付き合いに新規事業等々、何事も始めるときには未来志向で前向きに気持ち良く進められます、他方で離別・解消・離婚に廃業と一度始めた事を終わらせるのはどうしてこんなにも大変なのでしょう。
例えば法人の廃業や解散登記は債権者への官報告知や解散登記などの費用が重く圧し掛かり設立以上の費用がかかります、終わらせてゼロにするのにも大金を払う必要があるのです、更には第三者債務が1円でも残っている場合には実質的に解散登記はできません。
また起業家として告知してしまった後の解散は自身が認めたくない事実として残るのでなかなか腰が重くなるのも解ります、事実これらの経済的&精神的苦痛が負担となり済崩し的に決算も行わずに放置して逃げてしまう人が後を絶ちません。
でもここで綺麗に清算しておかないと次の始まりも綺麗にスタートできないのです、これを本当に真剣に考えてほしいのです、つまり終わらせる清算費用ではなく新しき世界を開くための投資資金だと考えて綺麗に終わらせることに関して前向きな気持ちで行ってほしいのです。
法人決算を行わずに放置し税務署からの呼び出しにも応じずにズルズルと済し崩し的な終わらせ方を選択する人がいますが、12年間決算申告や変更登記など何の動きも無いと法務局では法律に基づいて「みなし倒産」という処理を行います、これが最悪の結末となることを記憶しておいてください。
無責任にも自己責任で設立した法人の後始末を国に押し付け長期間納税せず(脱税)に解散費用などを自己責任の放棄により国に負わせたという犯罪者となるのです、各種の記録が公的機関に残り金融機関の取引もできません、結果的にその後の人生そのものが上手くいくことはありません、海外逃亡などで逃げ続けるのが精いっぱいの残された行動です。
法人を設立するということは我が子を産んで育てるという意識に通じます、設立した法人を放置するような人は必ず自分の子供も養育放棄して逃げる人だと思います、自身が選択することで起きてしまった事項の終わらせ方、ここに人となりと責任意識の有無がはっきりと出るのです、これは何も法人だけではありません。
もしも自身が興した事業を綺麗に廃止するなら真面目に決算申告と納税を行い債権者への説明と債権債務の清算を綺麗に行って潔く解散登記して欲しいと思います、それは次代の人生再出発の為の最低限の責任履行に他なりません。
そしてどんな事業も収益のピークの時に撤退を既に決意しておく、これが精神安定上重要です、下り坂になってからの決意では負い目を背負った決意となるからです、どんな事も終わらせる時には絶頂期に決意することです、これが前向きな終わらせ方となりその後の人生が上手くいきます、なぜなら絶頂期での清算は傷が少なく迷惑も最小限で済み他者の恨みも買わずに済むからです。
どんなことでも終わらせ方は潔く綺麗に絶頂期に行うことです、上手くいかなくなってからの逃げの撤退では多くの人に迷惑をかけるだけではなく自身の中に負の実績だけが残ります、この負の実績は時間が経つにつれ大きく育ち呪いのように忘れた頃に大きな災いとなって降りかかってきます。
「家族を守る為」、「これ以上迷惑をかけられないから」、これほど本人の意図とは裏腹な無責任な言葉はありません、よく考えてみてください、全てが自己都合の結果でありその尻拭いはいったい誰がやるのでしょうか?
5年ほど前から食生活をがらりと変えて「食と健康」生活を日々実践しています、最近では1日30品種以上を食すと本当に身体が変わるのかを身を持って実験中で多い日には40品種以上の食材を少量ずつ食しています。
こんな健康を意識した食生活の昨今、子供の頃から食べない日は無かった大好きなお菓子や珍味類などのジャンクフードを極力減らすようにしています、ただ2週間で身体がこれらのジャンクフードに対する禁断症状が起きてきて無性に食べたくなってしまうのです。
そこで身体に染み込んだ「食のルーティング法則」に従って無理やりに止めるのではなく週に1日だけ解禁日を設けることにしました、多くは週末や休日です、この日は昼間から枝豆やチーズをおつまみにビールを飲み途中ポテトチップスなどのスナック菓子類を満足するまで食べています。
このジャンクフード解禁日にはご飯や麺類などは一切食べません、というか身体が満足してしまうのか食べたい気持ちが起きないのです、それでも数えると20品種以上の食品を食べるようにはしています、ジャンクフード解禁日でも野菜もしっかり取るようにしています、豆腐と共に多種の野菜や海藻類を入れた味噌汁を作って夕食時に食べるのです、これが結構身体に優しく寝付きも良いように感じます。
週一のジャンクフード解禁日生活をはじめて1年後の昨年受けた定期健診は人間ドックを年1回受けるようにしてきた35年来で一番というほどの「異常無し」を連発、し尿酸値も血中コレステロール値もすべて正常でした、健康食っていったい何だろうと考える今日この頃、自分の身体が欲するものはきっとその人にとって健康食なのではないかとさえ思えるのです。
100歳を超える長寿者は肉が大好き・塩辛いものが大好き・甘いものが大好きなど、自分が好きなものを好きな時に好きなだけ食べるといいます、長年の食のルーティングによってその人の身体にはその栄養素が必須になってくるのでしょう、だから無理に止めると逆に不調を訴えるようになるのです。
好きなものを好きな時に食べるのが一番だと思います、ただし限度を守るという最低限のルールの中でというオチは付きます、何事も過ぎるは駄目です、足りないと思えるくらいが丁度良いのです。
新型ウイルスパンデミックにより我慢の生活を強いられている世界中の人々がいます、この中で私の最大の心配事は今の若者たちの心理的な影響です、何が心配なのかと言うと例えば大学生は既に大事な4年間の各種の自由の実に半分が失われているわけです、小学・中学・高校生は修学旅行やスポーツイベントなどが中止になっています。
更にこれがあと1年以上続いたらどうなるでしょう、おそらくこの間に芽生えた心理作用は彼らが社会と経済を動かす中心的な立場の年齢になった時にふと表像化してくるような気がしています、つまりその時に自分よりも20年ほど若い世代に「我慢しろよ、俺だってその歳の頃は自由が奪われたんだから」という精神的な負の連鎖です。
これが世界中で起きてきたらその時代の若者はどんな心境になるのでしょう、そんな事をつい老兵心で考えてしまうのです、というのは実は私の年代も同じように若い頃に言われていたからです、それは戦中に若者だった世代の人たちにです。
そんな世代の人たちは私の年代を「三無主義世代」と呼びました、三無主義とは「無関心・無気力・無責任」の3つの無を表したものです、何かやりたい事ができてやり始めればこの三無主義を出しては拒否され妨害までされ続けてきたのです。
28歳での起業後にもその世代の人から受けた謂われ無き営業妨害や取引拒否はいまだに忘れることはできません、悔しさよりもその世代の人に憐れみまで感じるようになってしまいました、こんな負の連鎖が20~30年後に再び起きるのかと思うと心が痛みます。
今の若者たちには「自分が苦労した事を後世に残さないようにと未来志向で生きる」、そんな広い心で明るい未来を信じてやりたい事をできる範囲で工夫を凝らしてやってほしいと願うばかりです。
私がまだ7~8歳の頃の話しです、私の家の近所に鉄くずに囲まれた家がありました、自転車や家電から再利用できる金属を取り外しては売る生業をしておりゴミ山と呼ばれていましたが私には宝の山に思えました。
毎日のように学校から帰ると自動車やラジオなどの見たこともない部品に目を爛々とさせて探し回っては大いに空想にふけっていました、そんなある日のこと突然そのゴミ山が撤去されるのを目撃してしまいました、私は友達と目を合わせるなりその場へ駆け寄りました。
そして残された小さな鉄くずを拾っていたお爺ちゃんに混ざって拾い始めました、ザルに何杯も何杯も拾いました、時折「これ貰っていい?」と断りを入れながらの宝探しが目的でした。
辺りが暗くなり始めた頃に「もう暗くなるぞ、帰れ!」とお爺ちゃん、そして袋のような財布から「これで菓子でも買って食え」と言って20円ずつ渡されました、その時お婆ちゃんは「あれ、それタバコ銭じゃ?」とぽつり、子供心になにか心が痛くなるような思いでした、好きなことをさせてもらっておきながら大切なお金を貰うだなんて。
そんな経験を忘れることなく大人になった私、どんなにお金に余裕が無いときでも明日を考えずに飲食を誘ったらおごります、支払いが難しい再建途中の企業の依頼を受ける時もあります、自社の状況を考えずに貸すこともあります。
ただし自分と同じマインドを共有できると思う人に限ってです、今でも大事なお金を渡したお爺ちゃんのことを思い出します、言葉はきついが普段は実に穏やかな表情なのです。
3年ほど前にうちに来たロボット掃除機のルンバ、保証期間ギリギリの時期に全く動かなくなって修理に出して基板を全部取り換えてもらって以来毎日掃除をし続けています。
スピーカーケーブルを巻き込んで動けなくなったり隙間に入り込んで出て来れなくなったりと、まるで猫のような滑稽さに心が和むこともあります。
またテレビはインターネットで繋がっており、そのリモコンはAIスピーカーになっています、ネット検索して投稿動画を観たり料理のレシピを検索して観ては愉しんでいます。
私の家の家電製品はどんどんロボット化してきます、そして今欲しいと思っているのがロボットベッドです、かなり高価なのですが過日の椎間板ヘルニアで起き上がれなかったことがきっかけで欲しいと思うようになったのです。
リモコン操作でソファーになり、そのまま上部にスライドして起き上がることをサポートしてくれるのです、寝る時はこの逆で腰が痛いときや足が怪我している時など一人で寝ることも起きることも可能になります。
歳をとるとこういう事を考えるようになるのだなと思うのですが他者に世話してもらうことを考える人よりもよいと勝手に解釈しています。
掃除に洗濯に、これからの時代はすべてロボットが身の周りの世話をしてくれるようになるのです、先んじてそれを体験しておくのも悪くはないと思うのです。
そして重要な事は人間に代わってAIやロボットが台頭してくる日が必ず来るということです、その時に人間はロボット社会にどう向き合って生きていくのか、今から想像を膨らませておくことも必要な気がしています。