるか、すべてが自身の精神力の強さ次第なのです。
ここでいう精神力とは守りの精神力ではなく攻めの精神力です、意外や守りの精神力が強い人は攻めの精神力が極めて弱いのです、だから更に苦境下でできることは現状の生活を必死で守るという頑なな思考になってしまうのです、這い上がれる人は次々と襲ってくる重圧や障害をクリアして更に成長していきます、守りに入った人は未来を創造する為のお金さえも惜しみ人間性もどんどん小さくなります。
谷深ければ山高し、底が深くなった人ほど這い上がるには大きなエネルギーを必要とします、最終的に行きつく谷底である「人生破綻」の前に最後の気力を振り絞って少しでも浅いうちに這い上がっていただきたいと思います、「経営破綻」などは一つの勲章です、「人生破綻」したら生きながらも人生は終わっています。
コンビニエンスストアの新業態を模索していたローソンは「ローソンマート」の新規サービスを開始し「低価格路線」と「価格弾力性」でセブンイレブンに対抗するための秘策を打ち出したことがあります、ところが3年間で500店出店という大規模プロジェクトは1年もしないうちにプロジェクト自体が崩壊してしまったのです。
ローソンストア100に限界を感じた首脳陣がもっと価格に弾力性を付けたいとのことから100円の枠を取り払い、お客さまにより適正な価格で商品を届けたいという思いで「ローソンマート」は産まれたのですが狙いは大きく外れてしまいました。
私は発表当初から「これはうまくいかないだろうな」という予感がありましたが敗因はどこにあるのでしょうか、一番大きな問題点は「自分が何者であるか」をはき違えてしまったことではないでしょうか、コンビニエンスストアとスーパーは全く存在コンセプトが異なります、「価格の弾力性に限界を感じた」時点でここに気付くべきことだったと思うのです。
コンビニエンスストアとスーパーのビジネスモデルの違いは明白で、スーパーは大量買い付けによる低価格路線を顧客に打ち出す一方で店内の品数を増やし「ついで買い」を誘い顧客の販売単価をいかに上げるかを基本とするビジネスモデルです。
対してコンビニエンスストアは生活に必要最低限のものが「何時でも必ずここにある」という信頼感を前提にした定価販売による高付加価値高利益追求型のビジネスモデルなのです、両者はその仕入れルートも物流も利益の追求の仕方も異なり「存在価値」が全く違うのです。
コンビニエンスストアという業態の本分をはき違えてしまっては一時的に良くともいずれ大きな失敗をもたらすことになるよい例ではないでしょうか、他者と競合するなら自分の本分は何かを忘れるべきではありません、経営者が自分らしさを失ったとき何の意味も価値も生まない面白味の無い企業に成り下がってしまうのです。