「紺屋の白袴(こんやのしろばかま)」という諺があります、これは紺屋(染め物屋)なのに自身は白い袴でいるということを表し「他者の事ばかりを行っていて自身の事は後回しになる」ことを意味します、同様に患者には立派な言葉を並べたて注意を促すのですが自身は忙しさでケアが全く行えずに病気になってしまうという「医者の不養生」も同様の例えです。
改めていろいろな会社を思い浮かべては考えてみると、確かにその道のプロとして活躍している人ほど自身の事は意外や後回しになってしまっている例が多いことに気が付きました。
WebデザイナーのHPが3年間もリニューアルしていなかったり、栄養士がメタボだったり、営業支援の会社が自身の仕事が無かったり、そんな何かおかしいと思わざる事が多々あることに気が付きます。
かくいう私も同様でした、他者の経営状況には的確に改善を促せるが自身の会社の事は判っていながら後回しになっていたという事実が多々あります、これに気付けばやはりその道のプロはその道は良く知った道です、更にはこれも良く知った自身の事です、他者事の数倍の速さと的確さで改善できます。
「その道のプロは、その道に躓く」、自身の事が後回しになっていないか、これを機に冷静に自身の身の周りにも目を向けてみてはいかがでしょうか。
「兵法」について研究しているころ多くの戦国武将や三国志の歴史背景を調べました、中でも「戦」に関しての歴史的資料は大変興味深く大いに参考になったものです、最初のうちは勝者の戦法や武将周辺の家臣の行動や進言などに焦点を当てていたのですが逆に敗者に興味を持つようになりました。
「なぜ、負けたのか」、そこには必ず共通する事項があるはずなのです、そして私はその事項を見つけ出しました、敗者の多くはほとんど「軍師」の提言する作戦を鵜呑みにして実行した結果だったのです、現代社会においても会議でいろいろ提案するアイデアマンがいます、しかしそのアイデアをそのまま受け入れて実行するのは大きなリスクがあります。
なぜかというとトップと彼らとは立場と利害が180度違うからなのです、別の意味では経験の差、視野角の差、思考の差です、つまりトップはミクロでなくマクロを見て戦略を立てなければなりません、経営とは「その瞬間の問題ではなくて継続するもの」であるからです。
しかし社員や役員はそうではありません、その瞬間の問題に焦点を当てています、したがって各論的には合っているかもしれませんが総論的には多くの欠陥があります。
経営経験が少ないトップは話が上手くていろいろな情報を持っているアイデアマンに耳を貸す傾向があります、自分にない発想をするので重宝がるのでしょう、そして信頼感まで持つようになります、しかしそこに大きな罠があるのです。
そのアイデアマンが実経験で鍛え上げてきた経験豊富な人であれば問題ありませんが、書籍や人から聞いた情報を自分なりの頭で理解し(ているつもり)経験してないことを平気で提言するような人であったら極めて危険です。
このような人を「敗軍の軍師」と呼びます、「敗軍の軍師」には自分が間違っているという自覚は全くありません、むしろ自分のアイデアを実行してくれたら絶対に成功するくらいの自信があります。
トップもその意気込みや愛想の良さからつい提言を鵜呑みにしてしまうのでしょう、そこが経験不足のトップの最大の弱点でもあるのです、トップはあくまでもいろいろなアドバイスや提言はひとつの「茶呑み話し」くらいに考えなくてはなりません、例え役員であっても高い報酬を払っている顧問であってもです、主役はあくまでも最終責任を問われる経営者なのですから。
自分でいろいろな状況を考えて最終結論を出した戦略でなければ、途中で計算外のことが起きたときに速やかなる軌道修正や撤退の決定が遅れます、更には経営責任なんて取れるはずもありません。
バブル絶頂期の頃にクラブのママさんに聞いた話しをときどき思い出します、「突然来なくなるお客さんがいるんだけど、後で一緒に来ていた人に聞くと会社が倒産して夜逃げしたって・・・、そういう人が数年後に再び戻って来ることがあって顔つきから仕草まで別人のように立派になって、同じ人とは思えないのよ・・・」。
話は変わって、私はよく「穴に落ちるならでっかい穴に思いっきり落ちろ決して縁にしがみつくんじゃない!」と言います、でっかい穴から這い上がった人は人が変わったかのようにプロ意識を持ち完璧な業務遂行ができるようになるからです、こんな例は何人も見ています。
「人生の挫折」、それは誰にでも起きうることなのです、自信を失い自分の将来に失望します、でもそれは最も尊い経験だと思います、自分に失望し自身を卑下できることはそう経験できることではありません、自分に失望して初めて自分の悪いところが明確に理解できるのです。
それに気づいて自分の思考を軌道修正できるのです、その後は自分をガンガン出してもミスもしなくなるのです、「一皮剥ける」、「自立した大人になる」、「パラダイムシフト」とはこういうことなのです、穴に落ちれば穴の中でしか見ることができない景色があってそこでしか得られない貴重な体験ができます、決して穴の外では得られない生涯に渡る貴重な体験です。
落ちるのが怖くて穴の縁に惨めにもしがみついているのを助けてくれる人ではなく、むしろ背中を押して穴にストンと落としてくれる人が本当の愛を知っている人だと思います、本当に思いやりがないとできないことです、そういう経験をさせてくれる人が身近にいることを心から感謝することです。
進化論といえばダーウィンの「種の起源」があまりにも有名です、ダーウィンの進化論によれば「種は環境に適合し突然変異によって進化する」ということになります、逆説的にみると競争社会を形成し「変化に適合できない種は淘汰の道を選び絶滅する」という怖い結果になります。
これをビジネス社会に置き換えて考えてみると殺伐とした競争原理の下に行われる企業間のサバイバルゲームそのものになってしまいます、そして勝ち残れない企業や業種は淘汰されるということになります。
ダーウィンの進化論に対して真っ向から異を唱えたのが京都大学の今西錦司名誉教授です、彼の説は「生物は自分の生態に適合した環境を選んで生き残る」という「棲み分け理論」を発表しました、この理論をビジネス社会に置き換えると「それぞれの企業(個人)はそれぞれの特徴を生かせる分野で棲み分けることにより共存していく」ということになります。
つまり「棲み分け理論」には競合や淘汰という殺伐とした現実はなく、そこにあるのはそれぞれの個性を生かした共存共栄の理想的な社会です。
企業が進化し成長を考えるとき「企業間の競合によって淘汰させるのではなく、それぞれの特徴に合わせた分野(事業)において共存共栄を図りながら業界そのものを成長させる」という考え方こそが我々日本人のワビサビの文化に受け入れられるのではないでしょうか?
欧米型企業においてはダーウィンの進化論を自社に応用し敵対企業を潰すか買収や合併を繰り返すサバイバルゲームによって成長させてきた企業は少なくありません、日本の場合は「進化論」でなく「棲み分け理論」によって企業成長を考えるようにしていきたいと願うばかりです、確実に競合と淘汰の時代から共存共栄の時代へと変化していることも頭に入れて経営資源を生かしていかなくてはいけません。
この「棲み分け理論による共存共栄社会」こそが私の理想郷であり近未来の経済循環構造の確立に他なりません、それぞれの個性を生かしてレッドオーシャンの海で競合するのではなくブルーオーシャンで優雅に泳げる環境を確実に手に入れられます。
例えばアトピーなどの皮膚疾患は命に関わるような緊急性は無いにせよ長期間心身ともに悩まされる厄介な病気です、逆にもの凄い痛みを伴いますが外傷の場合は一時的な痛みを堪え治療さえすれば完治します。
経営悪化企業や個人のの再生はこれと同じようなことが言えます、経済リスクの観点から一般的に言えることは後者の方がリスクは極めて高いのですが長期間苦しみの中で低迷するよりもはるかに有益だということです。
企業の病は経営者だけではありません、家族に社員やパートナーなどの身内と呼べる存在にまで広がってきます、それを考えて短期間の厳しい痛みが伴う外科手術で治すのか、それとも痛みを誤魔化しながらも薬でじっくり内科療法で治すのか、両者のうちどちらが好ましいのでしょうか。
ここで何社もの企業や個人再生に携わってきた経営コンサルタントの立場で言えることがあります、それは長時間かけてじっくり修復させようとする企業や個人の多くが知らないうちに更に悪化してくるという事実です、立て直しどころか立て直しの機会さえも失いプロでも手のつけられない状況に陥るケースが実に多いのです。
これは再生の機会さえも失い、もっと言うと無駄に時間とお金を使って何一つ守ることができないという人生での最悪の結果となります、経営には潔さと覚悟が肝要です、経営には何の意味も持たない主義主張と意味の無い自己擁護的なプライドは綺麗さっぱりと捨てることです。