Sony(ソニー)は、ソニー株式会社のオーディオブランドである。
オーディオ事業で祖業したソニー株式会社は現在あらゆる事業を手掛け、銀行・保険・放送・教育・介護など事業別に子会社を細分化しており、子会社数は1740社余りで日立グループより400社以上も多い日本最大のグループ会社を形成している。
さて、オーディオブランドとしてのソニーの話しですが、祖業は1946年で井深大と盛田昭夫により東京通信工業株式会社が設立された。
設立から4年で日本発や世界初を連発して行きます、まずは1950年の日本発のテープレコーダー、これは放送や音楽関係者を大いに喜ばせた。
次いで、1955年には世界初のトランジスタラジオを発売し、このときに「Sony」のロゴを入れ、これが世界中に「Sony」ブランドを確立するきっかけとなった。
世界ブランドとなった後の1958年、ブランドであった「Sony」からソニー株式会社へと社名変更します。
日本では、アメリカでヒットした後に製品化したために、しばらく「Sony」はアメリカの企業だと勘違いされていた時期があった。
1975年の世界初のベータ方式でのビデオデッキ、1979年の世界初のポータブルオーディオのウォークマンなど録音・録画を通した世界初を連発する。
また、オーディオ製品は70年代を制したサントリパイ(サンスイ・トリオ・パイオニア)に割り込むように、80年代以降にはアンプやスピーカーでブランド力を発揮していく。
80年代後半に起きたアンプ798戦争においては、サンスイのライバルとして最も果敢に競合したのがソニーでした。
その後は、ブルーレイでの世界制覇など皆さんご存じの活躍を見せます。
また、90年以降はホームシアターのブランドとしても、デノン・ヤマハ・オンキョーとシェア争いを繰り広げます。
現在では、超高級ハイエンドスピーカーなどを手掛け、エントリークラスからハイエンドまで手掛ける総合オーディオブランドになっている。
JVC(ジェーブイシー)は、株式会社JVCケンウッドのオーディオブランドの一つである。
元々は株式会社日本ビクターが持つブランドであったが、日本ビクターが松下グループ(現パナソニック)から離脱し、2008年に株式会社ケンウッドと資本提携し、両社の持株会社である株式会社JVCケンウッドを創設し同社のブランドに移行した。
日本ビクターとしては、1929年にアメリカのビクターがRCAに統合されたのをきっかけに、1931年より日本において蓄音機の工場が稼働し、これが事実上の日本ビクターの祖業となる。
日本オーディオ界においては戦前からの最も古いメーカーという事になり、あらゆるオーディオ製品を創出してきている。
1945年の終戦後に株式会社日本ビクターに社名変更し、RCAとの交渉を通じて日本における独自路線を歩むことになる。
1954年には、松下グループの資本傘下に入りレコードプレーヤーやテープレコーダーなどの製品を創出する。
本格的な民間向けのオーディオ製品を創出し出すのは1970年代に入ってからで、コンポーネントステレオセットや本格的スピーカーシステムでオーディオブランドを確立して行く。
名スピーカーSX-7はこの頃に発売され、SXシリーズ(SX-7、SX-5、SX-3)は空前の大ヒット&ロングセラーとなる。
その後、VHS方式のビデオデッキでもブランド力を上げていく。
低迷期は有ったものの、オーディオ氷河期を乗り越え90年代からのミニコンポ時代にはオンキョー、ケンウッド、デノンと共にオーディオ界に君臨する。
近年では、ウッドコーンを使った小型スピーカーが空前のヒットとなり、単体としてもミニコンポとしても再びJVCブランドが注目されている。
そんな中でのケンウッドとの資本参加、2つの強力なブランドを持つ株式会社JVCケンウッドは今後益々目が離せない。
TEAC(ティアック)は、ティアック株式会社のオーディオ製品のブランドである。
1953年、東京武蔵野市で東京テレビ音響株式会社として創立し、1962年にティアックオーディオ株式会社と改名する。
1956年に、東京テレビ音響株式会社の子会社として東京電機音響株式会社を創設し、1962年にティアック株式会社と改名する。
1964年に、上記両社は合併し、現在のティアック株式会社が誕生する。
祖業事業としては、各種計測機や計測システムであったが、62年ごろからオーディオ事業に進出し、祖業の計測器事業は1964年の合併時期に分社化しオーディオ専業メーカーに生まれ変わる。
オーディオ製品での実績は、祖業の計測器技術を生かしたオープンリールデッキやカセットテープデッキが有名で、安定したモータードライブ技術を基にレコードプレーヤーのターンテーブルなども手掛ける。
90年代に起きたオーディオ氷河期を自助努力で乗り越え、2000年以降は独特のデザインに独自技術を詰め込んだデジタルアンプやデジタルオーディオ機器なども手掛けている。
昔からティアック=技術の塊的なイメージが強く、デザインも工業デザイン的な斬新なデザインが多く、オーディオマニアの中でも理工系のマニアには特に支持されている。
現在のアンプなどのデザインを見ても、「まるで計測機のようでゾクゾクする」という個性的なファンも多い。
スピーカー製品は、一時期タンノイの代理店を行っていた経緯もあり、同軸2ウェイユニットを使った小型スピーカーシステムを誕生させるなどファンを驚かせる話題性もある。
オーディオ業界にあって常にイマイチの存在感ではあるが、ユニークな製品を創出する姿勢は高く評価されている。
高音質デジタルアンプ部門ではリーディングカンパニー的存在で、近い将来デジタルオーディオ全盛期に更に高く評価されるブランドとなる可能性が高い。
Technics(テクニクス)は、パナソニック株式会社(旧松下電器産業株式会社)のオーディオ部門のブランドである。
1965年にSB-1204に初めて「Technics-1」という製品ブランドが用いられ、その後オーディオ製品に用いられるようになる。
尚、2010年にTechnicsブランドの製品製造は打ち切られるが、2014年に再開している。
オーディオ業界にあって、多数のオーディオ専業メーカーとの競合を避け、大衆オーディオ機器に注力し一応の成功を収めた。
1970年代~80年代までは、高級ハイエンド製品も出しており、スピーカーシステムやアンプにおいて名機も多数創出している。
また、この時期はスピーカーユニットのメーカーとしてフォステクスとコーラルと三大スピーカーユニットメーカーとしてDIYオーディオファンに支持された時期もある。
尚、1988年頃から大衆オーディオ部門は徐々に同社のPanasonicブランドへ引き継がれていく事になる。
1989年以降は、ハイファイオーディオ製品もロエントリークラス~ミドルクラスはPanasonic、高級ハイエンド製品はTechnicsというように2つのブランドを使い分ける戦略に移行する。
また、その後のデジタルオーディオやポータブルオーディオなどの製品もPanasonicブランドで出している。
ハイファイオーディオブームが徐々に復活を見せる2015年にはTechnicsブランドも復活し、ファンも期待を持って見守っている。
尚、ニューヨーク近代美術館に世界初のフルオートマチックレコードプレイヤーSL-10とユニークなWホーンスピーカーシステムSST-1(ドライブユニットSST-40WT)が展示されている。
どちらもSFの世界に登場するような斬新なデザインと機能で、まるでロボットを彷彿させます。
時代背景を考えればオーディオが出始めた時代であり、これが一般市場に投入された製品なのだから世界中が驚いたのは当然です。
勿論、当時雑誌で見た私は、もう欲しいを飛び越して別世界の物だと自分に言い聞かせるしかありませんでした。
FOSTEX(フォステクス)は、フォスター電機株式会社のスピーカーユニット及びスピーカーシステムなどのオーディオブランドである。
1949年に、西村茂廣と篠原弘明により信濃音響研究所が設立されスピーカーの製造を始める。
1953年に株式会社へと改組し、1959年にフォスター電機株式会社へと社名変更する。
1960年より、ソニーのトランジスタラジオ用にスピーカーユニットを供給し始め、経営基盤を強力なものとしていく。
1962年には東証二部に上場し、スピーカーユニットのブランドも定着していく。
その後、全世界に海外子会社を設立し、グローバルブランドへと成長を遂げていく。
70年代には、テクニクスとコーラルと合わせてDIYスピーカーユニットブランドの3大ブランドとして名を馳せ、多くのDIYファンに親しまれた。
また、DIYファン向けのバックロードホーンエンクロージャーのキットなど、ユニットと組み合わせたエンクロージャーキットが大ヒットし、ブランドを揺るぎないものにしていく。
80年代後半にテクニクス、コーラルが事業廃止や経営破綻で脱落し、日本の唯一のスピーカーユニットブランドとして一時期国内では独占状態となる。
今も尚、日本のブランドとしてほぼ独占状態が続き、90年代に輸入業者によってライバルは台湾や香港などの海外ブランドとなっている。
スピーカーユニットに加えてスピーカーシステムでも名機名作は多く、DIYファン向けのD級アンプやチャンネルデバイダーなどのオーディオアクセサリー類も手掛けている。
現在、世界的にDIYオーディオマニアの間ではフォステクスは日本唯一の高級スピーカーユニットブランドとして定着している。
近年、初心者でも手軽にDIYオーディオが楽しめる「かんすぴセット」が安定した売り上げを上げており、新たな市場開拓戦略が功を表する。
一環として高級スピーカーユニットを供給するだけではなく、常にファンに喜ばれる新たな戦略を繰り出していくところが、日本唯一のユニットブランドとして残った理由であろう。