ときどき「事業スキームやサービスメニューを真似されて困る」という相談がありますが、そもそも何故すぐに真似されてしまうのでしょうか、そして真似されることはマイナスなのでしょうか。
厳しいようですがすぐ他者に真似されるということはそもそもその程度のものなのです、そして自身が行っている事もきっと何処からか持ってきたスキームに若干のアレンジを加えた程度なのではないかと推測できてしまいます。
本当にその人が独自に編み出しその人でしか価値を生み出せないスキームやメソッドであれば簡単には真似できません、すぐ真似されるというのは誰でもが簡単にできる事、つまりはそこにオリジナリティを追求できるはずもないのです。
そういうものであれば逆に多くの人が真似して参入してきた方が市場が大きくなって喜ばしいと思います、ブログも然りで真似される裏には真似する人がブログを読んでくれ表現方法や言葉に共鳴したということなのです。
真似されるということは真似するに値する人だという証明でもあるのです、つまり真似されたら本物であり喜ばしいことだと思うのです、そして事業であればオリジナリティを追及して他者には簡単には真似できない完璧なスキームやメソッドを作り上げることです、そうすれば「真似される」なんていう心配は起きません、自分しか価値を生むことが出来ない方法、これこそが本当の価値ビジネスというものです。
人は無意識のうちに「成長したい」と願っています、今できることをもっと効率的にできるようになりたいと思っているし高いスキルを身につけたいとも思っています、人としてステップアップするためには当然の願望なのだと思います。
企業も同じで経営者は今の事業をもっと大きく育てたいと思っているし、たくさんの利益を得たいと考えさまざまな改善案や顧客ニーズを取り込むように尽力するものです、その結果事業は成長し利益も上がっていきます。
さてここで向上を考えても人も企業も「変わりたい」とはなかなか思わないのではないでしょうか、変身願望など確かに違う自分への憧れはあっても自分を変えたいと思う人はあまりいないように思えます、むしろ「変わりたくない」と、どこかで防御線を張っている人のほうが多いかもしれません。
しかし世の中は常に変化しています、しかもインターネットの普及により変化のスピードは加速する一方です、当然顧客ニーズも時代の速さに合わせて変化が速くなってきています。
ここで「成長」ということについて立ち返ってみると成長しきった会社はどうなっているでしょうか、成長しきった結果「老体」になってしまい完全に市場からはじき出されてしまっている感があります。
世界的にも優秀な社員が揃っていた大企業であるにも関わらずこの事態を予測できていませんでした、企業が勝ち残り生き残っていくためには「成長」するだけではダメなのです、時代の変化に対応し常に新しいものを「生み出し」てゆく進化が必要なのです、進化なき人も企業も、成功を望むべきではありません。
私の独立起業は28歳で第二次ITベンチャーブームに世の中が踊りGDPも倍々で増えたバブル景気直前の頃です、そんな高度成長時代にフリーSEを3年間行って得た軍資金で起業し、当時まだほんの一握りの技術者しかいなかったマイコン開発分野で大手企業からは営業しなくても仕事が次々と舞い込み当然私を含めた社員の鼻息は荒かったものです。
時に仕事量は社員数の数倍分にもなり、当時の若かりし私は手段を選ばず技術者確保に同業他社から政略によって引き抜きを行ったこともありました。
そんな手段を選ばない私に「謙虚に生きること」を教えてくれたのが孔子論語であり戦国武将や三国志などの書籍です、これは経験上言えることですが政略を行うとしばらくは夜も眠れなくなります、心のどこかで知らぬ間に他者を陥れたやましさが増大してくるものなのです。
どんな人も時に調子が良いと「自分天下」と勘違いを起こしてしまうものなのです、しかしここで「人の道に外れてないか?」と自身を省みることが肝要なのです、孔子論語にどれほど当時の私の心に響き深く自身を戒めたかわかりません。
私はこれを機に180度方針を変えました、同業他社との関わり合いを競合から協業という関係に変えたのです、「仲間内で争ってては真の成功は無い、共存してこその業界の成功であり自身の成功も有る」と考えるようになりました。
あの時方針を変えずにイケイケで成長させていたら早い時期に上場できていたかもしれません、事実周囲からも「何故、方向転換したの?」とよく言われていました。
でも私はこれっぽちも後悔はしていません、自身の夢の実現よりももっと尊ぶべきことがあるのです、人として正しい道を歩んで行きたい、何の不安もやましさも無く安心して暮らせることが人生の成功だと思えるようになったのです。
一口に「価値」といってもその意味合いは様々です、コンビニではおにぎりは120円で売っていてコーラは150円で売っています、人が生産したもので値段のついていないものを探すほうが難しいくらいです、お金を対価として支払うにはそこに「価値」がなければなりません、ここで「価値」とは何だろうと考えることが肝要です。
「価値」とは実に曖昧で捉え難いものはありません、しかし確かに商品には「価値」があって値段がついています、例えば私が買うネコグッズはネコ好きにはたまらなく「価値」のあるものですがネコが好きではない人にとっては何の価値もありません。
「価値」というのは人の数だけ存在していると考えるのが正解なのかもしれません、ある人にとってはとてもかけがえのないものが別の人からすればまったく価値のないものとして映るのです。
これは直接的に購買行動につながり買ってもらうためには相手にとって「価値がある」と思えるものでなければならないのです、人は自分が「価値がある」と認めたものにはお金を払いますが「価値がない」と思えばそれにお金を投じることはありません。
今あなたが売ろうとしているものは誰にとってどんな価値を秘めているのかを再確認する必要があります、自分にとってはどれだけ価値があると思っていても相手が「価値がない」と判断してしまえばそれまでなのです。
自分の扱っている商品やサービスがあなたにとってではなく、あなたの顧客にとって価値あるものになるためにはどうすればよいのでしょうか、こんな極めてシンプルなことを深く突き詰めていくのがビジネスの原点であり、これをしっかり行えば自然に売上はあがっていくものなのです。
「経済的に苦労することなく安定した生活がしたい」という言葉を耳にします、ではその人たちの言う「安定」とはいったい何でしょうか?
現在の社会情勢の移り変わりの速さはバブル全盛期の比ではなく日進月歩ならず秒進分歩に変化しています、これだけ著しく変化する世の中にあってそもそも「安定」という状況ががはたして成り立つのでしょうか?
確かに公務員になれば国や地方自治体が破綻するのは例外を除き有り得ないのですから安定した生活を送れるかもしれません、しかし実際はどうでしょうか、EUを襲った金融危機のように自治体が破綻したら公務員といえども無職になりかねません。
それではトヨタやユニクロのようなグローバル大企業に勤めれば安定を得られるのでしょうか、会社が大きかろうが倒産のリスクが無いとは言えません、むしろ大きいからこそ変化に対応しきれず淘汰されていく企業は多々あります。
確かに「安定」という単語は耳触りが良いかもしれません、でもその本質は「今のままでいたい」、「自分だけは守られたい」という保身的な考えの表れなのではないでしょうか?
時代の波に乗れる成功者とは予想不能の変化に常に対応していかなければならず逆に「安定」という言葉を嫌います、そして「安定」を使っているうちは成功者への道のりは程遠いものとなることは確かです。
結局のところ今の時代で「安定」状態というのは幻想でしかなく、それよりも変化を積極的に楽しむ姿勢が好ましいと思います、将来の不安に取りつかれて「安定」に憧れるのではなく積極的に変わりゆく今の世を楽しむことです。