火の話し-4
最後に「火」の科学、つまり「火」とは何なのかという話です。
「火」が発生する現象、これを「燃焼」といいます。
「燃焼」は一つの化学反応です、したがって化学式で表すことができるのです。
「燃焼」の科学は、その媒体(燃料)によって100通り以上も存在します。
最も簡単なものは、水素と酸素の反応によって起こる「燃焼」、また石油や木などの炭素と酸素との反応によって起こる「燃焼」ですが、それでも点火から始まって消化まで幾通りもの化学式が存在します。
また、マグネシウムやアルミニウムといった金属も酸素との反応によって「燃焼」します、花火はこの金属の燃焼で起こる「発色の火」を積極的に用いた産物です。
ここで、「燃焼」を簡単に説明しますと、「燃焼」には必ず燃える対象となる媒体、そして反応する酸素、そして一定の発火する「トリガー」(きっかけ:温度や火花など)とが必要であるということです。
逆にいえば、このうちの一つでも奪ってしまえば「火」は生まれる事も存在することもできません、つまり消滅するということです。
つまり「火」は単独では絶対に存在出来ないものなのです。
必ず燃えるための媒体、そして酸素(空気)、トリガーが揃って初めて「火」が存在できるということです。
<続く>
火の話し-3
「火」によって人類にもたらされた産物としては、大きく3つに分類されると思います。
一つは熱源として、例えばストーブやこたつなど人間そのものが暖をとる方法です。
また、湯沸かし器やボイラーのように、水などを温める目的において活用されています。
更には、金・銀・鉄・銅などの金属を原石から取り出し、そして加工するに至るまで「火」は熱源として重要な役割を果たします。
二つ目は光源として、解りやすいのはランプです、これは燃料に「火」を灯し「火」を消さないように工夫を施された照明道具です。
祭りの「祭り火」やキャンプファイヤーなども、一つの光源としての意味も兼ねています。
三つ目は道具として、例えばガスコンロは調理をするための道具、ガスバーナーは物を溶かして接合するための道具などであり、「火を扱うための道具」、これも「火」の重要な活用法です。
このように現在の人間が生活する上で「火」がもたらす産物は計り知れないものがあります、ただ当たり前のように考えているためにその存在を意識することは少ないのかもしれません。
逆に、人類が「火」を敏感に意識するとしたら何でしょうか?
多くの人は、火事と答えるのではないでしょうか。
そうです、「火」は人間の生活には欠かせない重要な存在ですが、同時にコントロールを失った「火」は生命体にとっては脅威の対象となるのです。
更には、「火」を意識的に活用したのが兵器への応用であることは否めません。
兵法にこうあります、「火攻めは陽の攻撃、水攻めは陰の攻撃」と、そしてこれらを日本において目的に応じて自在に操ったのが戦国時代の軍師ではないでしょうか?
また、同様に「陽=火」は例え勝っても遺恨を残し、「陰=水」は共栄を残すと記されています。
「火」は人類にとっては重要な存在であり、また過剰に意識すれば存在そのものが驚異の対象となるのです。
火の話し-2
紀元前5世紀になると、中国やギリシャでは「火」は一つの化学元素ではないかと考えられるようになりました。
例えば中国では「五行思想」によって、ギリシャではエンペドクレスやアリストテレスが「4大元素思想」に「火」を組み入れています。
更に歴史は進み、18世紀には、カントを代表とする多くの思想家によって「火」は無数の原子として存在し、燃えるという現象はこの原子の移動によって発生すると考えられました。
これらは、現代では酸素との結合による「燃焼」という化学反応の一つで「火」の原子は存在しないことははっきりと解っていますが、原子の移動という点においては「燃焼」の科学そのものであり、まったくのでたらめだとは言えないものだと思います。
また「火」は神聖なものとして古くから人類に崇められてきました。
一つは世界同時多発的に発生した「太陽神」、太陽はまさに「火」の神様なのです、その片鱗としての「火」はオリンピックでは必ずギリシャにおいて太陽光からレンズを使って点火し、その後絶やさずに点火台までリレーによって運ばれます。
日本でも各地に火祭りの行事が存在しますし、お盆での迎え火や送り火など火を神聖なものとして崇める国や地域は多く存在しています。
このように、人類と火は人類発祥以来密接な関係に有ったのです。
ここで、一つ誤解のないように申し上げておくと、実は太陽は燃えている「火」ではありません。
これは核反応によって引き起こされる激しい熱と光であり、物が燃えているという「火」とは化学的には一線を引いて考えられています。
つまり、厳密に言うと「太陽=火」と言うことは科学的には大きな疑問が残ります。