最近のテレビ、SNSを見て感じるのですが、
大切なことの判断を、人任せにしている方が多くないでしょうか。
国が、自治体が、という不平不満を口にし、
「何もしてくれない」「だから私はこうなった」という話し方をする。
老若男女問わず、その傾向が見られるように思います。
でもね、自分自身のことです。
私は、自分で考える方が当たり前なのではないかと思います。
もちろんこれは、自分の思うままに行動すればいいから、
それが規律を乱すこととなっても良しとする、なんてことではありません。
ルールや規律ができるまでには、時間がかかるわけで、
その間は、自分自身で最善策を模索するしかない、ということ。
もちろん、ルールや規律が整えば、それに従うのが基本でしょう。
もしそれに対し不満があるのであれば、周りに迷惑をかけない形で声を上げればいい。
自分が不利益を被らないためには。
自分の子ども、家族が安心して過ごせるためには。
それを第一に考えれば、自ずと答えはでると思うのだけれど。
なぜそれを人任せにしようとするのか。
手間を惜しんでいるのか。
とても不思議でならないのです。
昔から、小説家になりたいと思っていました。
脚本を書くための学校へ通ったこともあります。
しかし、「それは向いていない」ということに、気づきました。
私は、「書く」ことが大好きです。
そのために調べること、
自分の専門外の分野に挑戦すること、
自分ではない誰かを演じること、
自分とは反対の意見を肯定的に論じること、
長編を書くこと、
短くまとめること、
一切、苦痛ではありません。
何をしても楽しいですし、筆はどんどん進みます。
でも、ただひとつ、
「ゼロ」から「イチ」を生み出すことができないのです。
アイデア、ネタ、そういった類のものですね、それがムリ。
「イチ」さえもらえれば、それを無限に膨らませることはできるのですが。
そんな稀有な人、いませんよね。
ということで、小説家や脚本家になりたいという思いは、諦めることにしました。
いまある能力を、どんどん伸ばしていきたいと思います。
届かない物に手を伸ばし続けることよりも、
与えられた能力を育てることが大事なんだと気づいた、今日この頃なのでした。
先日、とある芸人さんの復帰会見を見ました。
謹慎開け、はじめてのテレビ出演。
相方の尽力により、会見は終始笑顔。
記者にも、視聴者にも、とてもスムーズに受け入れられ、大成功。
これからが期待できる、そしてきっと応援されるだろうという幕開けでした。
一方、テレビではなく、YouTubeを使い、復帰を果たした方もおられました。
こちらは、謝罪でスタートし、終始神妙な面持ちでの会見でした。
しかしながら、受け入れがたいと感じた人が多いという現実。
失敗した、と感じざるを得ない幕開けとなりました。
両方を見て感じたのは、「気遣い」の有無です。
気遣いができていたか否かで、印象が大きく左右してしまいました。
前者は、所属していた事務所、出演していた番組、ファンの方、後輩、
そして何より相方に対し、感謝の気持ちがきちんと表現されていました。
それは尽力した相方も同様で、復帰するための土台作りとして、
自分自身は黒子に徹し、その役目を完璧にこなしていることが伺えました。
しかし後者は、謝罪こそあれ、感謝の姿勢がなかったのです。
本来であれば、一番迷惑を被ったであろう相方に対し、
何よりもまず最初に、頑張ってくれてありがとうと伝えるべきだったのです。
その上で、迷惑かけてごめんなと、ひとこと言えばよかったのです。
これこそが、欠けていた。
そこに、自己保身でしかないのではないか、という疑念を生じさせ、
これほどまでにアンチを増やしてしまうきっかけとなってしまったのでしょう。
プラス、YouTubeという媒体も、厳しかったですね。
「高評価」と「低評価」が一目瞭然になる媒体を選んだことが、
低評価に引っ張られてしまう一部の人を巻き込み、
よりアンチを増やした引き金となったようにも思います。
これとは別件で、大騒ぎとなった事柄もありましたよね。
某俳優と新人女優の不倫騒動。
不倫は、単なる倫理観の問題であり、犯罪ではない。
私自身としては、特にテレビに出て謝る必要もなければ、
仕事を自粛する必要もないと考えています。
もちろん、イメージダウンにより、仕事サイドから降りてくれと言われれば、
それは仕方のないことなのですが。
しかし、今回の二人に関しては、嫌悪感が残りました。
それは、急いで出したであろう謝罪文の内容です。
間を置かずに反応し、認め、平謝りに徹したことは、
リスク管理としては最良の方法だったのかもしれません。
なのに、その内容は結果として、保身でしかないことが読み取れるものでした。
一番悲しませ、苦しませ、迷惑を被ったであろう奥さんに対し、
一切の謝罪の感情が、なかった。
あー、この人たちは、この姿勢で3年もの間、奥さんを苦しめたのねと、
見る者は皆、感じたのです。
それでは、受け取る側全員を敵に回してしまっても、仕方のないことです。
あの謝罪文の内容で十分だと感じる人は、
当事者と、当事者に近い人のみなのではないでしょうか。
きっと、この二人が復帰することは不可能でしょう。
この二人の代わりとなり、さらには気遣いもできる人は、ごまんといるのですから。
もちろん、一般社会においても、気遣いはとても大事なことです。
どのお仕事でも、近所付き合いでも、友人付き合いでも、
そして家族間であったも、気遣いがなければ、破綻を招きます。
でも、できない人も多い現実。
それをどうかわし、切り抜けていくかという技術も、必要なのでしょう。
先日お請けしたお仕事なんですが、
他の人が書いた文章のリライト作業をしています。
リライトだし、
そんなに時間はかからないだろう......と思っていたのですが、
これが、難しい!!
・何を書きたかったのか。
・着地点はどこなのか。
そこを把握することからはじめないといけないんですね。
しかも、情報を検索していて気づいたのが、
引用どころか、他サイトのコピペ文章があまりに多く......。
ヘタすると、大問題になりそうな状態で。
これは、まったくガラリと変えないといけないな、という次第。
先週末より今日まで、苦戦しております。
まだ2~3日はかかりそうな様子なのですが。
それにしても、ライターと名乗り、お金を頂いている以上、
あのような状態で納品された方に憤りを感じます。
ああいう方って、多いんだろうか。
ライターなんて簡単、と思ってテキトーにお仕事しているんだろうか。
文章を書く、ということは、「無」から「有」を作り出すことです。
「有」から「有」を作り出してはいけません。
でも最近は、後者があまりに多い気がします。
悲しいですね。
問題が起こった時、人は、文句を言いたくなります。
それは、すごく当然のこと。
嫌な目にあったのなら、言って発散することは大事なことでしょう。
でも、それだけでいいのか?
文句を言うだけで、同じ場所で立ち止まっていていいのか?
一旦発散すれば、それはそれ、これはこれと、
そこから前に進むことを考えることが、必要なのではないでしょうか。
文句を言う。
批判する。
追求する。
弾劾する。
でも、それで行く先は変わりません。
それらのことには、どこかで区切りをつけ、
これからを変えていくことに全力を注ぐべきだと、私は思うのです。