2022年8月26日 00:00
かれこれ15年以上も前の話ですが大事に使っていた重厚なクリスタルガラス製の灰皿を落とて粉々に割ってしまったことがあります、落としたくらいでは割れないはずのぶ厚いクリスタルガラスですがその時にはたまたまウィークポイントに力が加わり割れたのでしょう、見事にバラバラになってしまいました。
この灰皿はメイン法人の設立時から15年間ほど応接室で使っていた物でした、当時は応接室に灰皿を置くのが常識化していました、今ではとても考えられないことです、時代に合わせて社内が喫煙室以外は全面禁煙となった後に私の家でずっと大事に使われてきたのです。
みなさんはこんな時には何を考え何を思うでしょうか、私は冷静に「自分の中の一つの歴史が終焉した」と考えました、オーバーだと思われるかもしれません、でも意外にも心穏やかにそう実感できたのです。
この灰皿を見ては設立当時の状況やバブル期に最高潮に達した栄光を思い出していたのです、そんな思い入れがある灰皿は私にとってそこに在るのが当たり前だったのです、自分の中のある種の拘りが消えました、壊れてしまった灰皿を拾い集めては新たなる開かれるであろう未来を歓迎したいと心からそう思えたのです、そして当時拒み続けていた上場企業の傘下に収まるという提案を受け入れる一大決心をしたのです。
ここでみなさんに提案です、もしも忘れたい記憶があるならどんなに高価で貴重なものであってもそれに関する全ての物を捨ててください、大事に持っている間は何時までも未練がましく過去の記憶にしがみついてしまいます、逆に捨てられないと思うのであればその事実を無理に忘れようとしないことが賢明です、きっと未来において何か意味があると思うのです。