2023年3月10日 00:00
「パラドックス」とは数学や物理学で用いられる言葉であり、多くの仮説から一つの解を導くときの勘違いを定説化した概念です。
この概念は天才科学者ラッセルの文学的論文によって世に広く知られるようになりました、「一見正しそうに見える仮説と一見正しそうに見える推論から正しくなさそうな結論が得られる」というもので、この正しくなさそうな結論のうち本当に正しくない結論を「パラドックス」と言います。
この「パラドックス」ですがビジネスや人間関係にも実に見事に当てはまるのではないかと思うのです、特にITビジネスには多くの「パラドックス」の罠が存在しており「パラドックス」により大きな致命傷を負うこともあります、人間の感性を機械で代用すること自体が既に「パラドックス」と言っても過言ではないのです。
経営では事業計画がこれにあたります、この法則のように「パラドックス」が結果として現れることが実に多いのです、人材・予算・行動・成果などを考え全てが正しそうな仮説と正しそうな推論によって形にしたものが事業計画です。
そのほとんどが途中で修正されるし、また修正に修正を重ねたものでも結果として得られるほとんどが「パラドックス」となります。
計画性を最重視した上場企業でさえも年に4回も修正報告がなされているのを見れば解るでしょう、ベンチャー企業においてはほとんどその意味を持ちません、作成する意味をここで云々しているわけではありません、あくまでも計画と結果は常に「パラドックス」だということです。
物体や物質など本来は固定し不変のものと仮説・推論されるものでも、ひと時も同じ状態というのがないのが現実社会です。
まして量子や宇宙に関して言えば、その瞬間だけを取り上げてどんなにすぐれた仮説・推論を繰り返しても、結局最後には「パラドックス」となるのは当然のことであり不思議でも何でもありません。
更に、定期的な行動を一切しない生命体(例えば人間)に関していえば全てが「パラドックス」と言っても過言ではないでしょう、「自分が判らない」、「あの人が判らない」、これは至極当然のことです、そもそも個性や性格とは何でしょうか?
常に見せる表面的な性格は氷山の一角に過ぎません、多くの部分は無意識の領域、つまり氷山で言えば見えない海の中なのです。
その見える部分だけで自分や他人の性格を決めつけ付き合おうとしても、何かの拍子に見えない部分が出てきて一瞬にして「パラドックス」化してしまうでしょう。
言葉・文章・表面の性格を見るのでなく、その裏に潜む心を見るようにしなければ人間の本質は判らないのです。
社会構造の全てが人間関係で成り立っています、少なくても目に見える表面だけを見て仮説・推論しても意味が無いことだけは理解すべきでしょう。
人間関係で最も多い「パラドックス」は、自分の知り得る範囲でその人の人脈や能力に財力などを見切ってしまうことです。
その結果において争ってはならない人と争っては大きな損失を生んだり、自身の成功の為に不可欠な人を遠ざけてしまったりしてしまいます。
冷静に周囲を見渡して観ると、偏見や思い込みによって「パラドックス」の罠にはまっている人が実に多いのには驚かされます。
そして万物に「パラドックス」の罠が潜んでいると仮定して事に当たるのが、見えないものを具現化させるためのビジョン思考という極意なのです。
人生を豊かなものにしたいのなら「パラドックス」をどう乗り越えていけるかが最重要課題となります、常に自身の結論を一旦は疑ってみること、これが一つの解決策になると思います。
「自分の考えは正しい」、こういう独善的な人が最も危険であり事を成す前から既に「パラドックス」の罠にはまってしまっていることを知るべしです。
「自分の考えは間違っている」、こういう人は常に情報を開示し周囲と課題を共有化します、だから結果的に自身の責によるミスは起きえないのです。